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2022年9月の記事一覧

雨もり

雨もり

煙突のあるレトロな洋館。
地元にあった集会所はその美しい佇まいが街の中でも一際目を引いた。

私たちにとっては昔から当たり前にある古い集会所という感覚だったけれど、その建物を見ようと遥々やって来る人もいる。
元々は100年ほど前に華族が夏に開催される花火大会の時期に1週間ほど利用するだけのために建築されたものだった。
当時はこれより高い建物が周辺にはなかったので大きな窓からは花火がきれいに見える…

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会員登録

会員登録

「いらっしゃいませ。どうぞおかけください」

ぼんやりしていたら目の前の自動ドアが開き、中から声をかけられた。
僕はなんでここにきたんだっけ?そう思いながらも促されてカウンターの手前にある椅子に座った。
「尾野田様の担当をいたします天野と申します」
「はぁ…え?お会いしたことがありましたっけ?」
「いえ、こちらにいらっしゃる方は、たいてい初めての方ばかりですけれど、私どもはお客さまに安心していただ

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タイムマシン

タイムマシン

庭の端に建てられた物置き小屋に、埃をかぶった乗り物のようなものがあった。

「ねぇおばあちゃん、物置き小屋にある乗り物みたいなの、あれは何?」
「あぁ、あれかい。あれはまぁ、昔のおもちゃだわね」
「お父さんの?」
「もっと前だね。私が子供の頃に家族で使ったかな」
「へぇ、おばあちゃんが子供の頃なんだ。レトロなデザインがかわいいよね。昔のマンガに出てくるタイムマシンみたいで」
「あははは…それだよ、

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はじまりの夜

はじまりの夜

「ところでアンタたち、ピザのはじまりのことは知ってるの?」

料理が趣味の夫だの、家事を分担だのと世間では、その昔より妻の負担が減っている家庭が多いらしい。
それが時代というならば、我が家はすっかり時代に取り残されているか、またはここは陸の孤島に違いない。

短期大学を卒業して“お勤め”を一度もした事がないまま両親のお墨付きの男性と結婚をし、特に疑問に思うこともなく、そういうものだと専業主婦になっ

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仕事

仕事

「祈った所でさ、どうしようもないのにね」
「でも奴らはそうするしかないんだろ」
「まぁね」
「みんな自分の都合に合わせたいんだよ」
「自己中心的ってやつか」
「そこまでいうとなんだかすごく悪く聞こえちゃうけど…」

最悪だった。
友達に誘われてでかけた食事会で出会った佐藤さんは顔はさておき、職業と実家の家業は申し分なかった。
私はラッキーなことに、そういうところで男性を振り分けることができるから、

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プレゼント

プレゼント

「プレゼントは赤いものにしてね」

実香子はとにかく赤い色が好きだった。
赤いワンピース、赤い靴、口紅やネイル。
いつも全身赤い色に包まれていた。
赤い帽子から滑り落ちるようなストレートの髪は、一見黒く見えるけれど、光が当たるとそれは赤く透けた。

「誕生日プレゼントは何がいい?」
「ピジョンブラッドルビーのピアスが欲しい」
「本当に赤いものが好きなんだね、実香子は」
「幼い頃、庭に咲いていたチュ

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約束

約束

僕たちにとって、それはとても良いタイミングで、今にして思えばあれは神様からのプレゼントだったのかもしれない。

2220年、秋の始まりにそれはおとずれた。
東西北南大学の根室百年(ねむろももとし)教授がある薬を開発した。そのくすりが市販されることになった時、なんとなくノリで買った。
その薬は服用した年齢を保ったまま100年間眠ることができるというものだった。

僕と珠恵はきっとよくあるように「これ

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Cafe  Destination

Cafe Destination

ちょぴん ちょぴん ちょぴん。
甘い香りが脳を刺激しながら一雫ずつ落ちていくコーヒー。Cafe Destinationにはコーヒーの雫が落ちる瞬間に好きな人の名前を唱えるのを3滴分成功すると、恋が叶うという噂があった。その相手と一緒に雫を見たなら、さらに効果があると言われている。

Cafe Destinationのコーヒーの雫で妹の恋が叶ったと聞いて、最初は全く信じていなかった里美はこっそりコー

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双子

双子

姉妹に憧れていたひとりっ子の私は、鏡に映る自分を双子の姉妹という設定でいつも遊んでいた。

髪を同じリボンで結び、お揃いのワンピースを着て、いつも偶然に同じ動きをしてしまう、家族も間違うほどにそっくりな一卵性双生児。
私の名前は絵理、双子の妹は沙理。
星座も血液型も好きな色も同じ。私が笑えば沙理も笑う。私が悲しい日には沙理も悲しい顔をしている。
でも私たちを見分ける方法もあって、私は頭の左側にリボ

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アイとユイ

アイとユイ

双子の姉妹、アイとユイ。
身長も体重も同じ。顔も瓜二つで、どんなに耳をすましても、声もまるで聞き分けられない。
家族でさえも。

姉のアイは勉強が得意で学級委員や生徒会長もするほど、本当によくできた子だった。
ただ一つスポーツが苦手以外は。
妹のユイは勉強はいまいちだったけれど、アイとは真逆でスポーツだけは得意だった。
アイはいつも周りから褒められていた。
信号を渡る時に手を上げたこと、お菓子をも

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屋上

屋上

そこはいつもの場所よりも空が近くて、“もうすでに”別の世界に来てしまったかのように気持ちが良かった。

社会人になった上の娘は一人暮らしを始め、下の娘は第二志望の大学になんとか入学し、夫は晴れて元夫となった。
私にはもう、何もなかった。この体以外には。

この高さの風を直接肌で感じるのは初めてだろうか…ひんやりとして湿度を持った風が両頬を撫でながら通り過ぎた。

「こんにちは」
関係者以外立ち入り

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母娘

母娘

今ならきっと、そういう母親のことを言い表す言葉があるのだろうけれど…

母は全く料理をしない、というよりできない人だった。
小学生の時にはお弁当が作れないからという理由で遠足を欠席させられていた。
おなかを空かせた二人の妹のために、もちろん自分のためにも仕方なく私は食べられそうなものを作るようになった。
いつしかそれが習慣となり、私は子供の頃から家族のためにごはんを作り続けていた。

20歳で結婚

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slow

slow

人間の脳は、頭の悪い私のそれでさえ、なかなか賢いものらしい。
それまでの人生の中で経験した(見た)もののイメージで時間の隙間を埋めるのだそう。

最初はすこしめくれて、そのあと細かいコマ撮りのアニメのように、メリ、メリ、メリ、ブワッと、真っ白なボンネットが捲れ上がった。
3年前のちょうど今日、私は交通事故にあった。その始まりから終わりまで、私のこの目は全てを見ていた、と思った。
しかし実際には瞬間

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