「現代のヒーローの難しさ」-----『僕のヒーローアカデミア』 第6期
最初は、ハリーポッターシリーズの格闘技版のように思っていた。
「エリート」を集めた学校で、21世紀の「正しさ」をもとに、正義を貫くために強くなっていくが、その戦い自体も、とても正しい。
「ヴィラン」
主人公は、「個性」(という名前の超常能力)を持つ人間が当たり前になっていた世の中で、元々は、無個性だったのに、当時のナンバーワンヒーローから、その「個性」を譲り受けることになる。
そして、ヒーローを養成する「学校」に入学し、そこで成長する話として始まった、と思う。
その「学校」での話は、豊かな私立学校のようにも見えるハリーポッターシリーズに似ていて、(人よりも優れた「個性」を持つという意味でも)エリートの物語に見えていて、その時は、教育的なアニメにさえ思えていた。
その印象が変わったのが、アニメの「第5期」からだった。
「ヴィラン」と呼ばれる存在は、同じように「個性」を持ちながら、それが、社会に適合しないために、「悪役」のようになっていく、ということだから、それは、差別にも関わってくる物語でもあった、と思う。
その「ヴィラン」の主要人物が、それまでは屈折した気配だったのが、自分の「個性」のために、自分の大事な存在までも失ってしまうという封印していた記憶が蘇るとともに、世界への本質的な憎悪が爆発し、同時に、個性も、質が違うほどパワーアップして、存在そのものが魅力的になった。それは、それまでの物語の枠を超えてしまうほどに見えた。
この「ヴィラン」に対して、ただ倒すだけでは、現代のヒーローとしては失格になるかもしれないから、どう戦っていくのだろうか、と思って、第5期が終わった。
現代のヒーロー
いつも朗らかで揺るぎがなく、悪に対しては絶対的に強く、弱い者は必ず守る。そして、悪を倒すことに対して、悩みも戸惑いもない。
それが古典的なヒーローだった。
だけど、いつの間にか、そうした葛藤もないような、まぶしいけれど、心ツルツルの存在は、ヒーローとしてふさわしくなくなっていったのが、21世紀だった。
絶対的な正しさがない時代になったことを反映して、アメリカンコミックのヒーローたちも、特撮の技術がとんでもない質になってきた画面の中で、お互いに戦いあったり、自分の正義の理由について悩んだりするようになった。
そして、日本の「強者」たちも、変化している。例えば、「ケア」の視点から文学を分析し、再評価などの、現代での重要な仕事をしていると思われる小川公代氏は、『約束のネバーランド』や『鬼滅の刃』についても、こうした指摘をしている。
『僕のヒーローアカデミア』の主人公も、これまでの行動原理は、誰も見捨てない、のように見えていたから、世界全部を呪いたくなるような過去を持つ「ヴィラン」に対して、どのように戦っていくのか、については楽しみだった。
(※このあと、アニメ「第6期」の内容についても触れます。もしも、未見で、何の情報もなくアニメを鑑賞したいという方がいらっしゃったら、ご注意ください。また、以下の文章は、視聴者としての記憶や印象をもとに書いていますので、細かい点が間違っていたら、すみません)。
『僕のヒーローアカデミア』 第6期
第6期は、2022年10月から始まった。
その前のシリーズで、どのように戦っていくのだろうか、といった視聴者の期待よりも早く、戦いは始まり、そうなれば、市民を守るためにヒーローたちは、戦わなくてはならない。
そのストーリーが進んでいく中で、「ヴィラン」の事情も、以前よりも詳細に語られた上で、同時に「ヴィラン」の強大さに、ヒーロー側は傷つき、命の危険にもさらされ、そのことで、誰も見捨てない主人公は、とにかく相手を止めるために、だから、倒すために戦わなくてはいけなくなる。
こうなると、相手の事情を考えなくても良くなる。
自分だけならまだしも、市民が、そして仲間が危機にさらされていたら、戦いの動機が、ほぼ無条件に上がるのが主人公だからだ。
このまま、大勢のヒーローが死力を尽くし、ヴィランとの戦いの激しさで、ストーリーを押し切るのかと思い、ちょっとがっかりしかかったころ、主人公は倒れ、強大な「ヴィラン」も傷つき、一時撤退をよぎなくされる。だから、いったん、戦いは休止になる。
「助ける」ということ
他のヒーローたちが、次々と回復していく中、主人公だけが長く意識を取り戻さない。
それは、主人公の「個性」が、代々受け継がれてきた「特殊」な力であり、その「個性」が蓄積しているという多様性を持っている。だからこそ、そのヒーローたちが、この世にはいないとしても、「個性」として、主人公の中に今も「存在」していて、いわゆる「脳内会議」を続けているからだった。意識を取り戻したら、主人公は、この「会議」に参加できない。
その中で、現在の主人公に、自分たちの「個性」を引き継がせていいのか、といった根本的な話し合いになり、主人公も意識を失っているがゆえに、この「脳内会議」に参加しているが、その時にテーマとなったのが、強大な「ヴィラン」に対しての闘い方だった。
主人公は、憎しみをぶつけてきて、本気で倒し、自分の代々受け継がれてきた「個性」を奪おうとしてきている「ヴィラン」に対しても、相手は助けを求めている。だから、助けたい、という主張を譲らない。
その主張に対して、歴代のヒーローでも意見が分かれるが、最終的には、その「ヴィランでさえ助けたい」と思える人間だから、これからも一緒に戦う、という結論になり、そして、主人公は意識を回復する。
最初からの「ヴィラン」は、たぶん存在しない。強力な「個性」を持ち、それが社会的に適合していないという理由だけで、排除されようとされ、そのため、「ヴィラン」にならざるを得なかった。
そんなストーリーも、「第6期」で、描かれていたから、そうであれば、そうした存在も、最終的には「助ける」ことができなければ、現代のヒーローとは言えないのだろう。
同時に、その強大に成長した「ヴィラン」の背後にいる、今では悪意だけでできているような「ナンバーワン・ヴィラン」に対して、どのように戦い、どのように変化させ、場合によっては、「助ける」ことをするのだろうか。
そうなれば、より難しい戦い方になるはずだけど、それは、「第7期」以降に持ち越されるようなので、興味は続いている。
「世界観」の再構築
同時に、これまでは前提となっていた、この「ヒーローアカデミア」の世界観自体が、「第6期」では、いったん崩れかかっている。
主人公に「個性」を譲った元・ナンバーワンヒーローの座を、次に守っている現・ナンバーワンヒーローの「家庭の事情」が明らかになり、それは、一般市民から見たら、「子どもを見捨てて、その結果として、その子はヴィランになった」という許し難い「事実」であった。
さらには、「ヴィラン側」の情報戦によって、他のヒーローたちの信頼も崩れ去りそうになっていて、今は、ヒーローに対しての不信感も、かなり大きくなっている。
ヒーローの存在そのものが、根本から問われるようになってしまった。
その上、主人公は、自分の「個性」が狙われているのを知っているので、他の人たちに迷惑をかけたくない、という理由で、要塞でもある「全寮制の学園」を出て、そして、一人で思い詰めたように戦い続ける時間があった。
それは、ヒーローらしい明るさがない場面だったが、そこに、学園の仲間が無理矢理にでも呼び戻しにくる。だが、その要塞でもある「学園」には、一般市民も避難していて、主人公が「ヴィラン」に狙われているのも知られているから、当初は、その帰還さえ、拒否されている状況になる。
「ヴィラン」というマイノリティの存在。本来、ポジティブな存在だったはずのヒーローが、ネガティブに転じた後のあり方。そして、戦う相手の助け方。
それも含めて、次の「第7期」は、これまでとは違う世界の再構築がされるはずだけど、そんな難しく、現代の課題でもあることまで、今のアニメはなんとかしなくてはいけないから、考えたら、とても大変なことだと、改めて思う。
そして、原作は「少年ジャンプ」に連載されているのだけど、「友情・努力・勝利」だけでは、どうにもできなくなったのが現代だと思うと、なんだか感慨深い。
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