マガジンのカバー画像

短いはなし

117
運営しているクリエイター

2023年5月の記事一覧

ボタン

ボタン

ゴーグルをはめて仮想現実を体験できるようになった時には、いつか映画で見た夢のような未来へとついにやって来たのだと世界中が興奮した。
そして今、世界はそこからまた一歩進化した。

コントローラーにはINとOUTのボタンが付いた。
仮想現実を体験中にINを押せば、実際に(身体を残した意識のみが)仮想現実の中へと入っていけるようになったのだ。
課金して得た装備を実際に自分が装着している感覚をリアルに体験

もっとみる
ドーナツの穴

ドーナツの穴

「あの、ここですか?未来が見える穴のドーナツのお店って」
「未来が?穴から?ドーナツの?確かにドーナツはありますがここはただのコーヒー屋ですよ」

そのコーヒー屋さんは4丁目のビルの隙間に時々現れるコーヒーとドーナツだけの小さなお店だった。
いつの頃からだろうか、噂を耳にするようになった。そのお店のドーナツの穴から未来が見えるのだと。
「ま、そんな噂もあるようですけどね。僕はただコーヒーとドーナツ

もっとみる
世界

世界

変な夢を見ているな。

薄暗い中をてくてくと歩いていたら、
コツンと何かにぶつかった。
ゆっくり瞬きをしなおして、前を見た。
その先には少しずつゆがんだ輪郭の風景が
どこまでも続いているように見えていた。
手のひらを伸ばしみると、
ペチンと音がして
やっぱりそこには何かがあった。
ペチペチペチ…
みぎひだり動かす手のひらは
ひんやりとした
壁のような何かを何度も叩いた。
ぐるりと向きを変え歩く。

もっとみる
道端

道端

「さぁ、そいつぁどうかな…」

通りすがりにどこから聞こえてきた。
まるで俺が今考えていたことを見透かしたかのように、その声は後頭部の右斜め45度あたりをコツンとつついた。
その一瞬の刺激に俺はほんの今の今まで考えていたことをうっかり忘れた。
それが良いことなのか、悪いことなのかはわからないけれど、とにかく忘れた。
グズグズとずいぶん考え込んでいたような気もするけれど、うっかり忘れるくらいだから、

もっとみる
灰

幼い頃に住んでいた家には、玄関の横に取って付けたような物置き小屋があった。

隣りのアダチさん家は子供が独立をして60代くらいのご夫婦二人でゆったりと暮らしていた。
アダチさんのおじさんは大工さんで、木で作るものならたいていのものはサクサクっと作ってくれた。ウチの物置き小屋もきっとアダチさんが作ってくれたんだと思う。
物置き小屋の手前はひんやりとした土間になっていて、家族の自転車や灯油のドラム缶、

もっとみる
母の味

母の味

手の中でくずれず、
口の中に入れた時に
ほろほろとくずれていく
おにぎり。

甘すぎず辛すぎず
ほどよい味の 煮物。

ほくほくポテトサラダ。

じゅわりと甘いお揚げの
いなり寿司。

母が作ったものは
ぜんぶ美味しかった。

キッチンでカチャカチャカチャっと
ここちよい音が響いたあと
あっという間にごはんが
テーブルの上を埋めた。

母は料理の天才だった。

「私もできるようになるかな…」
「な

もっとみる
庭

庭で小さなまあるいものをみつけた。
私にはそれが何かすぐにわかった。
急いで家の中へ入り、ゴミ箱の中からカップヌードルの空容器をさがして庭へ戻った。
容器の中に半分ほど土を入れて、真ん中にまあるいものをそっと置き、その上にふわりと土をかけた。そしてそれを縁側の下に隠した。
そんなものをみつけてしまったことを伝えれば、きっとみんな怖がるだろうから母にも姉にも家族の誰にも言わない方が良いだろうと判断を

もっとみる