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「初めてのIKEA」で触れた北欧の思想。

 やっと、初めてIKEAに行くことができた。

 IKEAストアが日本に出店してから、20年近く経っているから、とても遅い「始めて」になる。


IKEAストア

2006:日本国内でイケアストア1号店となるIKEA船橋(現:IKEA Tokyo-Bay)がオープン。

(「IKEA」より)

 日本国内でIKEAストアが出来てから、約20年経っていることを改めて知った。アイフォンが、その翌年の2007年に発売されたのだから、世の中が大きく変わっていく頃だったはずだ。

 IKEAに関しては、テレビなどで情報としては知っていたけれど、店舗に行くにはバスに乗ったりしないと行けなかったし、会員にならないと入店できなかったりで、行く機会がなかった。

 近所にはないし、出かけることが元々少ないし、数少ない外出でも、そのついでに寄れるような場所でもなかった。

 もしかしたら、これから先、IKEAストアに行くことはないかもしれない。実は、そういう人は意外と多いのかも、と思うこともあった。

IKEA立川

 出かける先のそばにIKEAがあった。さらに友人が、そのIKEAストアに用事があったので、一緒に連れて行ってもらうことができた。

 そういう条件が揃わなければ、たぶん、行くことはなかったと思う。

 外観は、とにかく大きかった。これだけ大きい建築物は、スポーツの競技場のように思えた。

 20世紀末に東欧に初めて旅行に行った時があったのだけど、街中に突然現れる立体物のような、銅像のようなものが、日本国内で見慣れた造形物と比べると、倍以上大きかった。それは、初めて見た人間にとっては、自分の想像する大きさを軽く超えていたので、違和感に最初に襲われたことを覚えている。

 久しぶりに、そんな感覚を思い出した。

 最近は、居酒屋の看板などもとても大きくなったけれど、建物のに設置されたIKEAの文字も、それぞれのアルファベットに一人暮らしできそうな大きさだった。

 さらに、建物の外壁には、角の近くに、今売り出している商品の写真と値段が掲げられていた。「シェルフユニット ¥2999(税込み)」まで、道路の向こう側からでも、はっきりと読めたのは、そのスペースがIKEAのそれぞれの文字を合わせたくらいの巨大なものだったせいだ。

 一つの商品のために、こんな巨大な広告?を作成し、しかも、建物の外へ設置するのは、それだけで思い切りが良くて、すごいような気がした。

初めてのIKEA

 特に何かを買うつもりもなく、だけど、私や妻よりもIKEAにはるかに詳しい友人に連れられるように入店する。

 歩いていると、「ソフトクリーム 50円」という大きい文字が目に入る。

 情けないというか、おそらくは多くの人が、そんなふうに反応したらしいのだけど、それを見ただけで、気持ちが盛り上がってしまう。今日は冬で、私も妻も寒がりだから、ソフトクリームを食べることもないのに、安い!と思ってしまうのは、何か(大きく言えば資本主義)にやられている気もする。

 これが入り口近くにあるのだから、特に何かを買おうという気がなくても、何かを、それほど欲しくなくても買ってしまうかもしれない、などと思った。

 そして、その店内も、外から見て想像していた通りの巨大さだった。

 ほとんど倉庫のような場所。商品が置いてある場所よりも、広そうに見える通路。時々、すれ違う人が押しているカートも大きい。

 あちこちが大きくて、それでも当たり前だけど、本当に倉庫ではないので、あの荒んだ感じはないから、ちょっと気持ちがゆるんでいるような感じにもなる。

 スウェーデン人の平均身長は、男性も女性も、日本人よりも7センチほど高く、だから、そのサイズに合わせての店内設計なのだろうか、と思ったり、実際にスウェーデンに行って、店内に地元の人ばかりでいっぱいになったら、それほど広く感じない、ということはないだろうか。

 そんなことも思ったが、このサイズ感を体感できただけでも、異空間に来た気持ちにはなれる。

 ただ、今回は、主な目的が購買ではなく、この場所のレストランに行くことだったので、そこへ向かうことになったのだけど、エスカレーターに乗って2階に行って、友人のガイドがなければ、ずっと目的地に着かなかったかもしれない。

価値観

 途中でトイレに寄ったら、そこの便器には、水も洗剤も使っていません、といった表示があって、それはエコロジーであって、SDGsでもあるのだろうけれど、そこまで使っていないトイレは珍しく、どこか徹底した気配も感じた。

 そのあと、トイレのそばのイスに座っていたら、壁に何枚かの縦長のパネルが貼ってあって、それは、この店内にいて生じてくる「疑問」のようなものに対しての答えが書いてあった。

 様々なサイトで見る「よくあるQ&A」のようだ。

 その最初のものが、「何かを聞きたくてもスタッフが少ない」といった疑問に対して、「商品のタグを見てください。そこに情報があります」という全く無駄がない答えが続いている。

 他の4つの「Q &A」も、そのような言葉だけが選ばれていて、そういう合理性が新鮮だったのは、現代の日本の文化に、普段は住んでいるせいだろう。

 もし、日本の商業施設だったら、こうした受け答えであっても、まず最初に「ご不便をかけて申し訳ありません」といった「クッション言葉」が並びそうだから、この場所は、違う思想で運営されていることも、伝わってくる。

 最近、困惑するのは、様々な場所で、何かを聞いた時に、それが無理なとき、それほど謝罪も求めていなくて、ただ、できるかできないかだけが知りたい時でも、眉を下げて悲しそうな表情を浮かべる人が多くなっている気がするのだけど、すごくマニュアル感があって、そんな過剰な表現は求めていないのに、と思うことが多い。

 そうしたことと比べると、大げさかもしれないけれど、IKEAの空間では、お客に対しても「自立した個人」であり、あくまでも対等な関係である、ということを、こうした「Q &A」の場面でも求められているように思えてくるから、ここは違う文化の場所なのだ、と思えてくる。

 例えば、福祉の世界で、特に高度で行き届いたスウェーデンという国のサービスのことを見学して戻ってきて、伝えてくれる専門家は少なくないのだけど、私はそれを見聞きするたびに、最初から、そういうシステムがあったとは思えないので、できたら、そこに至るまでの過程を、おそらくは地道な努力や戦いがあったはずだから、そこを知りたいという気持ちになることが多かった。

 これも、こじつけに思われても仕方がないけれど、ここIKEAでも、サービスする側も、どこか真っ直ぐ立っていて、お客も同様で、対等な自立した個人同士が、的確なサービスを提供し、その価値に見合う料金を払う、といった文化が商業施設でも確立しているところが、そうした国のシステムを支えているのかもしれない。

 これは考えすぎだろうけれど、そんなことまで思いがおよび、想像以上に楽しくなってしまった。

スウェーデン・レストラン

 2階の通路を歩き、急に視界が広がるところがレストランで、名称は「スウェーデン・レストラン」だった。

 とても広い。

 このレストランだけで、正式なサッカーの競技ができるくらいの面積があるように思う。

 人もたくさんいるけれど、空間も大きいので、会話も近い場所からのものしか届かないし、こうしたフードコートのような施設なのに、座席の間が広いように感じる。

「ドリンクバー 190円」

 そうした表示が遠くに見えて、反射的に、安い、という気持ちになった。

 ただ、このレストランの中で、最も大きい文字は「返却口」だった。それは、それこそサッカー競技場などで、東ゲート、といった表示くらいに大きい。このレストランのどこからでも見える大きさで、それは、さらに奥にあるフードやデザートを販売している場所の表示よりも大きい。

 販売に関しては、そのあたりにあるということが分かれば、あとは歩いて近づいていけば、詳細は見えてくるはずで、それよりも、座席に座っていても、その「返却口」は、いやでも目に入る。

 その表示は隅々まではっきりと見えるから、視界に入るたびに、意識しなくても、あそこに返すんだな、このまま座席に置きっぱなしではいけないんだろうな、というような思いが、微妙に積もっていくような気がする。

 それも、なんとなく自立した個人を求められているような気がしてきて、ここは違う文化と思想の場所だと思えた。

 IKEAに行って、ただデザートを食べて、コーヒーを飲んできただけでも、こんなにいろいろと思うことがあったのだから、買い物をしたりすると、また違う刺激がありそうだけど、考えたら、IKEAで買うものも今のところなさそうなので、やっぱり縁遠くなるかもしれない。

 それでも、やっぱり見学だけでもしたい気持ちもある。
 普段は、味わえない価値観に触れられる場所だからだと思う。




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