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読書感想 『走る道化、浮かぶ日常』 「純粋な自意識」

 どうしてこの本を読もうとしたのか覚えていない。

 これ読みたい、と思うと、その気持ち自体を忘れてしまうことも少し恐れているから、すぐに区の図書館が開設してくれているサイトがあって、そのマイページの「お気に入り」の項目に入れるので、その数は1000を超えた。

 すごくありがたい機能だけど、自分がなんでも「お気に入り」に入れてしまうので、その中を探しても、見つからなくなったりする。

 だから、「お気に入り」に入れるよりも、すぐに図書館に予約しても、人気があると100人以上の待ち人数がいたりするので、実際に読める頃には、失礼な話だけど、どうして読もうと思ったかも忘れたりする。

 今回も、そんな作品だった。手元に来た時は、何かしらの情報がなかったら、自分では絶対に読まないタイプの本だったと気がついた。


『走る道化、浮かぶ日常』  九月 

 1992年生まれ、青森県八戸市出身。京都大学教育学部卒業、同大学院教育学研究科修士課程修了。
 事務所無所属のピン芸人として、一人芝居風のコントを中心に活動中。
 劇場、アートギャラリー、バー、民家、廃墟、山、海など、全国各地で場所を選ばずコントライブを行なう。
 公演時間は短くて60分、長いと72時間にも及ぶ。
 このほか、コラム、エッセイの執筆も行なう。本作が初めての著書。

  著書の紹介には、こうした文章が並ぶ。

 これだけで、あまりいないタイプの芸人だし、京大の大学院まで出た学歴もそうだけど、どこにも所属しないで、しかもピン芸人として活動を続けている、ということは、どこか孤立している人なのではないか、という印象を持たせるプロフィールだった。

 少し前まで結構悩んでいた。人前に出るとき「京大卒の芸人」という肩書きがついて回ることが、じんわり嫌だったのだ。経歴上の事実ではあるし、母校への愛着もあるし、今の芸風やスタイルの重要な土壌でもあるのだけど、嫌なものは嫌だった。
 というのも、「京大卒芸人」という語は、しばしば「計算高い権力志向の実用エリートボンボン」くらいの響きを持ってしまうのだ。しかし僕の実態はほとんど真逆である。「頭でっかち屁理屈ぐうたら空想自我持ち肉団子」くらいに思ってほしい。それもどうかと思うけれど、そっちのほうがより実態に即している。実態よりよく見られたいとは思わないけれど、誤解はされたくない。

(『走る道化、浮かぶ日常』より)

 著者は、この書籍が出版されたときは、31歳くらいの時のはずで、今の時代であればまだ十分に若いけれど、30歳という人工的な区切りを前に、いろいろなことを考えるはずで、だけど、もし会社組織で働いていれば、自分のことよりも仕事のことが優先されるような時期でもあるはずだ。

 だけど、京大卒のピン芸人の「九月」は、おそらく20代からずっと自分のことを考える時間が長そうだった。今も、実質的には「計算高い権力志向の実用エリートボンボン」の能力は持っているようだけど、同時に、自分では「頭でっかち屁理屈ぐうたら空想自我持ち肉団子」という自意識でい続けている。

 これだけ純粋な自意識を保ち続けているだけで、それは才能なのだと思う。

考え続ける力

 著者の「九月」という名前は、芸人名で、それほど深く考えたわけでもないようだ。だけど、そこには、そうした命名という場面で、自分の意図や思いや願いなどを「他の誰か」にわかられたくない、といった理由のために、わざわざ無造作を選んだ気配は強い。

 ただ、そうした自意識を持続できているのは、何しろ考える力が強いせいだと思うし、考える時間をたっぷり使っているような気もするが、それは勝手な推測だけど、一人でいる時間が長いせいだとも思ってしまう。

 だからこそ、通常なら見逃してしまう、とても小さな引っかかりのようなことも、自分なりの答えを出せるのだろうとも、勝手に推測を重ねてしまった。

 例えば「センス」について。

 しかし、ものすごく面倒なことに、「センスいいよね」とは絶対に言われたくない。それだけは避けたい。言われた瞬間、センスの全てが終わる気がする。世の中には「そう思われていたいけれど、明言されたくはない言葉」というのがある。「センスいいよね」はそれの横綱である。

 考えてみてほしい。恍惚とした表情で、または涙を流しながら、もしくは真に感動しながら、「センスいいよね」と言っている人を想像できるだろうか。

(『走る道化、浮かぶ日常』より)

 視界に入っていて気がついているようで、でも実際にはわざわざ届かない場所に、読者の思考を連れて行ってくれるような表現が多い。

 そういったハズレの応援ワードの中でも、最も有名かつ頻繁に出会うのは、「今ここで頑張れない奴は一生頑張れない!」という言葉だろう。最悪過ぎる。大ハズレの応援ワードである。僕自身、子どもの頃は学校の先生によく言われたし、大人になってからもたまに聞く。

(『走る道化、浮かぶ日常』より)

 その場所は、少しだけ開けているような気がする。だけど、わずかに曲がりくねっているようにも感じる。

「好きなタイプは?」って聞いてくんな 

 一度だけあの質問への正解を聞いたことがある。飲み会の場で、同い年くらいの女性が言った。彼女の好きなタイプは「顔とか性格とかは何でもいいけど、集団の中で比較的地位が高くて、でも程よくハードルが低く、いじられ役兼ツッコミみたいなポジションで、ちゃんと重んじられながらも軽んじられてる人」なのだという。
 感心した。あのときは感心した。何せ、顔とか性格は何でもいいと言いながら、その後に続く条件に該当するような人ならば、確実に顔やら性格やらもいい感じに揃っているからだ。そんなにも遠回しに最高の理想を言い表すことができるとは。驚いた。彼女は言葉と人間への解像度が抜群に高いのだろう。嫌味のない言葉を使いつつも、最強の人間を表現することに成功している。 

(『走る道化、浮かぶ日常』より)

真っ直ぐでも、曲がっていても

 著者の自分のキャラクターへの認識ははっきりしている。

 それは、主観的だけではなく、客観性がないとわからないポジションのようだ。

 生まれてこの方、僕は「やや不思議ちゃん」のポジションに存在し続けている。

「やや不思議ちゃん」とは何か。それはすなわち、その集団において最もルールにのっとらない人である。例えば、小学校に無断でりんごを持って来るような奴である。

「やや不思議ちゃん」は、ルールを守るとか破るとか、そういう軸にあまり重きを置かないため、その辺は何だっていいのだ。

(『走る道化、浮かぶ日常』より)

 だからなのか、この書籍の中でも、真っ直ぐでも、曲がっていても、真面目でも、不真面目でも、もしかしたら、面白いかどうかにもそれほどこだわっていないかもしれず、だから、やたらと正面からの言葉も並んでいる。

 自分で言うことではないのだろうが、僕は物事を説明するのがなんぼか得意だ。ちょっとしたゲームのルールだとか、数学のわかりにくい問題だとか、最近の時事的な論争だとか、広く浅く何でも説明できる。
 そして「得意だ」と自負しているからこそ実感していることなのだが、説明という行為はかなりデタラメである。説明が上手いからって、頭がいいわけではない。コミュニケーションの技術にはカウントされるだろうけれど、技術以外の何ものでもない。わかりやすく説明できることなんて、「わかりやすく説明できる程度のこと」でしかない。説明が上手いだけの人間に騙されてはいけない。

 わかりやすい説明のために必要なのは、「知識の正しさ」や「視野の広さ」などではなく、「それっぽさ」でしかない。「説明がうまい」とは、ほぼほぼ「それっぽい」という意味でしかない。  

 実際のところ、僕が今このようにここに存在することに、説明可能なほどの必然性はない。いくつも偶然があって、出会ったものと出会わなかったものによって折り目がいくつも作られて、その果てにたまたまここにいるだけだ。そのときそのときを生きてきた自分は、ただただそのときを一生懸命に生きていたに過ぎない。別に「九月」になりたいと思って生きてきたことなんて一秒もなかった。ずっと目の前のことに不安で、ずっと目の前のことに一生懸命だっただけなのだ。

 本当に価値があるのは、本当に説明しなければならないのは、今このようにあることだ。今選ぶことができる何かを、今このように選び続けていることにこそ、大きな価値があるのだ。自分が今ここにあること、一度きりの人生がこの現在に繋がるものだったこと、そっちのほうがよっぽどすごい。そのことを祝福していたい。
 あなたにとってもそうであってほしい。   

(『走る道化、浮かぶ日常』より)


 社会に適応するために、というよりも、資本主義の社会で働き始めるために、それまで考え続けたり、悩んだり、漠然と不安だったりすることとは、心の中で縁を切っていくことも少なくない。

 それは、「中二病」とか、「青臭い」とか言われ、どこか馬鹿にされながら、捨て去ることを強要されたような気もするけれど、実は自分がそうしたことを考え続けるのに疲れていただけかもしれない。

 おそらく、「九月」が芸人として、いわゆるすぐに「売れっ子」になっていたら、こうして、自分と向き合うような時間でしか出てこないような言葉は、ここに記録されなかったかもしれない。

 これだけ純粋な自意識をキープしながら長い年月考えること自体が、かなり困難なことを思うと、この著書の文章は、想像以上に稀な表現なのかもしれないと改めて思った。


 不思議と、ほどよく静かな気持ちになれる作品だと思います。


(こちらは↓、電子書籍版です)。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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おちまこと
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