竹内善三郎

軟部悪性腫瘍ステージⅢを克服したかもしれないがん患者です。人生哲学全般に興味を持ってお…

竹内善三郎

軟部悪性腫瘍ステージⅢを克服したかもしれないがん患者です。人生哲学全般に興味を持っております。宜しくお願いいたします。

最近の記事

私にはブログよりnoteが向いているかも

 私はこのnoteと同時にブログも書いているが、どうも私にはnoteの方が性に合っているらしいということが解ってきた。  私の中では、noteは作家向きでブログはコピーライター向きかもしれないと感じている。  noteの、このまったり感も私に合っている。そう、私は普段非常にまったりしているのだ。  昔の話しで恐縮だが、20年程前にある女性と2人で海外旅行したことがある。  現地の空港に着いて早々トラブルが発生した。空港のタクシーカウンターでタクシーを手配しようと試みた

    • 突然の肋間神経痛

       それはいつも何の前触れもなく突然やってくる。しかもどこにやってくるのか予測も出来ない。  今回は就寝中、左脇腹にやってきた。 「いた~~~~~~~~~~っ」  私は目がバッチリ覚めた。早速通常歩行が可能かどうかを確かめた。歩行困難ならすぐ119番通報する予定だった。  何故なら「通常歩行困難な上半身の激しい痛みは心臓病の可能性が高い」という知識があったからだ。  問題なく歩行出来たので、暫く様子を見ることにした。汗もかいていない。すると20分位で痛みは全くなくなっ

      • 五十肩

         いかん、左肩がどうやら五十肩になったようだ。 すばり、動かすと痛い  という訳で、とりあえずマッサージ師さんにお願いしたのですが、マッサージ師さんの意見としてもやはり五十肩とのこと。  正確なことは整形外科に行かないと分からないが、五十肩ということでおおむね間違いないようだ。  30分マッサージしてもらったら、なんとなく少し回復したような気がする。なんとなくね。  マッサージ師さんの意見としては、炎症が治らないと痛いままとのこと。  私は現在、がん手術で出来た傷

        • カメラは写真を撮る道具ではない

           タイトルに書いた通り、私にとってカメラは写真を撮る「道具」ではない。  では何なのか?手に取って触感を楽しんだり、いろいろとカチカチ操作してみたり、眺めてみたり・・。  かなりマニアック。こんな私も写真を撮る道具としての価値を否定はしないので、「希に」撮影することもある。そう、希にね。  「ほほぅ、これがF1.8のボケ具合か・・・素晴らしい」  私の興味は写真ではなくてあくまでも「機材」にある。今から25年以上前、ブロニカという中判カメラの中古を買った。そのカメラで

        私にはブログよりnoteが向いているかも

          病院との上手な付き合い方

           自分ががんになり病院と縁が切れなくなった訳だが、病院と付き合うことはがんと付き合うのと同じくらい意外と難しいということに気づいた。  世間ではコロナ過の中、医者があたかもヒーローであるかのように受け取られている感がある。  しかし病院というところは実際にはなかなか一筋縄ではいかない場所であることを私は身をもって感じている。  出身大学(医学部)ごとに医者同士の派閥が確実に存在することも知った。  また、例えば私のようにがん患者等、病院と縁を切ることができない患者に対

          病院との上手な付き合い方

          ハンドルネームの由来

          ※写真は自分が所持しているブロニカ  「善三郎」は、「ぜんざぶろう」と読みます。この名前はカメラの名前からとりました。  その昔「ゼンザブロニカ」、通称「ブロニカ」という中判カメラがありまして、私も愛用していたのです。  「ゼンザブロニカ」というカメラメーカー名は、「ぜんざぶろうのカメラ」に由来すると聞いたことがあります。おそらく創業者の名前が「ぜんざぶろう」だったと推測されます。  ここから「善三郎」というハンドルネームをとりました。  私は今でもブロニカを所持し

          ハンドルネームの由来

          間違った努力をしてはならない

           私が部活から学んだことは、タイトルの通りである。私は今年で52歳、つまり昭和時代の部活をよく知る立場の人間だ。  私はバトミントン部に所属していたが、そこで得たものは「後遺症の残る怪我」であった。  当時は個人の特性等は全く無視されていた。勉強にしろスポーツにしろ、個人が持つ得手不得手などが全く考慮されなかった時代だったのだ。  私は気がついたら何故かバトミントン部に所属させられていた。意味不明な「地獄の猛特訓」の成果と言えば・・いや、成果などは何もなかった。  「

          間違った努力をしてはならない

          「人並み」の人生を目指すと挫折する

           「そこそこ真面目に働いて年収700万」を仮に「人並み」と定義したとする。あなたにはこの「人並み」を生涯キープする自信があるだろうか?  少し考えれば解ることだが、「人並み」の人生を送ることは人間にとって最も困難な作業なのである。  私が思うに、生涯「人並み」をキープすることはオリンピックで金メダルを取ることと同じくらい困難である。  私は折に触れて次のように言っている。「圧倒的に成功せよ。何故ならそれが1番楽で簡単だからだ」と。  がんを患っている私が成功論を語って

          「人並み」の人生を目指すと挫折する

          我々は学校で何を学んでしまったのか?

           結論から書く。一言で言えば、「指導者の期待に応えることは善であり、その逆は悪である」という価値観である。  これこそ我々日本人が学校で習得する最も大きなことであることは疑う余地がない。  例えば「他の生徒の人権を侵害するような行為を禁止する」という方向性の校則をあなたはみたことがあるだろうか?私はみたことがない。  日本社会に実在する校則が生徒に教えていることは何か? 「指導者の指示に従わないと痛い目に遭いますよ、たとえそれがどんな理不尽なものだったとしてもね。」と

          我々は学校で何を学んでしまったのか?

          こんな学校あったらいいな

           「こんな学校あったらいいな」というお題を発見しましたのでまずは箇条書きで記したいと思います。 1.「他の生徒の人権を侵害する行為を禁止する」という方向性で全ての校則が定められている学校。 2.誰のために学校は存在しているのか?という問いに対し、「社会のため」という答えが返ってこない学校。  上記2点を満たす学校を私は知りません。学校は生徒のために存在しているのであって、社会のために存在している訳ではないのです。これは当たり前のことであり、重要なポイントです。  「国

          こんな学校あったらいいな

          家庭内不和をなんとかしたい

           と思ったそこのあなた向けに今回は記事を書いたつもりでいる。  日本中、いや世界中と言ってもいいかもしれないが、家庭内不和だらけである。今や離婚は世界的な問題になっている。  「離婚は解決しなくても良い問題だ」という意見もあるかも知れない。私もこの意見におおむね賛成だが、少しひっかかるところもある。そこで早速本題にいこう。  あなたはプラスマイナスコフフリクト、という言葉を耳にしたことはあるだろうか?  プラスマイナスコフフリクトとは、どちらを選択してもダメ、という状

          家庭内不和をなんとかしたい

          我々がん患者は勝ち組

           プロフィールにも書いたが私は軟部悪性腫瘍(がん)ステージⅢの重篤ながん患者である。  がん患者を積極的に雇用したいと考える雇用主はほぼゼロである。この事実が意味するところは何か?  そう、我々がん患者は今後一生涯社畜にならなくても良いという意味なのだ。私は叫んだ。  「私は日本社会に勝利した」。  さて、私の日常を箇条書きで少し記してみる。 1.気まぐれに執筆活動をする 2.ショッピングセンター(田舎)の中で散歩をする。従業員さん達は私ががんであることを知ってい

          我々がん患者は勝ち組

          全人類が欲していること

           欲していることは人それぞれ。全人類が共通して欲していることなどは存在しないとお考えの方にまずは御一読願いたいと考えている。  例えばAさんは年収700万を欲していたとする。私は健康体になることを欲していたとする。Cさんは立身出世することを欲していたとする。  やはり人それぞれじゃないか、と思われるかもしれない。しかし欲していることは皆同じなのである。  まず考えて頂きたいことがある。Aさんは何故年収700万を欲しているのか、私は何故健康体になることを欲しているのか。C

          全人類が欲していること

          愛とお金の話し

           愛されたい、稼ぎたいと感じている方は当然多い。だが多くの方はそれが叶わずにいる。  結論から書く。これらをまず先に与えればよいのだ。奇跡が起きることにあなたは驚くことだろう。  しかしこれらを実行することは難しいことだ。何故難しくなっているかについて解説したい。  以前より日本社会に於いては、「子供を愛する」と書いて「子供を甘やかす」と読む社会的風潮がある。  従って本当は自分の子供を愛しているのだが、それは自分の子供を甘やかすことだから愛してはいけない、突き放さな

          愛とお金の話し

          勝手に決めつけよう

           2020年4月、ステージⅢのがん(軟部悪性腫瘍)と診断された時、私はこの事実を次のように決めつけた。 「これで私は未来永劫社畜にならずに済む。私は日本社会に勝利した。」  重篤ながん患者を雇いたいと考える経営者はまずいない。 「がんになったら私の社会人生命はそこで終わる」  と私は解釈しなかった。因みに私の年齢はアラフィフである。  5月28日の手術から約2ヶ月半が経過した現在、私は抗がん剤治療や放射線治療を含め、がん治療は何もやっていない。  これは先日行った

          勝手に決めつけよう