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読書感想  『ギフテッド』 鈴木涼美  「静かに繰り返すリズムで描く独特の世界」

 とても失礼な読み方なのかもしれないが、興味を持って読んで、面白いと思っていた小説が第167回の芥川賞候補で、気がついたら4作を読み終わり、あと1作品だけになっていたので、やっぱり『ギフテッド』も読もうと思った。

 さらに勝手な理由なのだけど、この小説を読むのをためらっていたのは、この著者の「ニッポンのおじさん」と「AV女優の社会学」を読んでいて、この2冊だけで判断などをするのは、やっぱり失礼だと思いながらも、対象と距離をとって書く人、といった勝手なイメージができていたせいだった。




(※ここから先、小説の内容についての描写もあります。未読の方で、何も知らないまま読みたい方は、注意していただけると、幸いです)。



『ギフテッド』 鈴木涼美

 自分の理解力や読む力の問題なのかもしれないけれど、最初は、やっぱり書かれていることが、かなり遠くに感じ、作品の中で繰り返されていることも、読者としての自分と無縁のように感じていたのだけど、読み進めていくと、読んでいる側まで、ちょっと意識がぼんやりしてきたような気持ちで、少し同期できるようになってきた。

 気持ちが落ち着くわけではないのだけど、だんだん心が静まってくるような感覚になってくる。それは、コロナ禍で「夜の街」といった粗いラベリングによって、まるで「敵」のように扱われていたことへの静かな反発なのかもしれないが、夜の仕事のことが個別で具体的に書かれているからだと思った。

 自分自身も、自分の仕事以外はとても無知で、酒を飲むのが仕事の大きな部分を占める接客業のことを全く知らないことを、読む進めることで、改めて分からされた上に、読者にもイメージできるように描かれている。

 今日家を出てから何を食べたか、順に思い出そうとするが、大通りに出てすぐ道の向かいにあるコーヒースタンドで買ったコーヒー以外はまるで覚えていない。お酒を飲むと、酔っている間は酔う前のことは思い出せない。酔いが醒めると酔っていた間のことが思い出せない。最近に限ったことではなく、十七で家を出て、酒を飲むことが仕事になってから、長らくそうだ。一日の半分を曖昧な記憶で過ごし、もう半分をほとんど消えていく記憶の中で過ごしている。現実ではない、妄想なのか幻覚なのかよくわからない記憶が頭をもたげることもあるが、妄想であってほしいと思うことだけは必ず現実で、私は常に小さく絶望している。 

 この小説の中では、主人公の勤めている場所は、「キャバクラ」とか「クラブ」とか、そういう名称ではなくて、「店」や「飲み屋」と表現されることで、当たり前だけど、当人にとっては、日常だということは伝わってくるし、淡々と、そして、勤勉に働くことを繰り返し続けているのもわかる。

 そのせいか、そして、微妙に意識がはっきりしていないせいか、元・同僚の死に関しても、もちろん軽く扱っているわけではないけれど、いろいろなことが起こって、そして繰り返される毎日に飲み込まれるように、だんだん注意が薄れ、他の出来事と一緒になっていくような気持ちになる。

ホストが笑うでもなく深刻になるわけでもなく、軽やかで親身な声で言った。ベテランホストは鴨がネギを背負っても舞い上がったり気忙しく焦ったりせずに、警戒する。

八百万は嫌な緊張感があっても、2百万は持ち歩ける。二百万の入った封筒を持ち歩く女はこの街に腐るほどいる。死にたいと言う女の数と大体同じくらい。

 だからなのか、夜寝る前に読んだら、思ったよりも安眠ができた。

母と娘

 主人公の母親は、重要な登場人物で、だけど、すでに病気で弱った存在として現れる。それでも、というか、それだからこそ、母と娘の関係に関するこれまでの感情が、改めて甦ってくるのかもしれなかった。

 この関係については、男性の私にとっては、おそらく最も遠いことの一つで、自分の母親と、その母親(祖母)に、怖いものを感じたり、妻と、その母親にも、踏み込めない空気があったりもしたので、分からないことしか分からないが、その母と娘の難しさと複雑さは、この作品でもずっと描かれ続けていく。

 母に、これだけ質問を投げかけたのは生まれて初めてだった。母は時々捲し立てるように私に問いかけたが、私は母に何か聞いたことがほとんどない。明日の夜は帰ってくるのか、なぜうちに父がいないのか、語学の教室と詩集の売り上げだけでどれくらいの収入があるのか、なぜ人に会わない時にも化粧をしてストッキングを履くのか、なぜ私がタバコを吸ってもお酒を飲んでも怒らないのか、なぜ父と会ってはいけないのか、私がこの街でどんな仕事をしているか知っているのか、私の嘘に気づいているのか、どうして私を打ったことも締め出したこともないのに肌を焼いたのか、何も聞かなかった。

 そして、その関係は、どこか微妙な遠慮がありながら、さらに続いていく。

夜と病院

 さらに、もう一つの舞台といっていい病院という場所の描写や、病人という存在や、医療スタッフの言動や佇まいも、実は独特で、こじつけかもしれないけれど、夜の世界の描写に感じるある種の狭さと、似ているように思えてくるが、それは、世の中で起きる出来事への距離感が同じ、という視点で描かれているせいかもしれない。

 痛み止めの効いた母は以前のように痛い、痛い、とは言わなくなったが、その分息が苦しいようだった。苦しそうに息をするのが、苦しいことを伝えるためにわざとそうしているのか、実際にそのような音になってしまうのか、私にはわからない。ぼやけた目で要領を得ないことを口にする母は、意識からぼやけているのか、あるいは目や口が意識と違う動きをしてしまうだけで意識や感情はまだはっきりとあるのか、それもわからなかった。

 そうした病人に対して、医師を中心とした医療スタッフ微妙に冷たく感じる接し方も、病院という場所では、生死が日常になっているから、そこで働く人間の距離のとり方かもしれないと思い、そのプロフェッショナルな姿勢は、夜の世界で生きている主人公と似ているようにさえ思えてくる。

「疲れちゃったかな、なるべく、あれやっておきたいなぁということを数日のうちに思いついたらするようにしてください。そのために助けが必要なら、お嬢さんでも、わたしたちでも、言ってもらえればできる限りのことをします」
 医師の勝手によって、私もできる限り助けるためのグループに編入させられた。私にできることの範囲で、母を救うような行為はおそらくない。
「はい」
 母は返事をすると一度目を閉じた。母の目をしっかり見ていた医師は母の方に少し視線を残しながら私の方に身体を向けて、最後に視線もこちらに向けて、小さく会釈した。廊下に出ていくのだと思って、私は見送るような形でドアの方に近づいた。ベッドから見えない位置まできて、あいた扉の廊下と部屋の間あたりに立って医師は、あとはもう、深夜でもなるべく電話が繋がるようにしておいてください、今夜かもしれないし一週間後かもしれません、と言った。私の前で笑顔を作ってナースたちも廊下へ出た。

おすすめしたい人

 母と娘の関係について、思うところがある人。

 毎日、同じ仕事を繰り返すことに疲れを感じている人。

 夜、寝る前に読む作品を探している人。

 いわゆる昼間のビジネスパーソン以外の働く人の日常に興味がある人。


 今回の紹介で、少しでも興味が持てれば、ぜひ手を取って、全部を読み通すことをおすすめします。当然ですが、その方が、この作品のリズムを十分に味わうことができると思います。


(こちら↑は、Audible版です)





(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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