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「努力が報われないこと」について、もう少し考えた方がいいのかもしれない。

報われない努力」について、考えることが多くなったのは、大げさにいえば、自分がそういう「運命」の中にいることを、いよいよ認めざるを得なくなったからだと思う。

野望を持たないこと

 こうした文章↑を書いて、それで、覚悟がある程度は決まった。さらに、努力が報われるかどうか、といったことを思うのは、どちらにしても、どこか野望というか、欲が深い自分がいるから、ということに気がついたせいもある。

 例えば、ミュージシャンの和田唱が、ラジオ番組で、「これからの野望」を聞かれて、こうした答えをしていた。

 ないです。そういうの持つとかなえられないと、なんだか、それだけでがっかりしてしまって、よくないし、曲も戦闘モードになってしまうし。毎日を穏やかに過ごしたい。

 若い時代は、逆に「野望」がなければ生きていけないのかもしれないが、歳をとるほど、野望どころか目標も希望も、持つと辛くなるのは、それが達成できたり、かなったりが、相当難しくなってくるせいだと思う。

 和田唱氏のように、外から見たら「成功者」であっても、そんな風に気持ちは変わっていくのかと思った。

「努力」をテーマにすることについて

 希望も持たず、毎日を淡々とやるべきことはやっていこうとは思っていて、そして、希望や目標を持つことを重視すぎるのは、先を見過ぎることでもあるので、日々をきちんと見ていこうと思って、虚無感や悲しさが少し減っていたような気がしていたのが、この予告編を聞いて、また悲しくなった。

 どうして悲しくなったのだろう。

 内容は、とてもポジティブだった。

 努力の質が変わってきているのではないか。効率的な努力、というものが、より普及している事。

 休むことも、努力ではないか。

 最近、「実力も運のうち」というマイケル・サンデルの本が話題になっていて、それは、努力できることも、例えば生育環境に左右されるから、個人ではどうしようもない事ではないか。といったような指摘をしているらしいこと。

 どれも、うなずける話だったのだけど、聞いていて微妙に悲しくなった。

 それは、努力のもう一つの側面。報われない努力の方が圧倒的に多いこと。大げさにいえば、「努力の暗黒面」みたいな話が欠けているように思ったからかもしれない。

 そして、そうしてラジオで話をしている人たちは、少なくとも今の時点で、「努力が報われている」から、そこにいるのだろうし、だから、「報われない努力」は、視点の外にあるように感じたからだった。

 それは、もちろん私にとっては、醜い嫉妬の面はあるけれど、「報われない努力」のことは、もう少し考えてもいいのではないか、と思っていた。

「努力主義」という「呪い」

 努力については、昔からの、ことわざみたいなものがあり、それは、自分にとっても、どこか「呪い」のように内面化している部分があるような気がする。

為せばなる。為さねばならぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり

 何も見なくても、漢字以外は、ほぼ正解を書けたから、自分でも思った以上に深く根付いてしまっているのだろうけど、これは、一種のずるい言葉でもあるし、ある種の信仰にも近い。

 努力する。成果があがる。

 これは、幸せなことのはずだ。

 努力する。成果が上がらない。それは、努力が足りないからだ。と評価される。それで、さらに努力する。そして、成果が上がる。

 これも、幸福なことだと思う。

 努力する。成果が上がらない。努力の不足を指摘される。さらに努力する。うまく行かない。努力不足と思い、さらに頑張る。だけど、成果が上がらない。また努力する。いい結果が出ない。歳をとる。努力する。病気になる。できる範囲で努力する。家族が病気になる。時間は減るけど、努力する。目に見えた成果は上がらない。そのまま亡くなる。

 この人は、努力が足りなかったのだろうか。

 成功すれば、努力をした。
 報われなければ、努力したことにならない。

  だから、「努力は必ず成果に繋がる」。この「法則」から見たら、努力は万能になる。

 だけど、努力が成果につながるには、もう一つ条件があることに、歳をとるごとに、肌に染みるように、分かるようになる。

 運がなければ、努力は成果につながらない。


(note『「モノにならない人生」への覚悟について』をすでに読んでいただいている方には、この先はやや飛ばして、「仕事のこと」から読んでいただければ、繰り返しが避けられるかと思います)。

10年続けること

 とても、個人的なことに過ぎないが、私にとって、介護は急に始まった。30代だった。母と、妻の母親の両方に、介護が必要になった。
 その後、自分も心臓の発作を起こし、仕事を辞めざるを得なかった。

 そこまでフリーのライターを10年やっていて、なんとか生活をしてきたのだけど、いわゆる売れないライターだったから、何度か仕事を断っただけで、仕事がなくなった。それだけ、能力がなかったのだと思う。

 それから何年かたって、介護だけを続け、何も未来が見えなかった頃、吉本隆明の、こんな言葉を知った。

「どんな仕事でも、10年間、毎日休まずに続けたら、
 必ずいっちょまえになれる」
つまり10年間、休まずに毎日続けて、
いっちょまえになれないようだったら、
「おれの首をやるよ」というところまで、続いた。

 吉本隆明の著作は、難解でそんなに理解できなかったけれど、この言葉には、どこか確信のようなものを感じ、その時の自分には、何もなかったし、何も見えなかったから、とにかく始めることにした。

 仕事としては、「書くこと」を辞めていたとはいえ、介護の合間に勝手に書いて、何かしらの賞に応募して、ということは続けていた。ただ、週に一度くらいの休みを入れたりしてしまっていて、毎日欠かさずではなかった。

 その時から、とにかく毎日、書くことにした

 母の介護と、義母の介護の両方になったけれど、すき間の時間に書き続けた。
 途中で母親が亡くなったが、隣の部屋で安置されている時も、書いた。
 体調が悪い時も、布団の中で書いた。

 介護を続けていく中で、家族介護者にこそ、心理的な支援が必要ではないか、と思い始め、その専門家がほとんどいるように思えなかったので、微力なのはわかっているけれど、自分でも何とかしようとして、支援ができる専門家になろうとした。

 母が亡くなってから、義母の介護をしながら、そのすきまに、心理学の勉強も毎日するようになった。

 毎日、書くことと、勉強することを続けた。

 そういう中で、一般的な知性も必要だと思い、読書の習慣が、40歳を過ぎて、やっとついた。あまりにも無知だったから、150冊くらいは年間に読まないと、と思って、お金もないから、図書館に通うようになった。大学時代は、1回も行かなかったのに。

学校に行ったこと

 母が亡くなってから3年後に、専門職の資格をとろうと考え、そのために必要だったので、大学院の入試を受けて、入学した。

 義母の介護を続けていて、夜中担当だったから、夕方に講義がある、というのが選んだ決め手の一つだった。さらには、伝統的に長くカウンセリングルームがあることも進学の動機になった。人間を相手にする仕事であれば、そういう場所に、言葉だけで伝えられない「何か」があると思ったからだ。

 初めて、学問が楽しかったし、その一方で、ちゃんと学ぶということは、体質を変えることだと知り、辛い部分もあった。だけど、年齢的に一世代下の同期もできて、ありがたかった。

 若い時は法学部で、卒論も書かなかったのに、初めて論文を書いた。長い修論になった。

 修了した年に、仕事を探した。
 介護を続けていて、夜中の担当だったから、午後数時間の仕事を探した。時給でのアルバイトのような非常勤しかない。

 履歴書を送っても、サイトから応募しても、面接まで進まなかった。今の就職活動では常識的かもしれないが、約70カ所に応募して、ほぼ反応がない頃、徒労感は強くなった。大学卒業の時、バブルの頃だから、就職活動は、もっと楽だったのを改めてわかった。

 封筒のフタが開いたまま、履歴書が送り返されたこともあった。その書類の中に、「慎重に」という形容詞があったけれど、本当とは思えなかった。電話で年齢を聞かれて伝えたら、絶句した後、もう少し若かったら、と言われた。もちろん、応募要項に「年齢制限」はなかった。

 その年に、とにかく毎日書き始めてから、丸10年が経った。
「いっちょまえ」になった感じは全くしなかった。
 
 吉本隆明氏は、その前年に亡くなっていた。
 10年毎日続けても、誰もが「いっちょまえ」になれるわけではないと思った。

 そろそろ、気がついていた。

 運がないと、努力は報われない。

仕事のこと

 大学院修了の年に、資格試験があった。

 筆記試験も、面接もあって、その時に、仕事が見つかっていない、社会人学生だった場合は、特に面接で、ほぼ合格しないと言われていたらしい。

 それでも、なんとか合格し、翌年、紹介で、目指していた、介護者を支援する相談業務を始めることができた。同業者の先輩の方に紹介してもらった。この20年くらいで、初めて、運がいいと思える出来事だった。ただ、その仕事は月に1度か2度しかなかった。

 そこから介護も続き、介護者支援の仕事はベストを尽くし、勉強もし、介護者の理解促進のために、心理学系の学会での発表も何度かおこなった。

 その介護者相談の仕事は、1年ごとに契約更新で、継続できているのはありがたかったが、月に一度か、二度よりは増やすことができなかった。他の場所への、介護者支援の仕事の広がらなさに、焦りと無力感が募っていった。

 義母の介護は続いていて、100歳を超えた。立ち上がることもあまりできず、耳はほぼ聞こえないままだったが、食欲もあり、元気なのはありがたかった。ただ、私の眠る時間は少しずつ遅くなり、午前5時を過ぎた。疲れは抜けないまま、時間がたった。だから、実質上、仕事を増やすことも難しかった。

 書くことは毎日続けていたが、仕事として繋がることもなく、他の専門職の仕事は、履歴書を送って落ち続けた。自分の履歴書は、とても「弱い」から、仕方がないと思っていた。

 最初の民間資格に加えて、国家資格の試験も受けることもできて、幸いにも合格した。

 その試験の年に、義母が亡くなり、19年間の介護生活は終わった。
 気がついたら、自分は随分と歳をとっていた。

 

 心身の消耗は思ったより激しく、介護が終わってから、昼夜逆転の生活を修正していくには、思ったよりも時間がかかった。

 介護終了後、1年が経つころ、やっと午前中に起きることが苦痛ではなくなった。

 その頃、コロナ禍が始まっていた。
 妻は持病を持っているし、感染しないことが、優先事項になった

 仕事は、幸いにも、少し増えた。それでも生活できないレベルだったが、極力、外出を減らすために、仕事をこれ以上、増やすこともできなくなった。貯金を崩しながら、どこまで持つか分からないし、気持ちに余裕はなかったが、どうにかして乗り切ることを、今も考えている。

 書くことは、毎日続けている。15年以上はたった。

 この1年は、このnoteの投稿を始めた。

「習慣」の種類

 続けていることは、あと少しある。

 介護中に、心臓の発作を起こしたので、今は薬を飲み続けなくても良くなったのだけど、体重を減らすためにダイエットと筋トレを始めた。2年で20キロを落として、リバウンドしないために、その2つはずっと続けている。アルコールは一切飲まなくなった。介護中に腰などを痛めたことがあったので、それを防ぐために筋トレの強度は少しずつ上げて、それも、15年は続いている。

 書くこと。
 仕事に関する勉強と、一般的な勉強。
 仕事。
 ダイエットと筋トレ。

 どれも継続して、すでに、努力というよりは、やるべきこととして「習慣」になっているが、それでも、才能が足りず、組織に属することもなく(属せない、といった方が正確だと思う)続けていることもあって、今も貯金を崩していく生活のままだ。

 このくらいの努力は、している人は大勢いるし、それ以上の努力をしている人の方が多数派かもしれない。でも、その人たちの全てが、その努力に見合うような成果を上げているかといえば、そうとも限らない、という印象もある。

 やはり、運の要素が大きいと思う。

成功者だけが「努力」を語りすぎているのではないか

 多分、成功していない者のひがみとか、嫉妬とか、そんなことも言われそうだし、とても嫌がられるようなことを書き連ねているようにも思う。

 だけど、人の努力とか、工夫とかは、それほど可視化されるわけでもないから、努力や工夫そのものを比べることもできず、ただ、成果を上げた者だけが、「努力」のことを語っているように思う。

 近年、その信頼性などに、さらに検討の余地があるとはいえ、成功には努力や才能よりも運の要素が大事、といった報告もされるようになっている。

 とするならば、表向きの成果と、努力イコールに語りすぎてはいけないのではないだろうか。

(この本↑のタイトルも、「偶然を味方にした人だけが成功する」にすべきかもしれない)。

 成功者は自らの努力や才能によって、成功を収めたと思いがちで、それも無理はない。だけど、それは運があってからこそのことで、運がなかったら、同じように才能や努力があったとしても成功するとは限らない。

 それは、歳をとるごとに実感として、身に染みるようにわかってくるような事でもある。

それでも必要かもしれない希望

 今は、個人的には、努力が報われないのはわかっていて、努力はしている。期待や希望を持つのは、中年を過ぎると、返って辛い。ただ、人間だから、どこかで、もしかしたら、と思ってもしまう。

 ケンタッキーフライドチキンの創業者は、65歳で創業した。葛飾北斎は、富嶽三十六景を60歳を超えてから描いている。そんな情報は、若い時にはあまり関心がない。もっと早く、努力が実を結んで「成功」すると思っているからだ。

 だけど、歳をとって、運がない以上、いくら努力しても成果の上がり方は大したことがない、と分かってきても、それだけを抱えて、毎日を生きていくのは、かなりシンドイから、だんだん、歳をとって成功した人たちのことが気になってくる。

 おそらくは、遅く成功した人の方が、若くて成果を上げた人よりも、もっとレアケースであることは、わかっていながら、心の中の目をつぶっているのは、そんな実例を、どこかで希望として抱えていないと、しんどすぎるからかもしれない。

成功していないのは、努力をしなかったからではない

 それは、成功していない人間への、社会からの視線が辛い部分もあるのだと思う。(内面化した自分自身の視線も含めて)。

 自分で選んでいるから、仕方がない部分もあるが、組織に属さないで働いて、成果をあげるには、いくら努力しても、運がないと難しい。

 だから、「成功していない人は、努力してない人ではない」。(と思いたいだけかもしれない)。

 それを、常識にするには、成功者だけが「努力」のことを語っているのではないかと再検討し、成功はしていないけれど、驚くべき努力をしている人もいるに違いがないので、そのことも語った方がいいのではないか、と思う。

 それは、慰めとか、同情とか、そういう事ではなく、追い詰められて、暴発する人(自分でも体調が悪い時などはそんな気持ちにもなるが)を少しでも減らすため、ということもある。

 格差が広がっている時代ほど、必要な作業だと思う。

成功者の発言

 いろいろな経験をして、それでも成功した人は、やはり、その「運」については、理解しているのではないか、といった場合もある。

 エンジェル投資家として成功し、経済的には自由になり、京都大学でも講義をしていた瀧本哲史氏は、東大での講義の際、「失敗した人に対して、どうすれば?」という質問に対して、こう答えている。

 基本的に僕は、生活保護とかベーシックインカムとか、その手の施策を強化するのはいいことだと思っていますが(中略)
 この中からもし成功する人が出てきたら、「自分はたまたま成功したにすぎない」と思って、隣の席にいる、同じように才能があった、たまたま失敗したにすぎない人を助けてあげてください、っていうのが僕の答えですね。
 そういう世界観で、僕は生きてますんで。はい。 

 たまたま、というのは、運であろうし、こうしたことも常識になれば、チャレンジして努力して失敗したらどうしよう。といった恐れが逆に減少し、力も発揮しやすくなりそうだと思う。

 さらに、「失敗したのは、努力不足ではない」社会の視点が変わるだけでも、これから先の自分への「保険」のようで、卑怯かもしれないけれど、ありがたい。

 ということは、同じように感じる人も少なくないと思う。

「報われる努力」という表現

 それに加えて、「努力が報われる」という表現そのものも見直した方がいいのかもしれない。

「報われる」という言い方に、苦労とか苦痛とか義務との引き換えとしての「成果」のようなニュアンスが強い。

 そうであれば、報われない場合には、そこに怒りや恨みなどが乗ってしまう可能性もある。辛くても成功するために努力したのに。になってしまってもおかしくない。

 元々、どれだけ努力しても、運がなければ、成果も上がらないし、成功もおぼつかない。

 それならば、努力を辛いものとして、考えるよりも、やりたいこと。気がついたらやっていること。それをしていけばいい。それが、成果に結びつけば、ベストなのだろうけれど、その時間がなるべく楽しければ、成果が上がらないとしても、恨みや悲しみに結びつきにくいと思う。

 これは、まだ整理されていない未熟な考えだが、「運」というコントロールできない要素が重要である以上、改めて検討してもいいように思う。

 

 ここまで書いてきたことも、成功者から見ると、ちょっと古い表現だけれど、「負け犬の遠吠え」とか、「敗者の言い訳」に聞こえるのだと思う。

 ただ、格差が広がる一方の現状では、努力と成功は、運がなければ結びつかない。という点を明確にした方が、成功者の必要以上の傲慢も防げるから(累進課税の根拠にもなると言われている)、一石二鳥だと思うのだけど、それでも、やっぱり、ネガティブな屁理屈に過ぎないのだろうか。



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