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「豊かな人」が社会の危機を語ると、素直に響いてこないのは、自分の気持ちの問題なのだろうか?

 今でも、ゴールデンタイムと言われる時間帯で、シリアスなドキュメンタリーができるのは、たぶん、NHKだけなのだろうと思うと、時々、見なくちゃ、みたいな、ちょっとした義務感と共に視聴することがある。

 その番組を見たおかげで、いろいろと考えることができた。

中流危機

 かつて一億総中流と呼ばれた日本で、豊かさを体現した所得中間層がいま、危機に立たされている。世帯所得の中央値は、この25年で約130万円減少。その大きな要因が“企業依存システム”、社員の生涯を企業が丸抱えする雇用慣行の限界だった。技術革新が進む世界の潮流に遅れ、稼げない企業・下がる所得・消費の減少、という悪循環から脱却できずにいる。厳しさを増す中流の実態に迫り、解決策を模索する2回シリーズ。

 2022年を生きている人間の一人として、「中流危機」という言葉はピンと来ないし、どちらかといえば「貧困問題」の方が身近に迫っているのだけど、それでも、(自分以外の)日曜日の夜のNHKを見る人たちにとっては、「中流危機」の方が、よりリアルかもしれない、と思う。

 この番組では、まずは、この25年で、日本という国がどれだけ貧しくなったのか、ということをデータで確認しているようだった。1994年と、2019年の25年間で、収入の中央値が約505万円から、約374万円と、100万以上、下がっている。

 そして、視聴者として深刻に思えるのは、すでにさまざまな場所で目にした記憶があるのだけど、諸外国と比べて、この30年で、実質賃金の上昇度数が圧倒的に違うことだった。

 アメリカ47%、イギリス44%、ドイツ34%、フランス30%。これらの国と比べると、日本は3%の上昇に過ぎない。日本だけではなく、他の国も、この地球で同じ年月が過ぎているはずなのに、これだけ差ができるとすれば、それは個人の努力ではどうしようもないはずだ。そんなことを考えてしまう。
 
 この番組に取材協力として出演していた人たちは、どの方達も、真面目に働いていても、経済的には苦しくなっているようで、それは、他人事どころか、自分はもっと貧しいから、さらに気持ちが重くなってくるのだけど、その解決策として、スタジオで出演していた大学の教授が示していたのは、「企業依存」を脱する、ということだった。

企業依存

 あまり聞いたことがない単語である「企業依存」を使っていたが、「依存」というのは「アルコール依存」や「薬物依存」など症状に使う言葉であるから、かなり強い表現であり、しかも、それは脱しなければいけない否定的な意味合いとして使われているようだった。

 その大学の教授は、こんなふうに話していた。

 かつては、企業も労働者も「共依存」といっていい関係で、それでうまくいっていた。

 その後は、所得が減り、購買力が下がり、経済成長も鈍っていく。
 社会システム全体が疲労している。

 中間層をめぐる雇用や経済政策も研究し、厚生労働省の審議会委員もつとめ、政策提言もしているというプロフィールが出ていたが、だけど、その言葉が届いてこなかったのは、終身雇用などの「企業依存」によって、かつては「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われる時代があったせいもある。

 そのことについては、全く触れられていなかった。

 どちらにしても、「企業依存」という言葉は、働いている人に責任を向けることになると思うし、それは「自助努力」という自己責任へつながっていきそうな表現でもあった。

豊かな人たち

 この番組の出演者は、実際に働いて、大変な思いをしている一般の人たちと、これまでの30年のことを「大所高所」から語る人たちの二種類に分かれているように見えた。

 「大所高所」担当は、スタジオで語る大学教授以外は、元日経連の常務理事連合の労働対策局長元厚生労働省の事務次官

 元日経連の常務理事は、企業の丸抱えは無理になった。だから、コストを下げて戦うしかない。それでも既存の社員の雇用を守った。そんな言い方をしていた。 

 連合の局長は、企業は雇用を守り続ける責任がある。それが日本的良さだったと語る。

 そして、元厚生労働省の事務次官は、バブル崩壊以降は何らかの手を打たないと、大量の失業者が発生するのではないかとの恐れがあった。そして、企業と労働者の合意では、賃金より雇用になった。1990年代からは試行錯誤と表現していた。

 スタジオの大学教授も含めて、「大所高所」担当の方々の、この30年の見方は一致しているように思えた。

 バブル崩壊以降、企業は雇用を優先させた。そのため賃金は抑えられた。既存の雇用を守るためにも、非正規が増えた。そして収入は減り、経済も下がっていった。


 確かにそうなのだろう。さらに、そうした分析はずっと聞かされてきた気持ちもあったし、それよりも視聴者として気になったのは、そんな分析をしている人たちのたたずまいだった。

 話している内容も、特に、元日経連と、元事務次官の方は、遠い出来事を話しているように見えた。裕福さが分かるような服装や、話している本人の背景は高いビルからの風景だったりもしていた。

「豊かな人たち」が、中流危機という状況を語っているように見えた。

 企業と労働者。立場は違うが、力を合わせて危機を乗り切るべきではないか、といった表現にも思え、自分自身の屈折した見方かもしれないけれど、いわゆる「共助」と言える事を、「中流よりも上にいるような人たち」が語るように思えてしまった。

 だから、これは中流以下の人間のひがみもあるのだとは思うけれど、その「豊かな人たち」が、中流危機という状況があるとして、そのことを本当に、切実に考えることができるのだろうか、と感じてしまった。

政策

 この下がっていく30年間の経済状況は、構造的なものであって、個人の力ではどうしようもないものではないだろうか。

 だから、スタジオの大学教授も、政策についても触れていた。

 政府は、財政支出をし、規制緩和をおこなった。
 株価は回復した。さらに経済的に余裕がある人を増やして、それが滴り落ちるように、その下の層も潤っていくという「トリクルダウン」を期待したが、実質賃金は伸びず、経済全体も下へいってしまった。

 だから、効果は、それほどなかったと指摘していた。

 政策について、それほど肯定的ではなかったけれど、これからのことを考えたら、専門家として、何が違っていたのかを、もう少し具体的に指摘してくれないと未来につながらないのに、とは思っていた。


 さらに、ここ何年かよく聞くようになった企業の「内部留保」の話題にも触れた。
 現在、過去最高額を記録しているぐらいだから、視聴者としても、この内部留保を何とかすれば、賃金アップにも繋がりそうだし、と思った瞬間、スタジオの大学教授は、サラリと話を続ける。

 今回のコロナ禍のように、見えないリスクがいつ来るか分からないから、内部留保をしている側面もあります。

 そんなやや曖昧な言い方だったけれど、その内部留保に関しては、否定的ではなく、現状追認のように見えた。

「豊かな人たち」の視点

「豊かな人たち」にとっては、現実の状況を、否定的に見ること自体が、難しいのではないか。それも、その当事者は、穏やかな善意と、現状に飲み込まれることなく、冷静な知性に基づいて考えている、という意識なのではないだろうか。

 そんな疑念すらわいてしまった。

 G7の中で、日本だけが実質賃金が、30年も上がらないのであれば、それは、政策という「公助」が機能していない、と思うのが自然ではないのか。

 それが真っ先に指摘され、もっと話し合われるべきなのに、「企業依存」から脱することがテーマになっているのは、働いている人間に課題が丸投げされているようにも感じてしまうのでは、中流以下の人間の偏見かもしれない。

 2020年、コロナ禍の中で、与党の首相が交代した時に、いきなり「自助・共助・公助」と宣言したけれど、その姿勢に、この番組の中でも、まだ従っているようにさえ思えた。

内部留保

 たとえば、企業の内部留保に関しては、批判的な見方もある。

 実は、財務省も企業が投資にカネを回さず、内部留保を増やしていることを問題視してきた。12年頃には省内の中堅官僚を集めた勉強会で、日本が成長しない原因は何かを議論し、グローバル化に乗り遅れたことと並んで、企業が再投資せずに内部留保を増やしていることに原因があるという結論を導き出していた。
 企業が内部留保を貯(た)め続ける行動を取るのはなぜだろうか。
 大きいのは経営者の「保身」である。投資をして失敗すれば責任問題になるが、何もしないで業績が伸びないのなら、経済環境のせいにできる。特にバブル崩壊後の20年間、伝統的な大企業では「縮小均衡」を目指す経営者が多かった。リスクを取って事業を拡大するよりも、合理化や経費削減で均衡を目指す。そうした人材が評価され、偉くなっていった。リスクを取ったやり手の営業マンなどは、失敗の責任を問われてどんどん外されていった。それがデフレ時代の日本の大企業の姿だったと言っても良いだろう。

 こうした指摘は本当に的外れなのだろうか。そうしたことも含めて、NHKのドキュメンタリーも、時間が足りないとすれば、2回だけではなく、3回の放送にし、本当に検討すればよかったのにと思えた。

賃金アップ

 このドキュメンタリーは、2回シリーズだった。
 2回目のテーマは「賃金アップ」。
 
 まず聞き慣れない言葉が出てきた。

 リスキング。

 これは、これからの成長産業に個人が転職が可能なように、新しい業務に必要な能力を身につける事を指すらしい。リスクに備えて、という意味なのだろうか。

 さらに、オランダは、同一労働、同一賃金を実現していることも話題になっていた。

 視聴者にとっては、どちらも国をあげて、この政策に取り組んでいる印象だった。ドイツのリスキングも、労働組合が、国に対して研修を受ける権利を要求して実現しているし、オランダも政府、経営者団体、労働組合が協力しあって、法律を制定させている。

 こうして国策として取り組んだから、この30年で実質賃金がアップしてきたのだろうな、と思ってしまい、これを個人で同じような方法を取るのは、ほぼ不可能な気がしてくるから、この番組のように、本当に「賃金アップの処方せん」があるとすれば、それを渡す相手は、だったり、経営者団体なのに、などと思ってしまう。

「豊かな」人への気持ち

 このドキュメンタリーの2回目のスタジオでも、基本的には、アナウンサーも含めて、経済的にも「豊かな」人たちが話しているように思えた。

 だから、ドイツやオランダを取材したVTRを見た後は、私のような視聴者は、これは政策に関することで、自助努力ではどうしようもないと思えたし、スタジオの中では、労働組合である連合の人だけが、“政労使”と、政界と経済界と労働組合の連携を訴えていたのだけど、他の人たちは、あまり切実さがないように思えた。

 大学の教授は、格差が少ない方が、経済成長が高い。同時に、成長戦略の民主化を訴えていた。新しい資本主義実現会議にも属しているらしい経営者は、企業の意識改革を語っていた。

 そうした分析的で、冷静な見方をするのが、その「豊かな人たち」の役割かもしれないが、でも、労働組合の人以外は、他人事のように話をしていた印象だった。

 それは、もっともなことや、正しい話をしているのだろうと思えても、でも、その人たちが、もともと、豊かな階層の人ではないか、と感じてしまうと、なんだかモヤモヤしてしまう。

 だから、こんなふうに、やや混乱したような道筋の話になってしまったのだと思う。


階層の固定化と、一億総中流の「幻」

 もちろん、過酷な環境で育ち、その上で成功した人たちが、厳しい環境にいる人たちに対して、必要以上に苛烈になってしまうことも少なくないとは思う。

 それでも、豊かな階層に生まれたわけでもなく、その上で知的な力を身につけることができた人が、格差の問題点と、その解決への道を示し、それが少しずつ広く支持されていくようなことを、それがほとんど不可能だと分かりながらも、改めて願ってしまっている自分がいることにも気がついた。

 それは、時代が進むごとに、おそらくは想像以上に階層の固定化が進んでしまっている事や、「豊かな人」しか厳しい状況を語れない現実を、テレビ番組で見せつけられた気がして、だから、叶えられない願望として、改めて、気持ちの中に生じてしまったのだと思う。

 実は、この「一億総中流」が幻ではないか、というのも薄々とは気がついていたように思う。

 それでも、それが信じられていた頃は、経済が成長していて、その余裕で、おそらくは社会の中にコントロールしきれないスキマができて、そのことで、今ほど階層が固定されていなかったから、本当に未来が明るく見えたことがあった。

 そういう時代は、2度とこない。

 

 それを分かった上で、どうしたらいいのかは、今のところ、わかりません。もし機会があったら、未熟なのは分かりながらも、考えていきたいと思っています。




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