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読書感想 『おいしいごはんが食べられますように』 高瀬隼子 「“組織の日常”の分かりにくい怖さ」
タイトルと、装丁は、柔らかく温かい。
読み始めも、その印象を裏切らないような感触だったのだけど、少しでも読み進めると、それがまったく違うことが嫌でも分かってくる。
怖いと思っても不思議ではないし、かなりえげつないともいえる細部の描写もあるが、それでも、その文章の清潔なリズムのせいで、ページをめくってしまう。
なんだかすごい。
『おいしいごはんが食べられますように』 高瀬隼子
二谷という男性社員。芦川と押尾という女性社員。
同じ会社に勤める、この3人が中心になって、月日が過ぎていく。
体が弱く、それだけではなく仕事はできないと周囲から思われていて、でも、料理は得意で、おそらくは普段の御礼のような気持ちも込めて、職場に手作りのお菓子を持ってくる。年齢が上の人ほど、守ってあげたくなるし、今の職場環境では、こうした人に強く接する人は、パワハラなどと言われ、返って悪者になってしまうのだろうと思われる芦川。
仕事ができて、それ以上に頑張る人で、だから、芦川に対して微妙な思いを持たざるを得ない押尾。
男性社員として、会社という組織に適応しているように見えるけれど、食に対して関心が持てない二谷。
この3人も、もしくは、この会社の他の人たちも、もしも実在して、外から見たら、おそらくは、どこにでもありそうな、それほどブラックではない組織に見えるのだと思う。
だけど、そこにいる人の気持ちは、時折、黒くて暗くて、怖くなることもあるのを、この小説は教えてくれる。
怒りと悪意
強い感情は、会社という組織の中では、それがそのまま表わされるわけもない。
そして、怒りや悪意も、何かが起こって、そこに反応するようなシンプルな現象でもなくて、さまざまなことがあって、いったんは忘れたようになっていても、実はなんらかの変化を、本人も分からないくらいにわずかに起こしていて、それが、次の何かで、また心の色や形を変えていく。
そうした変化を、その場その場で、かなり丁寧に具体的に描写されているので、読んでいる方の気持ちも、少し黒くなったり、ざわめいたり、暗さが増したりするような気がしてくる。
そして、組織の中での怒りや悪意は、人との関わりの中で生まれてくる。それも単純な1対1の関係でないから、複雑な生じ方もしているのも、伝わってくるような気がする。
別に芦川さんがそう言ってるわけじゃないじゃないですか。わたしはこれが苦手でできませんって表明してるわけじゃない。でも支店長も藤さんも他のみんなも、うちの支店に来てまだ三か月しか経ってない二谷さんでも、分かってるでしょう。それで、配慮してる。それがすっごい腹立たしいんですよね」
「まあ、でも、そういう時代でしょう、今」
「分かってます。でもむかつくんです」
そして、会社という組織で生きているのだったら、どこかで聞いたような気もするような、なんとも言えないざらつきを起こすような言葉も、さりげなく書かれている。
社内で一番残業が少なく、心身に不調をきたした人の異動先になりやすい部署の名前を挙げる。「毎日定時で帰れて、でも、おれらと同じ額のボーナスはもらえる。出世はないけど、あのままのらりくらり定年まで働けるなら、それって一番いい。一番、最強じゃん」
「働き方改革」への抵抗感の理由
このところ「働き方改革」で、とりあえず労働時間を減らす、という方向に時代は進んでいる。もちろん、他にも変えていかなくてはいけないことが多いと思うのだけど、でも、これまでの会社という組織に適応してきた人間には、「働き方改革」という変化自体に抵抗感があるように思う。
もともと、定時に帰宅するといっても、1日8時間も働いているのだから、それで十分なはずなのに、それ以上に残業をこなせないだけで、その人に悪意や怒りが向かうのは、本当はおかしなことなのではないか。
なぜ、そんな黒い感情が起こるのかと考えれば、負担を減らす方向への変化であっても、これまでの「組織」への適応が、本人にとって相当に無理を重ねて、やっと維持しているから、いい変化も、悪い変化でも、変化そのものに対応できなくなっていることに気がつきたくないから、生まれてくる憎しみなのかもしれない。
そんなことを、登場人物の言動を追っていると、考えさせられる。
あの人は弱い。弱くて、だから、わたしは彼女が嫌いだ。
どこに行ったって芦川さんのような人はいること、その人たちと一緒に働く日々が続くこと、あと何日、何時間、肩代わりする仕事があるんだろうということ。
「異常な環境」での「正常な反応」
さらには、健康的な食生活をすすめられる、というごく当たり前のことにさえ、こんな気持ちが向いてしまう。
ちゃんとした飯を食え、自分の体を大切にしろって、言う、それがおれにとっては攻撃だって、どうしたら伝わるんだろう。
本当は、この反応はおかしいはずだ。
だけど、この小説を読み進めながらだと、この二谷の気持ちの方に共感しやすくなっていて、それは、自分でも仕事をしている時に、それなりに頑張ってきていたかもしれないことを再確認するのだけど、こんな怒りや悪意が出てきてしまうことは、『「異常な環境」での「正常な反応」』なのかもしれない、とも考える。
やっぱり(今でも)労働環境が異常なのだ。そして、おそらく、「組織」での人間関係のあり方も、おかしいのだ。
手作りのお菓子を食べる時のマナー。大きな声を出しながら食べること。感動の演技を見せつけること。食べ始めの一口で「おいしい」とまず言い、半分ほど食べたところで「えーこのソースってどうやって作ってるんですか」と興味のないことを聞き、全て食べ終えたら「あーっおいしかった!ごちそうさま」と殊更に満足げに聞こえるよう宣言しなければいけない。
なんでケーキひとつもらうだけでそんな労力使わなきゃいけないんだ。って、なんで誰も言い出さないんだろうな。と、二谷は思うのだけど、フォークを持ち上げると「うまそう、いただきます」と言って、一口食べて「すげえ、めっちゃうまい」とも言って、それより後は黙って食べていた。
二谷の怖さは、こうした適応をしながら、それと同時に悪意も、矛盾するような方法で表出しているから、とても同じ人とは思えない時があるからだと思う。
そして、さらに言えば、「二谷」は、もしかしたら、どこにでもいるのではないか。というより、ある時期の自分ではないか。とも感じられるから、怖いのではないだろうか。
おすすめしたい人
会社に勤めていて、微妙な違和感を覚えている人。
これから、会社に勤めようとしている若い人。
会社に長く勤務している人。
芥川賞受賞という話題もありますので、できたら、一人でも多くの人に、ぜひ手にとってほしい1冊です。
(電子書籍版は、こちらです↓)。
ところで、余談ですが、この作品を読んでもらった後、もしよかったら、このラジオ番組で、著者の話を聞いてもらえたらと思っています。
私は、この著者の声を聞いて、「芦川さんだ」と思ってしまいました。仕事はとてもできるという点で違うのだと思いますが。
(他にも、いろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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