ググるなカス
検索すればすぐ分かるようなことをわざわざ聞いてくる人は、「ggrks(ググれカス)」と言われて嫌悪される。
しかし、この世の会話の半分くらいは「ググれば分かる情報の交換」で構成されていると思う。
例えば「大学は何学部なんですか?」という質問はググってもわからない。ストーカーが本気を出したら分かるかもしれないが、明らかに本人に聞いたほうが早い。
しかし、「あー〇〇学部なんですか。テスト大変じゃないですか?」はちょっと怪しい。
信憑性は置いておいて、その学部名をググれば授業の評判みたいなものはすぐ出てくるからだ。
そして「〇〇大学って〇〇学部ありましたっけ?」は完全にググれカス案件である。
そんな確認は大学HPを見た方が早いし信頼度も高い。
このように人の会話というのには必ず「ググれカス案件」が紛れ込んでいる。
逆に、会話のほとんどが「ググってもわからない情報の交換」で構成されていたら会話はこうなる。
「学部どこなんですか?」
「英文学部です」
「なんで英文学部を選んだんですか?」
「将来海外に住みたいからです」
「海外に住みたいと思ったきっかけはありますか?」
「テレビで見たカナダの自然に感銘を受けたからです。」
キモ。自己分析か。
つまり、会話の中に「ググれカス案件」を定期的に練り込まないとひたすらその人の個性を掘っていくだけの作業になるのである。
僕は「ググれカス案件」に直面すると割と素直に「ググれカス」と思ってしまうのだが、こういう話題のおかげで当たり障りのない会話が実現されていたのだ。嫌悪感を示している場合ではない。
今まですぐにググれカスと思ってしまっていてすみませんでした。
軽率でした。この場を借りて謝罪します。
そして僕は、気になることがあるとすぐネットで調べる癖がある。
いいことじゃないかと思うかもしれないが、今までの流れを汲むとこれは対人関係の視点から見れば最悪のものであることは自明だろう。
「サークル何やってるんですか?」と聞いて「〇〇サークルです」と返ってくれば、会話は早々に切り上げてそのサークル名をググってしまう。
(テニサーの割には大人しめだな…)
(まあ規模もそんなでかくなさそうだしな…)
(そういえば酒に睡眠薬混ぜて話題になったテニサーってなんだっけ?)
(ああクライステニスクラブか…)
ということを完全に1人でやっている。
こうして使いもしないムダ知識だけが増えていき、人脈は全く広がらない。
他人は無視して自分の知りたいことだけ調べるなんてどんだけ自由なんだ。まさにスーパーフリーである。
個人的には「人にいちいち質問するのも申し訳ない」という思いもあるのだが、そんなことよりコミュニケーションなのだ。人の温もりなのだ。セルフレジなんかいらないのだ。
今は検索すればなんでも答えが出る時代なのだろうが、「社会に適応していく方法」は何ペディアにも載っていない。
それでも「ネクタイ 結び方」「飛行機 予約の仕方」「葬式 マナー」などを検索窓に打ち込んでなんとか世の中に追いつこうとしてきた。
だからこそググらない人には苛立ちを覚えていたのである。
そんな人は遅れを取らぬよう必死で走る僕におぶさって、自分は楽して進もうとしている人なんだろうと思っていた。
しかし、そんな考えこそがカスだった。
その情報がググれば分かることなんて百も承知。それでも「会話」を通して繋がりたいから聞いてくるのだ。
「社会に適応する方法」のヒントは、「すぐにはGoogleを開かない」というところにあるのかもしれない。
いや、でもやっぱセルフレジは使うと思います。
勢いでメチャクチャ言ってすみません。
軽率でした。この場を借りて謝罪します。
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