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読書感想 『あくてえ』 山下紘加 「介護時間のリアル」
読む前と、読み始めてからの印象は違っていた。
作者は1994年生まれ。2015年には、文藝賞を受賞して小説家としてデビュー。
それから、4作目だから、若くて才能があって、「現代」の作家で、自分は知らないような若いテーマではないかと思っていたのだけど、この作品の中には、自分も知っている「時間」のことも書かれていた。
それは、とてもリアルだった。
『あくてえ』 山下紘加
主人公は19歳。母と、祖母と同居している。
祖母は、父方なのだけど、両親は離婚している。
祖母は90歳。認知症ではないが、身体介護が必要な状態。だけど、本人は、人の世話がそれほど必要だとは思っていない。
家の中は、いつも緊張感があり、疲労感が満ちていて、主人公と祖母の言い争いは絶えない。
「あくてえ」は、「悪態」のことだと分かるけれど、その室内の、どうしようもない空気感に近いものは、私自身にもはっきりと記憶にあった。
ばばあが自力でできることは食って寝て排泄することだけだ。あいつはひとの時間も食って生きている。
個人的には、家族の介護を19年間した経験がある。主人公の祖母に対する思いとは違うけれど、仕事もやめて介護に専念していた年月の中で、特にふと疲れを自覚したり、自分の将来のなさに気づいたりすると、命を削られているような思いになり、気持ちが止まることも少なくなかった。
なくすから、針を渡したらいけない。火事になるので、キッチンに立たせてはいけない。すぐにつまずいてこけるので、ばばあの動線には物を置いてはいけない。日常生活で身についた注意事項を、あたしは心の中で唱える。大したことではない。大したことではないのに、とても億劫に感じる。ばばあが反発するからだ。
10代から20代にかけて、孫の立場でありながら、真正面から祖母と関わり続けている。主人公が、この独特のしんどさから逃げずにいることで、祖母の命は確実に支えられているとは思う。
ばばあのゲロまみれの衣服は重く、強い異臭が鼻を刺激した。あたしがリビングからヒーターで冷え切ったばばあの身体を温めている間、スマホで救急車を呼んだきいちゃんが戻ってきて、ふたりで股や膝に付着したゲロや便を拭き取る。
この空間の中にいるのが介護だと、体感と共に思い出した。
質の高い介護
そして、主人公が「きいちゃん」と呼ぶ母親が、離婚した夫の母親である祖母を、とても細やかに介護をしている。それは、偉そうな言い方になったら申し訳ないのだけど、信じられないほど高いレベルの介護だと思う。
ばばあの体のことを考えて、塩分を控え揚げ物を避け、野菜中心のメニューを考えているきいちゃんの努力を知らないばばあはよくこうしてメニューにケチをつける。けれどばばあの場合、心で思っていることと声に出すことが必ずしも同じとは限らない。美味しくても美味しいと、嬉しくても嬉しいと素直に言わないのがばばあだ。
こんな時にも、母親はとても柔かく優しく接しているが、それは、娘である主人公が「あくてえ」をついてくれるからかもしれない、とは思う。
高熱と身体の震えを訴えるばばあをきいちゃんが病院に連れて行けば心不全と診断され、ようやく症状が落ち着いてきた頃に、今度は肩の痛みを訴えるばばあを連れて整形外科まで足を運ぶ。デイサービスで水虫をうつされたばばあに皮膚科のクリームを三カ月近く毎晩足指の間に摺り込み、それが治れば眼科で処方された目薬を、ひとりで点眼できないばばあに代わってさしてやる。ばばあのために奔走するきいちゃんを、あたしはただ側で見ているだけだ。
この2人が同居し、介護をしているから、祖母はこんな感覚でいるようだ。
あたしやきいちゃんはもちろん、傍から見ても、よたよたと危なっかしく覚束ない歩き方をしているのに、ばばあだけは自分がしっかりと歩けていると思い込んでいる。誰の手も借りず、自分の足で、自分の行きたい場所に自由に行けると、彼女だけが本気で思い込んでいる。
最近、実は「良質な介護」というのは、こういうことかもしれない、と思うようになった。
介護をされている側が、介護をされているように感じない。別に何も世話をされなくても、自分だけで生きていける。そんなふうに思っているのは、介護している側から見たら、それこそ「ムカつく」ことでもあるのだけど、それだけ自然に自尊心を保てるように、それまでの生活と変わらないように、さりげなくフォローしているからでもあるのだと思う。
介護のリアル
ただ、それは、介護をしている側の、いつまで続くか分からない時間の上に成り立っているのも間違いない。
一段落すると、きいちゃんは改まってあたしにこれまでの生活を詫びた。
「だけどね、もうちょっと一緒に頑張ってくれる?」
もうちょっとというのがいつまでなのか、あたしにはわからなかった。わからなかったが頷いた。その数日後、今度はきいちゃんが疲労で倒れた。
そして、主人公が祖母の面倒をみることになる。
5分おきに三種類ささなければいけない点眼薬があるのに、祖母は目を開けてくれなかったり、さしたあとに閉じてくれなかったりする。
閉じろ!と怒鳴ろうとし、息を吸った瞬間、不意に脱力し、涙があふれた。あたしが書く小説は必ず終わりを迎えるし、良くも悪くも決着がつくのに、現実はそうではない。ずっと続いていくのだ。優しくしようと穏やかな気持ちで思った直後に殺したいほどの憎しみが襲ってくる。家族三人で頑張ろうと決意を固めた翌日には、三人で死んでしまえたらと本気で思う。
個人的な経験として、家族との関係性は違うとしても、こうした、いつ終わるか分からない時間の中に自分も生きていた、と思い出しすぎるくらい記憶は蘇っていた。
カメラの視点
自分自身が介護をしていたからといって、その見方がすべて正しいわけでもないし、この作品を、介護だけから語るのも失礼だと思う。
それでも、あまりにもリアルだったので、これを自分と無関係なのに書けたとしたら、その再現力はすごいと思って、ついそのインタビューを検索して、読んでしまった。
作者が、実際に介護にも関わっていたと知って、なんだかホッとしたのと、納得したような気持ちになった。
そして、この作品は、祖母の介護に関わることだけではなく、小説への思いや、環境の違う彼との微妙なすれ違いや、派遣社員として働く時の嫌な出来事なども、明確に書かれている。
それは、あからさまな文章のうまさ、という自己愛的な表現ではなく、その出来事や思いに対して、正確に焦点を合わせるようなカメラの視点に似ていて、無駄のない文章が続いていくおかげで、ごく自然に引き込まれていくように感じた。
おすすめしたい人
確かに20代の若い作家の小説ではあるとは思いますが、年齢を問わず、読者を選ばず、伝わることが多い幅の広い作品だと思います。
また、介護に関心がある人にも、表現の難しい、先が見えない時間の感覚が伝わりやすいのではないかと思いました。
もし、よろしければ、どなたにも手に取ってもらいたい作品だと思います。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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