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「読書感想  『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』  「プロの歴史学者の凄さ」

 歴史修正主義者、という言葉を聞くたびに微妙に違和感がある。

 あれは「修正」なのか、というほど、その人自身の願望だけで過去を見ているだけだと思うからで、それは「改ざん」といっていいようなことなのでは、とも感じる。

 そして、それを個人的に信じているだけなら、それも信念で尊重するべきことかもしれないけれど、その「修正」をする人が、社会を動かせるような位置にいる時は、はっきりと「歴史改ざん主義者」と伝えた方がいいのではないか、と思っている。

 ただ、今も、歴史はあちこちで「改ざん」されているように感じている。

 そんなときに、どこかでこの本のタイトルを聞いた。あのナチスでさえ、そんなに悪いことばかりをしていたわけじゃない、などという言葉を聞くことが、以前よりも多くなったように感じていたので、そのストレートな表現がより気になったのだと思う。

 そして、その書籍は、ブックレットと名付けられていて、120ページしかなかったけれど、そこは「歴史学者の凄み」で満たされていて、無駄なことが全くなかった。


『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』  小野寺拓也 田野大輔 

 冒頭の部分で、自分も「歴史」を「修正」していたことに気がついた。

 ナチス・ドイツの制服については、日本のアイドルグループが、その軍服に似ているデザインで「炎上」したことがあったのが、ここ10年以内のことだったが、そのときに、こんな言葉を聞いた印象がある。

 軍隊というのは、憧れられるようなデザインにすることが多く、ナチスも例外ではなかった。特に、そこにはヒューゴ・ボスが関わっているのだから、そのデザインが真似したくなるのも仕方がない。

 こうした言葉に全面的に支持する気持ちにはなれなかったが、その軍服にヒューゴ・ボスが関わっているらしいことは、どこで読んだか聞いたか見たのかもはっきりしないが、自分自身も、なぜか信じていた。

 「ナチスの制服が格好いいのはヒューゴ・ボスがデザインしたからだ」というしばしば見られる主張も、根拠のあるものと見なすことはできない。ボスが制服を卸していたのは事実だが、デザインしていたという事実は確認されていないからだ(ボスがファッション・ブランドになったのは戦後のことで、ナチ時代は制服を卸す縫製工場の一つにすぎなかった)。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より) 

 自分自身の思い込みが、これほど、事実が違うことも、恥ずかしながら知らなかった。

 こうした細かい「改ざん」の積み重ねで、いつの間にか、自分が意図しないとしても、ヒューゴ・ボスを選んだナチスはセンスがある、とか、戦後、ブランドとして成長したきっかけを作った、といった「良いこと」として語られる危険性まであるのも間違いない。

 そして、自分がいつの間にか信じていたことも、一種の〈意見〉への飛躍なのだと思う。

 歴史研究の蓄積を無視して、〈事実〉のレベルから〈意見〉の層へと飛躍してしまうと、「全体像」や文脈が見えないまま、個別の事象について誤った判断を下す結果となることが多いのである。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より) 

現在まで影響しているプロパガンダ

 今年(2023年)でも、ヒトラーが話題になったことがあった。

 だから、こうしたプロパガンダは、その痕跡が残っている限り、ずっと影響を残すという怖さがあるのだと思った。

 ナチ政権下では、笑顔で子どもと触れ合うヒトラーの姿は写真報道のお決まりのテーマとなっていた。 

ナチスの宣伝が作り上げた「子どもに優しいヒトラー」というイメージは、彼の絶大な人気の基盤をなすものだった。

 ヒトラーも一人の人間で、角の生えた悪魔ではなかったというのはたしかにその通りだろう。だが仮にヒトラーに「優しい心」があったとしても、それはユダヤ人虐殺を命じた事実を否定する根拠にも、免責する理由にもなり得ない。しかも彼の「優しい心」を知ったところで、ナチ体制の何か「新しい」側面が見えてくるわけではない。もし見えてくるものがあるとすれば、そう信じたいという気持ちこそが、まさに当時(そしておそらくは現在でも)ヒトラーやナチスへの支持を調達する重要な手段だったということだろう。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より) 

 だから、今でもそのことは考えなくてはいけない。

 ナチズムを心暖まる物語に矮小化することは、その本質から目をそらす危険性をはらんでいる。子どもに優しく接し、女性から熱狂的な支持を受けるヒトラーの姿に心動かされ、共感を覚えそうになるとき、それがナチ体制にとって都合のよい反応ではないかどうか、一度立ち止まって考えてみるべきだろう。 

 ナチ・プロパガンダに「絶大な威力」があったとすれば、それは「魔力」だの「洗脳」だのと呼ばれるものにではなく、広範な国民のもとめるものを的確につかみ、感情を揺さぶる言葉やイメージに転換していく能力に見出すべきであり、そこにこそ真の危険性があると言わなくてはならないだろう。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)

 これは、現在の課題でもある。

 プロパガンダは、同じ姿でやってくるわけではないし、当たり前だけど、私もそうだけど、誰にとっても他人事でもないはずだからだ。

経済の回復

 さらに、今までぼんやりと知っていたのは、ナチスの時代にドイツの経済は回復したのではないか。だから、その部分は評価してもいいのではないか。そんな言説もどこかで聞いていて、それについて、あれだけの虐殺をおこなっているのだから、そんなことは関係ないのではと思いながらも、その経済の回復の実績については、どこかで本当かもしれないと思っていた。

 ただ、それすらもナチス政権の成果ではない、という指摘があった。

最初に押さえておかねばならないのは、ナチ政権初期の雇用創出・失業対策がそれに先立つバーペン、シュライヒャー両政権の政策を基本的に引き継いだもので、規模の大きさを除けば、ほとんど画期的な内容を含んでいなかったことである。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)

 ナチス政権のオリジナルな経済政策ではなく、成果を上げたとしても、それ以前からの政策が実を結んだ、ということになるようだ。

 ナチ政権が打ち出した雇用創出策のうち、大きな目玉事業ともされたのがアウトバーンの建設だが、これもヒトラーの発案によるものではなく、ヴァイマール時代に民間組織によって構想され、一部で実現していた計画を継承したものである。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)

 ナチスがアウトバーンを発案し建設した、という話は、自分でも、積極的な姿勢ではないとしても、どこかでほぼ完全に信じていたような気がする。だけど、それも事実ではなかった。

ドイツでできるだけ早く戦争可能な状態にすること、それがヒトラーの当初からの最優先事項だった。 

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)

 そのための経済の回復を、「良い政策」というのは、やはり無理があるはずだ。

 実態は過剰な財政支出にもとづく軍需経済で、破綻の危機と紙一重の、いわば綱渡りの体制だった。その点からして、これを「良い政策」などと言うことはできない。膨大な負債によってまかなわれた軍備拡張は、戦争を起こすことによってはじめて割に合うものだったのである。 

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)

 その目的自体は、果たしている。同時に、それが人類史上でも最悪の出来事を引き起こしている。

家族支援・環境保護・労働政策

 さらに、家族支援についても、ナチスは成果をあげていたのではないか。もしくは、出産も増えた、といったことも、どこかで聞いていて、それも、少なくとも積極的に否定するようなことはできなかった。

ナチスによる家族政策のほとんどはオリジナルなものとは言えない。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)

 その一方で、その政策には確かに力が入っていたのも事実だったようだ。

 ナチスは何の目的で、これほど徹底した家族政策を行ったのか、ということになる。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)

 それは、すべてのドイツ国民のためのものではなかった。

 社会政策の恩恵にあずかったのはこれらの条件に合致する「民族同胞」のみであり、社会主義者や共産主義者などナチスの政治的敵対者や、ユダヤ人、障害者や「反社会的分子」とされた人びとは、そこから排除されていた。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)

 はっきりと言えることは、セクシャリティや出産という自らの将来計画に関わるもっともプライベートな問題を、国家が政策によって変えさせることは非常に困難を伴うということだ。ナチスは景気回復によって結婚が増える環境を整えたということは言えるかもしれない。しかし子どもを増やすことには必ずしも成功しなかった。そして、戦間期にせっかく絶対数の増えた出生数も、戦争開始によってまた減少していくのである。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)


 ナチスの環境保護政策についても、同様の指摘がされている。

結論から言うと、ナチスの環境保護政策でオリジナルなものはほぼゼロである。

ナチ体制は「何が何でも環境保護をやり抜く」という体制ではなかった。戦争遂行に必要だと判断すれば、環境保護政策は簡単に反故にされた。

第二次大戦を引き起こし、環境面でも多大な損害を与えたナチ体制の環境政策から一部を抜き出して、「ほら良いこともしたではないか」と主張することに、いったいどれだけの意味があるのだろうか。

(「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」より)

 他に、健康政策についても、政権奪取の状況も決して民主的に選ばれた、とは言えない状況も、そして、労働政策についても、これだけ徹底して、「民族同胞」のみを重視し、戦争可能な状態を目指した政権だとは思わなかった。

 だから、その「良いこと」と思えた政策も、すべてが大量虐殺へと、矛盾なくつながっているようにしか感じられなくなった。


 長い年月が経っても、こうしてプロの歴史学者の〈解釈〉によって、歴史の見え方の解像度が変わってしまうほどだった。やはり、専門家の存在はとても重要だと改めて分からされた。

 誰にとっても、必読な書籍であることは間違いないと思う。


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