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「頭を下げる」のは、今も「仕事の大変さ」の象徴のままなのだろうか。

 郷ひろみが、定年後の「オヤジ」を演じるドラマがあった。

 いつもの「ヒロミゴー」ではなく、演技でも健闘していたと思うけれど、体つきは、やはり引き締まっていたのが「不自然」にも感じたが、実年齢を考えると、普段の「郷ひろみ」が、どれだけ特殊なのかがわかった気もした。

頭を下げる

 このドラマの中で、本筋とは違うのだけど、郷ひろみの演じる「定年オヤジ」が、自分が長年勤めてきた銀行での仕事の大変さを表すのに、こんなセリフがあった。

 嫌な上司に頭を下げ、取引先にはおべっかを使い。

 それを、顔をしかめて語っていたし、ドラマの中では、ある程度は、共有できる価値観として描かれていたはずで、それを示すように、おそらくは30代くらいの、会社勤めの息子も、同様の言葉を発する。

 その時、反射的に視聴者として、こんなことを、思った。

 仕事の大変さは、そこが本質なのだろうか。確かに、自分の感情とは違うコミュニケーションは苦痛かもしれないけれど、仕事の大変さは、自分の能力を含めて、様々な制約の中で、どうやって仕事の質そのものを上げていくか。それが本質だと思ってきたので、(それができているかどうかは別として)こういうセリフを聞くと、微妙な違和感を覚える。

 ただ、昔は、仕事の愚痴のベスト3に入るのは「嫌なやつに頭を下げる」ことだったのも、個人的な実感でもあったので、郷ひろみや、息子役のセリフへの違和感は、「頭を下げる」のが、2020年代の今も、「仕事の大変さ」として言われ続けていることだった。

 フィクションとはいっても、それは社会を反映しているものでもあるから、今もビジネスパーソンの中では、「頭を下げる」ことは、仕事の大変さの重要な要素であり続けているのだろうか、と少し疑問に思った。

「半沢直樹」

 頭を下げるか、下げないか。それよりも大事なことは、仕事そのものの成果をあげることだと思っていたし、生活の中でも、必要であれば、相手が誰であっても、当然のように頭を下げてきたつもりだった。

 頭を下げることにこだわるのは、もちろん理不尽に屈しない場合には必要だとは思うのだけど、それ以外でも、そのことを重要視しすぎる人は、プライドが高すぎる、ということかもしれない、と疑ってきた。

 だけど、それは、自分自身が、組織の中で働いた年月がとても少なかったり、もしくは、単に恵まれていたことかもしれない、と思うこともある。

 このドラマは、視聴率も高く、自分自身も珍しく、複数の会社勤めの経験が長い人にすすめられたから、大勢の人が見ていたのだろうけど、テーマの一つが「頭を下げさせる」になっているように感じた。

 それを見ることが、視聴者として気持ちよさを生むのであれば、その人は、普段は、「下げたくない頭を下げている」ということなのだろうし、確かに理不尽なことばかりを言ってくる上司であれば、それは苦痛になるはずだと思う。

 それでも、このドラマ「半沢直樹」は、基本的には会社内の「社内政治」ばかりをしているように見えてしまったし、自分にとっての「敵」がいるのであれば、違う会社から追い込む方が早いのではないか。と思ってしまったし、難しいけれど、「敵」がいる会社ごと潰すようなことを目指した方が、エネルギーの使い方としては効率がいいようにも思ってしまった。

初回の接触率を横軸、最終回を縦軸にグラフ化すると、FC(女4~12歳)とF1(女20~34歳)は、他の層と比べ明らかに伸びが鈍い。F3-(女50~64歳)やM3+(男65歳以上)が急伸したのと対照的だ。

 ただ、「半沢直樹」を支持していた年齢層は高いのも事実のようだった。
 だから、自分も他人事のように語れないけれど、もしかしたら、「頭を下げること」にこだわるのは、すでに古い価値観なのかもしれない。

銀行員と「半沢直樹」

 その一方で、元・銀行員であっても、「頭を下げる場面」を重要視しない見方があることも、10年近く前の記事で、改めて知った。

 エリート銀行員の痛快な復讐劇を描いて大ヒットしているドラマ「半沢直樹」。「やられたらやりかえす。倍返し、いや10倍返しだ!」という決め台詞にしびれ、悪徳上司たちに逆襲するシーンで大いに溜飲を下げている視聴者が多いだろう。筆者もその1人だ。人事部次長の小木曽を徹底的にやりこめる場面ではガッツポーズで喝采した。

日本興業銀行に22年間勤務し、半沢と同じく融資課長を務めた経験のある岩崎日出俊氏は、銀行関係者のほとんどが「半沢直樹」を熱心に見ていると語る。

ただし、岩崎氏の周りにいるエリート銀行員たちは「グッとくる」個所が筆者とは違うという。

「前半のドラマで大阪西支店融資課が発揮するチームワークは、現実の銀行業務に近いものがあります。半沢課長は部下を飲みに連れていって懐柔するのではなく、銀行員としての志と矜持を忘れずに働く背中を見せることで課を率いている。本来あるべき銀行員の姿を見せてもらい、『我々がやっている仕事はけっこう面白いのだ』と再認識した人が多いようです」

 ただ、それはエリートの見方であるらしく、通常は、そんなふうには見られないようだ。

大手銀行では3年ごとぐらいに異動があるのが普通だ。つまり、2年も待てば上司の異動か自分の異動によって相性の悪い上司と離れることができる。半沢のように反逆しなくても、じっと我慢していれば時の流れが救ってくれるのだ。

ただし、自分を貶めた憎い上司への恨みは晴れず、やるせない気持ちを抱えながら生きていくことになる。だからこそ、「半沢直樹」の復讐シーンでわずかに憂さ晴らしするのではないだろうか。そんな視聴者には同感するが、いかにも二流だ。半沢が行う融資業務の正しさや機を見て戦うしたたかさ、部下とのチームワークに共感を覚える一流の組織人との差を感じてしまう。

 引用が長くなってしまったが、この記事にも説得力を感じるものの、この2013年から7年後の「半沢直樹」も、「頭を下げさせる」ことでスカッとさせる構造ではなかっただろうか。

 そう考えると、「頭を下げること」が「仕事の大変さ」と、「自分にとっての大事なこと」である状況は、ある層では、あまり変わっていなくて、だから、最初の「半沢直樹」シリーズが放映された2013年から10年近く経った2022年の、郷ひろみが主演したドラマでも、相変わらず「頭を下げること」が仕事上の大事なこととして扱われているのだろうか。

「頭を下げること」へのポジティブな評価

 ただ、2022年時点だと、「頭を下げる 上司」といったワードを入れて、検索すると、比較的多く目につくのが、「上司に対して頭を下げる」のではなく、「頭を下げられる上司」がテーマだったり、「頭を下げられること」をポジティブに評価するような記事だった。

とかく会社とは理不尽なものだ。様々な制約のなかでビジネスパーソンは成果を出さなければいけない。「上司になんでペコベコ頭を下げなければいけないんだ。やってられない」というような経験をした人も少なくないはずだ。

 だが、2016年の、この記事では起業家、コンサルタントの今井孝氏の言葉として、このように続く。

「私の周囲を見てみると、できる人、結果を出している人ほど腰が低いです。すごい人になればなるほどその傾向は強くなります。すごい人ほど偉そうにせす自分を正当化しません。お会いするたびに『いつもありがとうね』『勉強させてもらってます』とか声をかけてくれます。こちらが恐縮してしまいます。」

「本気でやりたい仕事であれば、上司に頭を下げることくらい平気なはずです。頭を下げたくないのは、そこまでやりたくない仕事だということなのかもしれません。」

今井氏は、素直に頭を下げる人を見ると、「相当自信があるんだな」と感じるそうだ。自分に自信があるなら、他人に頭を下げるのは何でもないということになる。

 ごく真っ当な見方だと思うけれど、この記事が投稿されてから3年後の2019年には、「頭を下げられる上司」の記事↓も書かれている。

立場が上の人間に対してはどんな人でも頭を下げて謝罪することができます。しかしその人が本当の意味で信頼できる人物かどうかは、自分よりも権力や立場が弱い人間へどのように接するかで現れるのです。

部下からの信頼が厚い上司というのは、さらに上の上司だけでなく、自分よりも立場が下の相手に対しても誠意を持って謝罪ができる人なのです。

 確かに、もし、こうした上司のもとで働くことができれば、それだけで幸運だと思えてしまうし、これは、どこか、こうあったらいいな、といった願望のようにも思えてくるのは、特に、この10年で、職場環境は厳しくなる一方だからかもしれない。


(※ここから先に、厳しい職場環境の具体例も引用しています。現在、もしくは、過去に職場でのパワハラなどの経験があり、今もつらさが継続している場合、「大人のいじめ」の項目については、読まない選択も検討していただければ、ありがたく思います)。




大人のいじめ

 この本の帯には、こんな文章が載っている。

職場のいじめで精神障害を発症した件数が、この11年で10倍に!

 さらに、この書籍には、その具体例も豊富に紹介されている。

7月に配属された先で、教育指導の担当者からハラスメントを受けるようになったという。Bさんのメモには、7月上旬に「次、同じ質問して答えられんかったら殺すからな」「お前が飛び降りるのにちょうどいい窓あるで、死んどいた方がいいんちゃう?」「(飛び降りたら)ドロドロ●●(Bさんの名字)ができるな」「自殺しろ」という教育担当者の発言が記されていた。

 その上で、こうした事実もある。

同僚や部下によるいじめについても、労基署が「いじめ・嫌がらせ・暴行」と認定せず、業務上の「対立」であるとして、「トラブル」という扱いにしたため、労災として認められなかったというケースが少なくないと見られる。

業務による精神障害の最たるものとして、「過労自死」「過労自殺」という言葉がよく使われてきたが、いまやその大半は「ハラスメント自死」「職場いじめ自死」という表現の方が当たっているのではないだろうか。

 こうした状況であれば、「上司に頭を下げる」ことで何とかなったり、「取引先におべっか」で仕事が成立するのであれば、それは、とても恵まれた状況にも見えてしまうかもしれない。

 こうした時代の変化のためなのか、近年は、「嫌な上司に頭を下げる」ということが、大事なテーマではなくなっている可能性もある。

逃げ切り世代

 そうしたことを考えた上で、もう一度、振り返れば、このドラマの冒頭で、郷ひろみ演じる「部長」も、定年での送別会の後、さらに若い行員が「いいよな、逃げ切り世代は」といった揶揄をされていたから、やはり「古くて、疎まれる世代」として描かれていたのだと気がつく。

 その息子である男性が、似たような価値観を持っているのは、年齢に関わらず「古い世代」として描かれていて、だから、父子のどちらも、変わろうとするドラマになっていたのだろう。

 おそらくは、仕事の大変さを表現するときに、「頭を下げること」をあげる人たちは、「逃げ切り世代」に属するような価値観を持っている、ということになるはずだ。

 そうすると、この「頭を下げる」という言葉に、既視感によって気になってしまった自分という視聴者も、「古い世代」なのだと確認できた気がした。そう思うと、無自覚な分、自分自身では、恥ずかしさと、気がついていなかった怖さもある。

 この「逃げ切り世代」見られ方は、当然だと思う反面、職場環境が厳しすぎることも含めての変化だと考えると、手放しでは喜べず、でも、その一方で、「頭を下げるかどうか」ばかりにこだわる人たちが減るのは、改めて、その部分では、やはり健全な変化だとは思う。

頭を下げる上司

 2022年の10月スタートの、この医療ドラマ↑の中で、理想の上司ともいえそうな医師安田顕が演じている。

 第6話では、主人公のまだ若い医師(吉沢亮)に、上司でありベテランの医師でもある(安田顕)が向き合う場面がある。そのとき、患者の気持ちに届く治療ともいえるプランを若い医師が発案し、実行し、患者の思いを動かしたことに、感謝を伝えるために、頭を下げていた。

 謝罪だけではなく、自分ではできなかったことを部下が行い、優れた結果を出した時に、そのことに頭を下げるというのは、現代の上司としては正しいが、それでも、実際はなかなか見られないことだし、それだけに心を打つ場面でもあるが、今の時代の「頭を下げる」は、こういうことなのだとは思った。

 それでも、現代のドラマだと思ったのは、主人公の友人で医師でもある若い男性が、別の病院で、逃げ場がないほど追い詰められるような職場環境だと描かれていることで、フィクションとはいえ、今の時代の厳しさも描写されていると感じたからだ。


「頭を下げるかどうか」にこだわるのは、実はすでにも古くなっていて、それよりも、いかに仕事の質を上げるか、に意識が変化しているようだ。

 それは、時代の厳しさによる要請もあるから、無批判に喜べないものの、それでも、そういうふうに、「仕事の本質」で考えられるようになったのは、進歩といってもいいのではないか、と思う。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。






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