我々は学校で何を学んでしまったのか?

 結論から書く。一言で言えば、「指導者の期待に応えることは善であり、その逆は悪である」という価値観である。

 これこそ我々日本人が学校で習得する最も大きなことであることは疑う余地がない。

 例えば「他の生徒の人権を侵害するような行為を禁止する」という方向性の校則をあなたはみたことがあるだろうか?私はみたことがない。

 日本社会に実在する校則が生徒に教えていることは何か?

「指導者の指示に従わないと痛い目に遭いますよ、たとえそれがどんな理不尽なものだったとしてもね。」ということではないのか?

 つまり「底辺労働者に要求される価値観」を我々は学校で学んでしまっているのである。

 「底辺労働者に要求される価値観を沢山身につけた生徒」のことを日本の学校では「優等生」と呼んでいる。

 私は優等生をけなしているのではない。なにしろ私はかつて模範的な優等生だったのだ。

 高度経済成長時代ならこれで良かったのかもしれない。終身雇用年功序列体制の中で、理不尽なことに対して文句も言わず黙々と働く労働者が報われた時代もあったのかもしれない。

 しかし今の時代は違う。私は現在がんを患っているがそれはともかく、私の周囲を見渡しても「かつての優等生」の人生はおおむね凋落している。

 現在私は52歳だが、同窓会などで出会う人々は「当時の不良」が多い。当時の優等生の多くとは同窓会などでなかなか出会うことが出来ないのだ。

 優等生仲間だったある旧友は、噂では50歳を過ぎてから職を探しに単身東京に行ったと聞いた。

 学校教育に於いても家庭教育に於いても、なにかを「強制」してはならないということを私は知った。何故なら時代は移ろいゆくからだ。

 特に価値観に関する事柄は絶対に強制してはならない。例えば中学時代に親や教師から押しつけられた価値観は、大学を卒業する頃には既に通用しなくなっている可能性が高い。それほどまでに時代の変化は速いのだ。

 私は「普遍的な価値観」の存在を肯定する立場だ。しかし、一体どのような価値観やものの考え方が普遍的なものであるのかを知ることは容易ではない。我々一般人がそれを自然に理解し、実践することは難しいのだ。

 タイトルに沿って記すと、まず学校や親から「強制的にインプット」された価値観については完全に消去する必要がある。この作業に成功出来ない中高年に未来は無い。なんとしてでもこの作業を成功させる必要があるのだ。

 その1つの方法として、新たな価値観やものの考え方を「血となり肉となるまで学ぶ」というやり方がある。新しい価値観をインプットすることにより、自然と古い価値観は消え去るのだ。

 例えば桁外れに成功した、あるいは成功している人物の考え方などが書かれた本を読むことは非常に効果的だ。それは故松下幸之助氏でもいいし、マハトマ=ガンジーでもよい。

 桁外れに成功した、あるいはしている人物というのは、いつの時代でもどこの国でも通用しそうな普遍的と言ってもいいものの考え方をしていることに私は気づいた。

 例えば今私は読者諸賢方の人生が豊かになるよう願って執筆している。すると必然的に読者数は増え、仮にこれが有料記事だったらごく自然に私は儲かるのである。そう、儲けることを考えなくても儲かるのである。

 このような考え方は普遍性が高いと言える。今の時代ではなくても通用する考え方である。

 桁外れに成功している人物というのは、普遍性を追求する1面を持っていることに私は気づいたのだ。

 皆様方に於かれても試してみてはいかがであろうか?若い頃に受けてしまった教育の呪縛から解き放たれる時がくることを願い、筆を置くこととする。

 

 

宜しければサポートお願いしますm(__)m。