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とても個人的な平成史⑨「自己責任」という「呪い」が広く浸透していった時代。

 六本木ヒルズが華々しくオープンしたのが2003年だった。そのシンボル的な存在の森タワーの最上階には、美術館ができて、それがうれしくて、2003年のオープンから2004年の夏までに、展覧会が変わるごとに、3回行った。そして、その頃、時代の空気が明らかに変わってきたのを覚えている。

2004年 イラク人質事件

 「自己責任」という、元々は責任の所在や限定のための法律用語として多く使われて来た言葉が、広く使用されるようになったきっかけは、比較的はっきりしている。2004年の「イラク日本人人質事件」である。

 人質の解放条件とされた「自衛隊撤退」の要求が強まったとたんに、政官財・マ
スコミをはじめとした「国策に反した危険行為の自己責任をとれ」とばかりの大合唱がはじまり、強烈なバッシングが行われたことは記憶に新しいところでしょう。NGOの平和活動に献身していた人質(とその家族)は、「沈黙」を余儀なくされ、「自責」と「謝罪」を強いられるばかりでした。そして、この事件とその後の一連の事態をつうじて、自己責任という言葉が広く人びとの口の端にのぼるようになります。そのことは、04年の「流行語大賞・トップテン」に「自己責任」が選定されたことからも容易に推し測れるでしょう。」

 この時の世の中の空気、といっても、ごく狭い範囲に過ぎないが、知人の反応を覚えている。人質となった人たちが解放されて、どこかの部屋にいる映像が繰り返しニュースなどで流れていた。その時に、その中の一人の女性がアメをなめていたのか、何かを食べていたのか定かでないが、頬がふくらんでいる姿も何度も見ることになった。

 命がかかった状況からようやく解放された時だから、何かを口にふくんでも当然なのに、その姿や、さらには、解放された時“イラクの人を嫌いになれない、できたら、またイラクに行きたい”といった言動に、「せっかく助けられたのに、とんでもないわがままだ」と、怒っている人がいると知り、それが、時間がたつほどに、それほど少数意見でないことに薄い恐怖心を抱いたことは覚えている。いつのまにか、「国側」の発想になっている人が、多くなっていることに気がついたように思えた。

 個人的には、その状況になっても、まだイラクのために行きたい、という日本人がいることで、もし、その映像が中東に翻訳されて流された場合自衛隊の中東派遣とは、真逆の心理的な作用があるのではないか、とも思えていた。

 この、人質になってしまったのに、さらにイラクのために働きたいと言うような行動に対して、敵意を持つことは難しい。そんなに単純に語ってしまっては、いけないのかもしれないが、テロは、敵意がベースにあるとすれば、それは、日本への敵意を減らす作用さえあるとも考えられるのではないかとも思ったが、そんなことは、誰にも聞いてもらえなかったような記憶があるし、言い出すことさえ、ひるむような空気だったことも覚えている。

貧困も、病気も、「自己責任」なのか。

 この場合の、人質解放へ努力すべき「当事者」は、日本国であり、その責任もあるはずである。法律用語であった「自己責任」は、責任の確定に主軸があるのに、「イラク人質事件」後に、広がっていった「自己責任」という言葉は、「当事者」の責任を無限定に広げる要素が強く、「責任のインフレ」といってもいい状況のように思えた。本来であれば、社会もしくは国家に責任があるはずのことも、すべてを「自己責任」に背負わせる傾向も加速していったように思える。

 2009年になり、政府から初めて相対的貧困率が発表になり、15・7%とOECD加盟国では四番目に高い(東京新聞web 2009年12月6日)ことが明らかになり、「貧困」の存在が意識されるようになったものの、その「当事者」に対して「自己責任」という言葉が投げつけられることは、少なくなかった印象がある。

 日本は、他の先進諸国に比べて再分配機能が非常に弱く、しかも社会保障機能が著しく劣化し、税や社会保障の勤労層本人負担が多く・大きいことによって、貧困が改善されず、むしろいっそう深刻なものになっているということでしょう。
                  (前出 「自己責任論を乗り越える」)

 21世紀が進むほど、日本国内では、とにかく「自己責任」という言葉で叩かれる人は増えていった印象が強い。自分ではどうしようもない場合もあるはずの「貧困」だけでなく、そのうちに、病気の人まで「自己責任」で叩かれる場合も出て来た。

「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を滅ぼすだけだ!!」というタイトルのブログに関して騒動にまでなり(Asagei plus 2016年10月3日)、ブログを書いたフリーアナウンサーは失職する、という事態になったが、翌年、維新の会の公認で選挙に出馬しているので、落選したとはいえ、この主張が、全面的に否定されていない、という事でもあるようにも思える。

イラク人質事件を題材としたアート(2017年)

「特別賞受賞者  岡本裕志展  2017/09/19 tue - 09/30 sat emonphotogallery」

  ツイッターで、この企画を見かけたのは、2017年のことだった。
「2004年のイラク人質事件」の時に、人質となって解放された当時は10代で一番若い人が、その時に来た非難の手紙などを所有していて、それも元にした展示を、その人の友人が行っている、ということを知って、反射的に見たいと思えた。

  広尾駅を降りて、通りから入って、少し奥まったような静かな場所。マンションの地下で、その展覧会は行われていた。

 写真がある。それは、顔の部分が手紙になっている人物、という作品。         展示を見て、「イラク人質事件」のあとに、その人質から解放された人の住所を、わざわざ調べて、ハガキや手紙を書いて、本当に罵倒みたいなことを書いて来ている人が、けっこういたのを、改めて知った。それは、数にすると相当なもので、人質になって解放された人に対して、これだけ残酷なことをする人たちがいたのが、形になっている。

 その会場には、様々な言葉や文章があった。

 「人質」ということは一生言われるのだろう、といった本人の言葉の、何とも言いようのない重さ。
 こういった展覧会を開くことを、友人である写真家に託せるもすごいし、託される方もすごいと思った。こうして形にしてくれたから、より正確に、歴史化できていくようにも思える。

 その中に異質な手紙があった。それは、自分の連絡先を書いた上で来た手紙で、それに対して返事を書いたら、そこにさらに返事が来て、そのやり取りの中で手紙の文章の調子や、丁寧さが明らかに変って行って、あれだけの罵倒でも変るんだ、というような気持ちにもなった。

 何より、よくこういうやり取りがあったと思ったし、これが可能になったのもその時の「非難」の手紙を、その人のご両親が保管していたことから、はじまっていたらしいので、それも含めてすごいと思った。

 この展覧会を企画した写真家ご本人が在廊していて、話もしてくれた。

 今も、この展覧会で提示しているものが、古く感じなかった。手法として、手紙や葉書ではなく、今なら間違いなくインターネット上での炎上になるのだろうけど、その文章の質は変わらないように思った。

 2004年の、ここからまっすぐに今につながっていて、そのことを改めて確認できたのは、やっぱり恐さがあった。今は、多数派に入っていないだけで、排除される未来が来るような気がして、それは多数派に入ることが強制されるというか、ちょっと違っただけで、攻撃される未来が来るかもしれない、という恐怖が形になっていたと思った。

「自己責任」と都知事と首相

 この2018年の記事の中で、2004年の「イラク人質事件」で、最初に「自己責任」を言い出した政治家として、当時の環境相・小池百合子氏の名前があげられている。

 事件勃発を伝える4月9日にさっそくある政治家のコメントが載っていた。
「危険地域、自己責任も 小池環境相」(読売新聞 夕刊)
 現・東京都知事の小池百合子氏である。
《小池環境相は「(三人は)無謀ではないか。一般的に危ないと言われている所にあえて行くのは自分自身の責任の部分が多い」と指摘した》
とある。
 この頃の読売、朝日、毎日を読み直すと、政治家で「自己責任」を言って記事に載っているのは小池発言が最初だ。この11日後の4月20日に朝日新聞は「自己責任とは」という特集記事を書いているが、ここでも時系列の表で一番最初に載っているのが小池氏の発言である。
 つまり新聞を見る限り、政治家として最初に被害者の「自己責任」に火をつけたのは小池氏だった可能性が高い。

 その小池氏は、2020年現在は、2期目の都知事選を圧勝し、現役の都知事である。2004年当時の発想から、大きく変わったということは、今の時点では見受けられない。とすれば、現在のコロナ禍でも、何かあった時に「自己責任論」を、再び強調する可能性も十分にありえる。

 そして、安倍首相に関しては、こんな指摘もある。

 今につながっているという意味で言うと次の記事が読ませた。
「自己責任問う声次々 政府・与党『費用の公開を』」(朝日新聞・夕刊 2004年4月16日)
 この記事の中で安倍晋三・現首相の声が載っていた。当時は自民党幹事長であり、党の役員連絡会後の言葉である。
《安倍幹事長は「山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求することもあるとの意見もあった」と指摘した》
 やはりと言うべきか、今につながる言説ではないか。

この時代に育った人の「発想」

 そうであれば、その時代に育った人の感覚が、このようになるのも、必然なのかもしれない。すでに5年前の著書であるが、今も、この感覚が続いているようにも思える。

 一九九〇年前後生まれの大学生は、小学校高学年〜高校までの間に二〇〇四年イラク日本人人質事件に象徴される「自己責任論」の隆盛や小泉政権による新自由主義的な政策を目撃しており、ある意味で「自己責任論」に訓化していると言える。

 同時に、だからこそ、学生が自分を過剰に責めがちになるので、それを防ぐための方法も、この著者は、提示している。これは、就職活動だけでなく、現代の私たちにも、共有できることにも思える。

 就職活動がうまくいかず、自己否定してしまう事態を回避するためには、まず労働市場や社会構造の変化について学び、就活の失敗を自分だけに求めないようにしておくことが必要だ。 

自己責任とマイノリティ

 2000年代前半では、「国策に反した」という条件込みだったように見えた「叩かれる理由」は、時代が進むにつれて、「マイノリティ」であることに由来する正当な訴えさえ、叩かれる原因になっていくように思えて来た。すべてを「自己責任」に結びつけるような乱暴な言い方も増加していったように思う。

 この雑誌の中で、「ネット世論で保守に叩かれる理由」というタイトルで、木村忠正は、こう書いている。この考え方は、まだ一般的でないものの、これからを考えるには、重要な指摘に思える。

筆者が何十万という日本の政治・社会系の投稿を分析した結果、過激な一部の言説だけでなく、ごく一般的な投稿においても、次の三つの主題が頻出し、投稿の動因として強く働いていると考えられる。
(A)韓国、中国に対する憤り(嫌韓・嫌中意識)
(B)「弱者利権」(立場の弱さを利用して権利を主張、獲得する)認識に基づ く、マイノリティ(社会的少数者)への違和感
(C)マスコミに対する批判 
 その主要な動機が、(B)であり、ネット世論の主旋律には、社会的少数派や弱者に対する強い苛立ちが脈打っている。少数派が多くの困難に直面していることへの配慮よりも、「在日特権」という語に象徴されるように、少数派だと主張することで権利や賠償を勝ち取るような行為として捉えて強く苛立つ。 
 したがって、「中韓」だけでなく「少年法(未成年の保護)」「生活保護」「ベビーカー」「LGBT」「沖縄」「障害者」など少数派・社会的弱者への批判的視線、非寛容がネット世論に強く見られるのは、バラバラの事象ではない。いずれも(B)の動機が人々に強く働きかけており、筆者はそれを「非マイノリティポリティクス」という概念で特徴づけたい。「非マイノリティ」とは、つまり「マジョリティ」だが、「マジョリティ」として満たされていないと感じている人々である。彼らは、従来のリベラル的マイノリティポリティクスに対して強烈な批判的、嘲笑的視線を投げかけ、その人たちなりの公正さを積極的に求める。  

 「マイノリティ」が声をあげるだけで叩かれる時に、今だに「自己責任論」も主張されている状況は、ずっと変わらないままのようにも思える。その「自己責任論」は、「非マイノリティポリティクス」という概念で特徴づけられるような人々が掲げる「公正さ」と、相性がいいような印象もあるから、「自己責任論」は、まだ広がる可能性すらあると思う。

「自己責任論」と国家のありかた

 もともと、政治の世界で、「自己責任」が強調される場合は、確か、まだ国家が整っていない時に、整えていくまでの間に合わせとしての「自己責任」が語られがちだと、どこかで読んだ記憶がある。あとは、現在のように国の力が衰えいてく時に「自己責任論」が語られるのも、自然なことなのかもしれない。

 だけど、私もそうだが、何の力もない人間が生き残っていくためには、困った時に支えてもらうシステムがないと、やたらと不安だけがふくらんでしまう。

 どう考えても、原則としては、個人が集まって、それで生きやすくするために組織ができて、その大きいものが国家のはずで、国家を維持させるために個人が生きているわけではない、ということは、再確認してもいいかもしれない。


 ただ、2020年現在、次の首相候補が、最初に「自助」という言葉を掲げていて、それは、常識的には、政治家が最初に押す言葉でもないし、考え方でもないと思われる。だけど、「自己責任」が内面化してしまっている人が多数派になっていて、それに対しての反発も少ないとしたら、平成から令和に変わっても、さらに「自己責任という呪い」が続きそうだと思うと、ちょっと気持ちは暗くなる。

「自己責任」と「人に迷惑をかけられない」の親和性

 「自己責任」という言葉が、これだけ広まった背景には、それとは別に「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉が浸透していて、その言葉と親和性が高いという理由があったのではないか、と思う。

 ただ伝統的には、この「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉とセットで、「困ったときはお互い様」という言葉があったはずで、それでようやくバランスがとれていたはずだった。その「お互い様」の中に、国の社会保障も含まれていたはずなのに、そちらのほうは、ほとんど言われなくなったというアンバランスさを感じる。

 似たことは、2019年のラグビー日本代表の唱えた「ONE TEAM(ワンチーム)」という言葉でも感じた。それは、実際に戦うプレーヤーにとっては、そのチームの成り立ちや歴史を振り返ったら、奮い立つようなワードだったのは間違いないのだろうけど、今は、それを拡大解釈しすぎて、組織への献身ばかりが強調されているような気さえする。

 私が知っているラグビーにまつわる言葉は、「ワン・フォー・オール。オール・フォー・ワン」だった。それは「ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために」という両義性のある言葉だった。つまり、それは、少し拡大して解釈すれば「人に迷惑をかけない」と「困った時はお互いさま」のバランスがとれていることと、似ているように思うし、この両方の要素があるほうが、実は自然だということではないだろうか。

「迷惑をかけない」ことの定義と、これからのこと

 実は、「自己責任」を完璧に果たし、「誰にも迷惑をかけない」という状態は、このように表現されるとも、この著者は指摘している。

 誰にも迷惑をかけない社会とは、定義上、自分の存在が誰からも必要とされない社会です。   
 誰にも頼ることのできない世界とは、誰からも頼りにされない世界となる。
 僕らはこの数十年、そんな状態を「自由」と呼んできました。

 これから先の世界を、そのままの「自由」で進むのは、やっぱり無理ではないか、とこうして明確に定義されると、改めてわかる。

 それは、たとえば、コロナ禍で、完全に家にこもって、経済的にも生活的にも何も困らないとして、そして、それで完全に一人であれば、感染のリスクはほぼなくなるかもしれない。それが「新しい生活様式」に完璧にマッチしていたとしても、それが「幸福」かどうかはまた別問題になる。

 今回の「人の孤立」を強要するようなコロナ禍の事態は、そうした「自己責任論」に関して、さらに考え直すきっかけにもなり得るかもしれない。

 バカみたいに単純化していえば、「ひとりぼっちは、さびしいし、つまらない」ということが改めて分かった気がする。オンラインでコミュニケーションがとれる時代なのは、幸いだったけれど、でもずっとオンラインだけで、実際に会わないと、ずっと何かが満たされないはずだ。

 「人に迷惑をかけない」ばかりを追求して、「自己責任論」を広く浸透させ、「人の孤立」を進めてきた時代と、コロナ禍への正しい対応は、どこかで相性がいいのかもしれない。それでも、それだけではダメだということも、本当に「孤立を強要」されるようになって、気がつきはじめたのが、今だと思いたい。

「自己責任」という「呪い」は、令和の時代には、やはり解けたほうがいいし、微力であっても、「呪い」が解ける方へ協力したい、とやっぱり思っている。


この「とても個人的な平成史」シリーズについて

「昭和らしい」とか、古くさいという意味も含めて「昭和っぽい」みたいな言い方を聞いたことはありますが、「平成っぽい」や「平成らしさ」は、あまり聞いた事がないような気がします。
 新しい令和という元号が始まって、すぐに今のコロナ禍になってしまい、「平成らしさ」を振り返る前に、このまま、いろいろな記憶が消えていってしまうようにも思いました。

 だから、個人的にでも「平成史」を少しずつでも、書いていこうと思いました。私自身の、とても小さく、消えてしまいそうな、ささいな出来事や思い出しか書けませんが、もし、他の方々の「平成史」も集まっていけば、その記憶の集積としての「平成の印象」が出来上がるのではないかと思います。



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「コロナ禍」での、「リーダーの条件」を考える。

暮らしまわりのこと。

いろいろなことを、考えてみました。



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記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。