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櫻坂が日本の美意識を高めるワケ【流れ弾・一歩目の江戸の粋】日本芸能史入門

櫻坂46、3rdシングル「流れ弾」が発表されました。この楽曲では新しいセンターとして田村保乃を置き、ファースト写真集「一歩目」も同時に発表されました。

楽曲の解禁情報では、革命を思わせる新たなビジュアルと、誹謗中傷など現代社会を写した歌詞でいま注目を集めています。

この記事では櫻坂のこれまでの流れだけでなく、少し変わった人類の進化や、伝統芸能がアイドルになるまでの歴史、さらに写真集と浮世絵の比較などを取り上げながら、日本固有の美的感覚について論じていきます。

そうすることで制作スタッフの入念な準備と、センターの自信と葛藤、私が考える期待感をみなさんと共有します。

最終的にはファンの方も、アイドル?と思われてるような方にも、新たな感覚でグループを愛してもらえると思います。


なぜ美意識がいま必要なのか

日本が歴史とともに形作ってきた美的な感性は、世界に誇るべき重要な資産です。

まずは人類の歴史の地図上で、その姿を眺めてみましょう。

◆ 革命の歴史
ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」で語られているとおり、現生人類ホモ・サピエンスが約7万年前に「認知革命」と呼ばれるものを起こして以来、私達は神話を共有することで何億人にもおよぶ種の共同体を形作ることができました。

神話とは、簡単に書き換えができるサピエンスの文化的遺伝子です。神話の共有によってホモ・サピエンスはDNAの進化に頼らずとも文化を作り変え、歴史を紡ぐことが可能になりました。

認知革命を契機として、人類は周囲の生態系を大きく変えながら大陸間移動すら行えるようになります。約4万年前には初歩的な渡海技術を使って日本上陸をして、そこから日本における人類の歴史が始まりました。

さらに約1万年前に人類が地球の大陸を覆い尽くすと、今度は農業革命が起こり、人口が爆発したことで都市による階級社会が広がっていきます。人口爆発により食料が不足して、貧困問題が生じ始めます。

民衆を導く自由の女神

(ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』)



そして「民衆を導く自由の女神」に描かれるように、人類は革命を繰り返しながら、約500年前にあった科学革命によって民主主義や資本主義を基盤とした産業社会が広がりました。




◆ SDGsという神話
現代の人類は、さらに神話を書き換えようと様々な取り組みが行われています。

それはアメリカのIT企業によるプラットフォーム帝国や、中国の管理社会制度での大きな対立。もしくはヨーロッパによるブランド保護・プライバシー配慮などの、ルールによる統治です。

これらの社会思想が神話というのは少し飛躍がすぎるのではないかと思われるかもしれません。それを理解して頂くのに役立つのが、近年日本でも認知度を高めている「SDGs(Sustainable Development Goals)」です。

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SDGsでは、世界全体にある普遍的な17の目標と、それを達成するための169の基準が示されています。

複雑に絡まりあった環境問題、社会問題、経済問題はそれぞれ不可分な問題です。一つずつの問題を対応しても他の問題が関わってきてしまうため、SDGsでは17の目標全体を底上げしていくことで一挙に解決しようとしています。

皮肉なことにこれらの3つの問題は、人類発展のなかで認知・農業・科学革命で生じた、人類の罪でした。

ヤン・ブリューゲル、ルーベンス 『人間の堕落とエデンの園

(ヤン・ブリューゲル、ルーベンス 『人間の堕落とエデンの園』)



数年前にSDGsのセミナーに参加した際に私は、そのヨーロッパ的な心優しい環境への配慮と、知的な野心、そして平等な連帯感に感動しました。そしてこの方法は素晴らしいので、多くのひとに知ってもらいたいと思いました。

SDGsによって私の心は澄み渡り、ありがたい洗礼でも受けたような気分でした。このとき私に内在した世界の見方が書き換えられたような感触があったのです。



それは中国の思想家、壮子の書籍で「老荘思想」に触れたときと。もしくは物理の教科書でニュートンの「運動の3法則」を知ったときと感覚は同じで、なるほど私はそのとき新たな神話を授けられたのだなと感じました。

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ここでいう神話とは、世界の真理のことではありません

義務教育であるニュートン力学でさえ、理想化しすぎており、現実に照らし合わせるとズレが生じるのですから、神話とは人類全体に共有しうる思想体系と定義したほうが良いでしょう。



このように様々な思想体系は、現代においても作り続けられています。そして7万年前からつづく文化は遺伝していき、継ぎ出しタレのように深みのある味わいを作り出しています。

文化的遺伝子としての神話の進化メカニズムは、以下の記事で詳しく述べています。




では日本の神話は、どのように遺伝していったのでしょうか。


日本人の佇まい

◆ 神話による防災
アフガニスタンでイスラム国が米軍兵士やタリバンと敵対し、自爆テロをおこしました。現在も多くのイデオロギー的な対立が目覚ましい中、日本はかなり受け身で危うい立場になっています。

SDGsにしろなんにしろ、イスラム教的な系統の見方や、キリスト教的な系統の見方が存在するように、一つのものには多様なフィルターを重ねた解釈が存在します。自他ともにフィルターの存在を認識しておくことは物事を見る上で大切です。

日本にも4万年前からの人類の歴史があり、伝統があります。日本文化の表面をなぞるのではなく、一人ひとりの奥で鳴り響く基音をみつけだし、イデオロギー紛争から身を守るための防災対策として持っておくことをオススメします。


◆ イデオロギーとしての美意識
ガラパゴス化と言われるように、日本は偶然にも異なる文明に支配されませんでした。そのためオーストラリア大陸やアメリカ大陸の文化とは異なり、日本文化は進化の系統樹で独立した、桜の色づく枝葉として大きく成長しました。

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(エルンスト・ヘッケルの系統樹)


では日本の神話はなにだったのかというと、宗教や政治以上に、美意識が重要な位置を占めています。

カントの「判断力批判」では、普遍的な美の存在は否定され、個人が経験してそれぞれ判断する美的なものを分析しました。この美的なものを判断する意識が美意識であり、美的なものの哲学として美学が存在します。



神話として共有化した美意識により、日本の無宗教者が7割になった現在でも、オカルト的につきまとう日本人固有の世界観はそれほど失われていません。

前回の記事で、アメリカは豊かな善悪観を育てたと言いました。それに対して日本は恵みある美意識を育てました。

そして絢爛豪華な貴族文化だけでなく、武士や庶民の手による地に足のついた、説得力のある感性と理性の調和を実現しました。



◆ 美意識の身体性
日本的美意識は、岡倉天心の「茶の本(The book of tea)」であったり、新渡戸稲造の「武士道(Bushido)」、鈴木大拙の「禅と日本文化(Zen and  Japanese culture)」のように明治以降に英語で紹介されました。


禅はさらにジョン・カバット・ジンの「マインドフルネス ストレス低減法」によって、より洗練された瞑想として逆輸入され現在でも人気のあるテーマになっています。

そうして近代西洋人が思っていたような、宗教教育もろくにしない道徳心のない野蛮人という、かつての日本人への印象を未だにもっている人は最早いないでしょう。



これら美意識で認識する世界の見方は、明文化がしずらいものです。海外向けに翻訳が必要に迫られてなされたものの、できるならば茶の湯を体験するなどして共有化されていくものでした。

アフリカ民族は、ダンスや音楽とともにディープな美的感性を受け継ぎ、アメリカへ渡ると賛美歌をゴスペルに、果てにはヒップホップを誕生させました。

同様に日本文化も、礼節や型、細かな仕草を媒介として受け継がれました。



◆ ルールとマナーの違い
波物語2021のフェスでみられた問題すらも、この日本的美意識を通じたマナーから感じるものがあるかもしれません。

道徳は規範的ですが、美意識は創造的なものです。そのため日本的美意識は、道徳教育ではなく芸術に昇華しました。

この規範性と創造性は、ルール(法)とマナー(礼)に置き換えることが可能です。かつての腹切という狂気なマナーが、もはや芸術性を帯びていたことからも感じることができます。

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日本人の美徳として、礼儀が良いことを海外の方からよく聞きます。一方で礼儀そのものを重んじているわけではないことは、昨今の謎マナーを見ても感じ取れるのではないでしょうか。

孔子が「論語」で語るように、礼というのは音そのものや、絵具の仕上げにすぎず、決して音楽や芸術ではありません。その音そのものを扱う慈愛ある心が重要なのであり、孔子はそれを「」と呼びました。



のちに「仁」という美意識は日本へと伝わり、武士道を構成する「勇」や「智」とともに重要な要素となりました。そして武士道に付随して小笠原流などの礼法が普及しました。

江戸時代には武家のマナーとして成立した小笠原流礼法が私塾をつくり、庶民にまで礼儀・作法が浸透しました。

つまりこの時、道徳教育だけでなく、創造性を伴う美意識が日本全体に形作られました。


これがヨーロッパ的なルール(性悪説)による統治と異なる、マナー(性善説)による統治です。

現代ではマナーがルール化したことによって、治安に混乱が起きているように見えます。要因は、仁という前提条件が忘れ去られ、礼儀と作法の違いが曖昧になってしまったからでしょう。

作法は一枚一枚作画するアニメーションで、礼儀は条件だけ定めるCGのシミュレーションのようなものです。そして各数式や値を保存した大切な情報が、仁です。

仁のような美的で抽象的な概念は、論理に基づいて勉強するものではなく、日常のなかで育くんでいくものです。そうしていくと、ふと人間性に現れてきます。



私も子どものころピアノのレッスンで先生に、おじぎだけを1時間繰り返し練習させられました。ゲームのAIにでもなったかのようで、その時はとても辛かったです。しかしそこで創造的に学習できたものは、相手を敬う気持ち、そして緊張する心の整え方でした。

起立・礼などは「軍隊式の強制だ」と批判されることもありますが、その奥でゆったりと流れる日本的なグルーヴを感じてほしいと思います。



そうした人間性として江戸時代に現れだしたものが「いき」です。いきが生まれた背景には、武士道の仁義だけでなく、芸能の美意識が関係しました。


芸能に育まれた美意識

日本芸能とそれぞれが育んできた美意識は、どのように移り変わって今に響いてるのでしょうか。

◆ 神道と自然
日本の芸能の起源は神事にあるといわれています。農業革命によって稲作が弥生時代に伝わると新たな自然信仰として神道が発生しました。。各地に神殿が建てられそこで大嘗祭のような豊穣祈願の祭りが行われはじめます。



◆ 神楽と雅
神話は巫女などのシャーマンによって徐々に上演芸術になっていき、平安時代には神楽として完成し、音楽と舞踊によって表現されました。

平安時代の貴族文化として洗練された上品さ・渋さ・簡素さを兼ね備えるみやびという美的観念が生まれ、中国から伝わってきた雅楽にもその味わいを感じることができます。



◆ 能楽と幽玄
室町時代になると神楽は、仏教音楽の声明や、物まねや曲芸を行う散楽と混じり合い、能楽(能・狂言・式三番)が誕生しました。

この中世には仏教や老荘思想を取り入れて作られた幽玄という美的感覚が雅から発展していきます。

幽玄とは、ただ美しい花をみるだけでなく、陰翳のなかを流れゆく幽かな世界のなかで、確かな実在を洞察することです。



◆ 茶道と侘び
安土桃山時代になると、茶の湯・茶道がはじまります。

茶の湯とは、茶を飲んでもてなすという日常のなかの一コマを切り取り、生活に関わる庭や建築、設えから作法にいたるまでを演出し、すべて現実の人間関係の中で取り仕切るリアリティショーです。

また侘びわびという簡素で不完全ななかにある美もこの頃から見えてきます。ただ清らかで簡素なだけでなく、非対称な不安定をつくることで自然の動きが調和し、豊かに入り込むことができます。



◆ 俳句と寂び
江戸時代になると、俳句が登場します。茶道が日常を切り取るために茶室一つ建ててしまうのに対して、俳句は17音の中に風景いっさいを全体のまま詰め込もうとします。そのため俳句は宇宙の真理すら直観してしまう深い生命力をもっています。

俳句を詠んで感じられる美意識が、寂びさび(然び)です。わびさびの侘びわび不完全なシンプルさを志向する人間的な手入れだったのに対して、寂びさび繰り返される時間のなかで自然が朽ちる孤独な諦めに美を見出しました。

古池や 
   蛙飛び込む 
  水の音

(松尾芭蕉)


生命が熱力学第二法則に耐えながら、簡易なシステムによって細胞を作り変え続けるように。もしくは伊勢神宮が20年ごとの式年遷宮を行って、無垢で若々しい姿を保っているように。わびさびからは、朽ちる孤独の中に生きつづく、しみじみとした美しさが見えてきます。



◆ 遊女といき
平安時代の巫女の中には、旅をしながら仕事をする歩き巫女が現れ、傀儡師や白拍子として遊女の側面を持ち始めました。

江戸に入ると遊女の影響力は強くなり、遊郭への客寄せのための女歌舞伎は幕府に規制されたものの、結果として能楽に対して反骨的な歌舞伎を流行らせることになりました。



遊女や歌舞伎役者、もしくは座敷を小唄の三味線などで盛り上げる芸妓などに見られる、異性に対する媚態というのは江戸の重要なキーワードです。

この江戸時代にある芸能のアイドル化にこそ江戸のいきがあります



さらに江戸っ子などのように、武士道や礼法の行き届いた掟を守るファンの存在により、緊張感のある色気は神格化されていきます。


そして互いに理想への諦めを人生のどこかで経験して、仏教的な非現実性の中に悟りを開き、無目的な享楽に興じる、いきな者が現れます。

ここまでの流れを見てくると遊女と客の関係には、非常に日本的な感性を集結したアイドル文化としての、いきな姿を感じれるのではないでしょうか。

歌撰恋之部深く忍恋

(歌麿『歌撰恋之部・深く忍恋』)


下記の記事では、侘寂のような日本の美意識を、NFTアートのようなデジタルな現代社会の文脈で再解釈することを試みています。合わせて御覧ください。




美人画と写真集

◆ 浮世絵
江戸時代には大衆性をもった日本画として、浮世絵がつくられます。描かれたものは風景画や花鳥図、秘画など、バリエーション豊かでした。

中でも人気を博したのは、当時のスターだった遊女や歌舞伎役者のブロマイドやポスター、美人画役者絵です。



◆ 美人画のいき
美人画の普及によって、日本画は人物描写について発展しました。中でもいきの有無によって、西洋絵画の女性とはちがった異彩を美人画は放っています。

九鬼周造の「いきの構造」では、いきとは「垢抜けして張りのある色っぽさ」とまず説明されており、甘さから渋さへ流れる味を作り出します。

このいきな人間性は、やはり細かな仕草に宿っており、遊女の美人画にみられる細い体、非対称な姿勢、流し目や頬、口紅の色に至るまで、すべてがゾクッとするような緊張と弛緩の流れをつくっています。

当世三十二相しまいができ相

(国貞『当世三十二相 しまいができ相』)




◆ 湯上がり美人
風呂場の裸体以上に、湯上がりの色気を描くのも、いきを表現する浮世絵の特徴です。垢抜けした湯上がり姿で、サッと無造作に浴衣を羽織る姿は好まれ、多くの絵師が描いています。

風俗東之錦浴後二美人

(清長『風俗東之錦 浴後二美人』)



◆ 横たわる裸婦
一方で西洋画では、湯上がりではなくストレートに裸体を描き、ルネサンス以降の写実的な肉体美をもって表現しました。このモチーフは印象派からキュビズムに至るまで長らく使われ続けます。

横たわる裸婦というモチーフでは、高級娼婦をモデルにしてローマ神話のヴィーナスを表現しています。

聖なる女神ゆえに表情には恥じらいはありません。卑しい心があるのはお前の方だと言わんばかりに、まっすぐこちらを見ています。

キリスト教において倫理的に卑猥だとされていた裸を、批判と解釈を繰り返しながら丁寧に描きつづけることで、近代西洋美術は発展してきました。

ウルビーノのヴィーナス

(ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』)



◆ 下着と水着
明治以降カメラが普及しだして、写真で人物を撮ることができるようになりました。

現代でのアイドルの写真集を見ると、浮世絵とルネッサンスの流れが日本の文脈上でしっかり混ざり合っていることに気が付きます。

湯上がりの濡れた髪でさっぱりとした色っぽい姿であったり、恥ずかしげもなく横たわる水着の姿であったりは、ハレとケのなかに収まり、日本人の生活の中へと溶け込みました。

湯上がり

(田村保乃『一歩目 フルーツ牛乳どうぞ』)


水着

(田村保乃『一歩目 柔らかな朝陽と君と』)



◆ 日本の伝統上にある現代のアイドル
江戸時代までの文化と明治以降の文化は、西洋化されて大きく断絶されてるように表面上は見えます。しかし人類の歴史、日本の芸能史を順に眺めていくと、しっかりと文化や美意識により接続されていることがわかります。

今のアイドルのダンスも、美意識としては巫女の神楽から流れた系統上に存在しています。握手会も、茶の湯にある粋なおもてなしや、遊廓での美学が感じられます。



ここまで色々な参考文献を載せてきましたが、どれも必読の名著ばかりなので是非読んでみてください。古典も多いのでKindleの読み放題サービスを使って、一気に読むこともできオススメです。

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さて以上のことを踏まえて、伝統芸能だけでなく、現在一線で活躍してるアイドルの楽曲や写真集、ライブなどを体験してみると、違った感覚を味わえるはずです。

ここからは「田村保乃1st写真集」の内容を、日本的美意識を通して考察してみたいと思います。



流れ弾への覚悟

流れ弾リリース

櫻坂46 3rdシングル「流れ弾」が2021年10月13日に発売。

King Gnuの常田大奇さんが主催するPERMETRONが、ジャケット写真を担当しました。

新たなビジュアルは、ジャンヌ・ダルクが旗を振り100年戦争でフランスを勝利へ導いたときのような力強さ。またはドラクロワが描いた、フランス共和国を象徴するマリアンヌという自由の女神のような気高い美しさがあります。

もしくはモーセが海を割り、ユダヤ人をピラミッド建設の奴隷から開放した出エジプト記のような迫力があります。

それらをグループシンボルの三角形で、旗やピラミッドのように強調しており素晴らしいです。



 改名から1年

新センターは2期生の田村保乃ちゃんです。

ちょうど発売日の一年前、2020年10月13日にあった「欅坂けやきざかラストライブ」最終日に、写真集の決定を知らされたようです。

新センターへ向けた準備期間として、かなり前から運営側は狙っていたのかもしれません。



カップリング曲「Dead end」の歌詞、

過去と未来つなぐ今をどう生きるか

というところが、欅坂ラストライブと、櫻坂3rdシングル発売日の関係を表しているようです。




10月13日、欅坂は無観客ライブのまま改名となり、自信を十分に持てないまま櫻坂さくらざかとして新たにスタートしたところでした。

そこで「一歩目」というタイトルを選び、写真集を制作しはじめます。彼女からも色々と提案し、徐々に自信をつけていく表情を写真でみれます。



2つのありか
北海道と沖縄という撮影場所は、まるで欅と櫻を象徴しているように読みながら感じました。

冒頭の卒業式、幽玄とした表情の奥では何を思っていたのでしょう。卒業した先輩の陰を探してたのか、次の旅先での光を探していたのか。

北海道での生活感溢れる住まいでの風呂につかる姿は、美人画のように、いきで美しいです。

また沖縄に行くと、海でヴィーナスのように微笑む姿はとても眩しく写っています。



そして美人画と女神の中間には、北海道グリーンランドで雪のベットにヴィーナスのように寝転ぶ姿や、石垣島の海辺で恥じらいをみせる姿があります。

日本の美意識の移ろいと、欅から櫻への移ろいが噛み合っていて、極端な撮影地をつなぐ構成として素晴らしいなと感じました。



秋元康先生がよくおこなうメンバーの心境に合わせた作詞、「当て書き」が欅坂時代からの見どころの一つです。この写真集でもしっかりと保乃ちゃんの意見も発信しながら、秋元先生の作家性も表現できていました。

それが意図的であれ、偶然や潜在的なものの結果であれ、これならば新曲のセンターはバッチリなのではないかと期待が高まり、MVやライブが楽しみになってきます。

北海道と沖縄

(田村保乃『一歩目』通常版・限定版カバー)


そして個人的にグッと来たのが、最後にふたたび北海道の駅で去っていく汽車を見つめるシーン。急遽撮ったというこのシーンにも欅時代にはもう戻れないのかという侘しさを感じます。

そして最初のバス停を読み返していき、北海道でピンクに咲くカフェの花をみながら沖縄の風景が浮かんできて、寂びた思いにふけります。



こんなことを悶々と考えながら、ふと可愛いなぁ・・と口にしてしまう、とても良い写真集でした!

ぜひまた手にとってくださいね




最後に

パッと咲く一瞬の、刹那的な「無言の宇宙」は、長い歴史を振り返ったあとに聞くと、泣いてしまいそうになります。

愛を少しでも語り始めてしまったら
愛してるその真剣な気持ちは
心から漏れていくものだ


これだけ長く話を広げましたが、やはり最後はありのまま感じる美意識の大切さを実感します。






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