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読書感想  『ヒルビリー・エレジー  アメリカの繁栄から取り残された白人たち』  「トランプを支持せざるを得ない歴史」

 アメリカの元大統領---トランプを支持する人たちがわからなかった。

 すごく乱暴で、差別的で、アメリカのいわゆる「ラストベルト」と言われる地域----それは、言葉は悪いのだけど、時代に取り残された人たち、というイメージだったし、だから、そこを救ってくれるという人があらわれたら、支持するのは自然だとしても、トランプがアメリカの大統領になったとき、日本のギャラリーで個展をしていたアーティストと話をしたら、悲しいことだ、と言っていた。その人は間違いなく、エリートといっていい人だった。

 私は日本国内で、エリートとはとても遠い人間だが、あれだけ差別心を隠さない人が大統領になったのは、怖いことだと思っていた。

 その頃、トランプを支持する人たちは、白人が多いということを聞き、それから年数が経って、トランプ支持の人たちの姿を、テレビなどのメディアで見るたびに、とても粗い見方なのかもしれないけれど、古い時代のマッチョなアメリカ人に思えて、やはり少し怖さがあった。

 だけど、そのことは、ある意味では当たっているのだけど、実は全く理解しようとしていない見方であることを、この作品を読んで、知った。


『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』  J.D.ヴァンス 

現在31歳の私は、これまでの人生で何か偉業を成し遂げたわけではない。

(『ヒルビリー・エレジー』より)

 冒頭から、そうした言葉がある。そして、筆者がイェール大学のロースクールを修了していることも伝えられる。それは、法律の専門家になるための「学校」であるし、著者は弁護士になっている。
 そこは、世界最高のロースクールともいわれているような、間違いなく世界的にもエリートを養成する場所であり、クリントン大統領や、そのパートナーであるヒラリーも、そのロースクールの出身だった。

 ただ、筆者も書いているように、アメリカ国内で間違いなくエリートであっても、毎年、何百人かが出ているから、それだけで著書を書く価値があるわけではない。

 この著者の特徴は、その生まれ育ちにある。

   私は白人にはちがいないが、自分がアメリカ北東部のいわゆる「WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)」に属する人間だと思ったことはない。そのかわりに、「スコッツ=アイリッシュ」の家系に属し、大学を卒業せずに労働者階級の一員として働く白人アメリカ人のひとりだと見なしている。
 そうした人たちにとって、貧困は、代々伝わる伝統と言える。先祖は南部の奴隷経済時代に日雇い労働者として働き、その後はシェアクロッパー(物納小作人)、続いて炭鉱労働者になった。近年では、機械工や工場労働者として生計を立てている。
 アメリカ社会では、彼らは「ヒルビリー(田舎者)」「レッドネック(首すじが赤く日焼けした白人労働者)」「ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)」などと呼ばれている。
 だが私にとって、彼らは隣人であり、友人であり、家族である。

(『ヒルビリー・エレジー』より。以下、引用は同著より)

 筆者は、トランプ元大統領の支持層が多数いるという「ラストベルト」=(錆びついた工業地帯)とも呼ばれる地域の中にある、オハイオ州の出身だった。

 筆者の出身地の街から、イェール大学のロースクールを修了するのは、ごくまれなアメリカンドリームのような出来事であるのは間違いないが、この著書の価値は、その成功だけではない。

 これから述べる私の人生を理解するには、私が自分自身を「スコッツ=アイリッシュのヒルビリーだ」と心の底から思っていることを、知っておいてもらう必要がある。

 いわゆる厳しい環境から、エリートになった人の中には、その出身地のことを忘れようとしたり、隠そうとする場合もあると聞く。エリートになってからも、こうして自分の出自をきちんと語れる人が、そのラストベルトについて述べるから、より価値があるのだろう。

 私たちヒルビリーは、かつてないほど社会的に孤立していて、その状態を次の世代に引き継ごうとしている。
 私たちが信じていることも変わりつつある。ヒルビリーの信念は教会を中心に形づくられるが、そこでは感情に訴える言葉が重視され、子どもたちが成功するために必要な、社会的なサポートを軽んじる姿勢が見られる。
 私たちの多くは、労働力という面から見ると落伍者であり、よりよい機会を求めて新天地を切り拓くのを諦めてしまっている。ヒルビリーの男たちは「男らしさの危機」に直面し、その男らしさを重視する文化こそが、変わりゆく社会でヒルビリーの成功を妨げている。

 こうした文化を持つ白人層がいることを、ほとんど知らないままだった。

 距離的に遠いだけではなく、トランプ大統領の支持層が、この地域に多くいるという報道を見ても、ただ、自分と関係ないことのように感じるだけだった。もしくは、どうして、こういう人たちがいるのだろう、というような嫌悪さえあったような気がする。

 でも、それは、おそらくは見たくない、知りたくない。という自分の無意識に近い避ける気持ちのせいかもしれなかった。

オハイオ州の個人的な記憶

 この著者には、著者の家族関係の一覧がある。それだけ、登場人物が多いせいだ。

 同時に、その出身地付近の地図も載っていて、そこにはアメリカのオハイオ州の都市も示されている。

 とても、個人的なことだけど、この地図にあった街の中でデイトンは知っていた。岡本綾子というプロゴルファーがアメリカのツアーで活躍していた頃、ここで全米女子オープンという大会があって、当時、スポーツ新聞社のゴルフ記者だったので、その取材のために行ったことがあった。

 その時はアメリカに1ヶ月くらい滞在し、ゴルフのトーナメントが行われる場所は、アメリカでも都市とはいえない場所で開催されるから、飛行機に乗って、4〜5ヶ所、移動した。どこも、土地が広く、地平線が見えるような場所だった。

 そして、アメリカでの、最後の取材地がオハイオ州デイトンだった。飛行機を発明したライト兄弟にゆかりがある土地らしく、その大会のTシャツには、その最初の飛行機がデザインされていた。

 その時のトーナメントは岡本綾子が惜しくも敗れ、プレーオフに残れなかった。このときのプレーオフは翌日に、2人のプレーヤーが、18ホールかけて戦ったはずで、その取材も行なった。すでに日本人プレスはほとんどいなかったが、腕章があるし、ロープの中に入って歩いていた。

 この1週間も、ずっと同じ行動をしていたが、この日だけ、なぜか、外に出ろ、といった態度をするスタッフがいた。
 私たちと同じようにしている行動している現地のアメリカン人プレスには、そうしたことをしていなかったから、一種の人種差別ではないか、とも思い、その行為への不満を、その男性が少し遠くに行ってから、日本語でつぶやいたら、体の大きなそのスタッフは脅すような顔で再び近づいてきて、とにかく出ろ、といったことを言っていたようだった。

 それは、差別的なだけではなく、マッチョ的な振る舞い、もしくは日本で言えばヤンキー的な仕草でもあったのだけど、今回、この作品を読んで、納得ができた気もした。
 そのスタッフがヒルビリーと言われるような人かどうかはわからないが、そうした扱いを受けたのは、オハイオ州のデイトンだけだったから、その土地ならではのことだったのかもしれない、とは思えた。

 著者のJ.D.ヴァンスは、私がデイトンに滞在していたときに、まだ幼いかもしれないが、同じオハイオ州にいたはずだった。ただ、著者の生活は、そのゴルフ場のスタッフの振る舞いの延長線上にあったかもしれないが、想像以上に過酷な生活だったようだ。

 ただ、それが生まれながらの場所であれば、著者にとっては、それは日常に過ぎなかったかもしれない。

ヒルビリーの生活

 ヒルビリー、という言葉自体が差別的な表現ではあるのだけど、著者も使用しているし、この場合は、象徴的で分かりやすい単語でもあるので、今回はヒルビリーと使い続けた方がいいと思った。

 その生活は、著者が詳細に述べてくれているので、大雑把にくくり過ぎるのも失礼だとは思うが、20世紀の終わり頃なのに、とても暴力的な日常だった。

 例えば、著者が一番好きだったのは、ゲアリーおじさんだったが、その理由も明確だった。

私を蹴飛ばしたり、耳を切るぞと脅したりしない人だった。

 そして、祖父母は、移住することによって、ヒルビリーの中では豊かな暮らしを手にしていたのだけど、その行動は、やはり荒っぽかった。

 祖母は、「議論するぐらいなら撃ち殺したほうが手っ取り早い」と考える一族の出身だったのだ。 

 行動原理もはっきりしていた。

 店の商品を壊したり、店員を脅したりするのは、祖母と祖父にとってごく当たり前のことだった。アパラチアで暮らすスコッツ=アイリッシュなら、子どもがひどい目に遭ったときには誰でも、そういう行動に出るからだ。

 祖父が、今度、酔っ払って帰ってきたら、ぶっ殺す、という祖母は、その言葉を守ろうとするような人でもあった。

 ガレージからガソリンの入った缶を持ってきて、夫の頭の上にガソリンを振りかけた。そして、マッチに火をつけて夫の胸のあたりに落としたのだ。だが、火の手が上がると、11歳の娘がすぐさま駆け寄って、なんとか火を消した。祖父は奇跡的に軽いやけどですんだという。

 そして、祖父母だけでなく、著者の一族も、ヒルビリーの「美学」に忠実な人たちでもあったようだ。

 倹約はわれわれヒルビリーの本性に反しているのだ。
 上流階級になったふりをするために金を使う。その結果、破産したり、親類に愚行の尻拭いをしてもらったりして、落ち着くところに落ち着くと、あとには何も残っていない。

 さらには、健康に配慮して、ちまちまと節制することも、ヒルビリーでは許されないのかもしれない。

 食事と運動の習慣が、墓場行きを早めている。ケンタッキーの一部地域の平均寿命は67歳。すぐ近くのバージニア州のある地域を15年も下回っている。最近の研究では、アメリカのあらゆる民族集団のなかで、唯一、白人労働者階級の平均寿命だけが下がっていることがわかった。 

(『ヒルビリー・エレジー』より)。

 これほど、根っからマッチョな地域だとは知らなかった。

 フィクションと比べるのはおかしいかもしれないし、理解が浅いだろうし、何より、傍観者としての視点だからだろうけれど、この世界は、ヤンキー漫画や、反社会的な組織を描いた日本でのフィクションと、よく似ているとも思ってしまった。

 その共通点は、独特の美学が頑なに守られていることだ。だから、変わるのが難しい。

貧しい故郷からの脱出

 著者の環境は、次々と父親が変わったり、母親が薬物依存になったりする不安定で、過酷だった中で、将来への不安ばかりがふくらんでいたのだろうけれど、周囲も似たような環境であれば、やはり、同じように破滅的な将来が見えるのも、自然なことかもしれない。

 私は長いあいだ、将来に不安を抱えながら生きていた。隣人や家族がそうであったように、自分も最後は、ドラッグやアルコールにおぼれたり、逮捕されたり、子どもがいるのにその面倒を見られない状態になったりするのではないか、と心配していた。

 そして、ヒルビリーと言われるような白人層は、こうした環境の中で生まれて育てば、今の時代から取り残されたとしても、そこから脱出することの方が難しいように感じるが、さまざまな要因が重なって、著者は、比較的安定した3年間を、10代に得ることができた。

 誰にも邪魔されることなく、祖母とふたりきりで過ごしたこの3年間が、私を救ってくれた。それが変化のきっかけだったとは気づいていなかったのだが、祖母と暮らすことで、私の人生は完全に方向転換したのだ。 

 何にもまして私が覚えているのは、私は祖母の家で「幸せだった」ということだ、(中略)そんなふうに幸せだったからこそ、その後、現在にいたるまでの12年のあいだに、私はさまざまなチャンスに恵まれたのだ。

 著者は、海兵隊に入隊し、その後、大学に進み、自分の街から脱出することになる。

 2009年8月、入学から1年と11か月で、オハイオ州立大学をダブルメジャー(専攻がふたつ)で、しかも最優秀の成績で卒業したのである。

 著者の祖父母も含めて、おそらくは環境に恵まれれば、これだけの能力が潜在的にあったのだと思われる。だけど、環境に恵まれることが、どれだけ難しいのか。生まれた場所で、どれだけ決まってしまうのかも、この作品からは伝わってくるようにも思う。

 じつは祖母は、子どもたちを守る弁護士になって、自分から声をあげられない子どもたちの声になりたがっていたようだ。だが、彼女がその夢を追い求めることはついぞなかった。高校にも通わず、おそらく、弁護士になるにはどうしたらいいのかも知らなかったからだ。

(『ヒルビリー・エレジー』より)

 そういう世界では、エリートは嫌われる。オバマ大統領が、ヒルビリーによく思われないのは、人種ではない、と著者は指摘する。

 私が大人になるまでに尊敬してきた人たちと、オバマのあいだには、共通点がまったくない。ニュートラルでなまりのない美しいアクセントは聞きなれないもので、完璧すぎる学歴は、恐怖すら感じさせる。 

 それは、オバマのパートナーに対しても、同様だった。

 オバマの妻は、子どもたちに与えてはいけない食べものについて、注意を呼びかける。彼女の主張はまちがっていない。正しいと知っているからなおのこと、私たちは彼女を嫌うのだ。

(『ヒルビリー・エレジー』より)

エリートの世界

 オハイオ州立大学を優秀な成績で卒業したものの、著者は当初は、どこのロースクールに進むかに関しては、それほど関心がなかった。弁護士になってしまえば、同じだと考えていたせいだ。

 ただ、ロースクールを出ても、仕事がなくてウエイトレスをしている人がいる、という話を聞いて、やはり環境で違ってくるのではと著書が強く思えたのは、それを肌で分かっていたせいかもしれない。それで、イェールとハーバードにも願書を送ろうと決意し、そして、イェールのロースクールに進むことになる。

 その中では、著者は変わり種だった。

 学生のほとんどは名門私立大学の卒業生で、私のように大規模な州立大学を卒業した者はほとんどいない。 

 ただ、皮肉(?)なことに、さまざまな制度によって、低所得の家庭出身への支援もエリートの学校の方が手厚い。

 イェールでは、学生の経済状況に合わせて、数万ドルの奨学金が支給されるのだ。貧乏でこんなに得をしたのは初めてだった。イェールは夢の学校というだけでなく、最も安あがりな選択肢でもあった。

(『ヒルビリー・エレジー』より)

 著者から見たら、イェールも、エリートの特殊な世界だった。

 ある調査によれば、イェール・ロースクールの学生の95パーセント以上は、中流層化それ以上の階層で占められていて、実際にはそのほとんどが富裕層に属するという。

 アイビー・リーグの大学は、学生の多様性にこだわりを持っているため、黒人、白人、ユダヤ人、イスラム教徒など、さまざまな学生がそこに集まっている。しかし、そのほぼ全員が、両親のそろった、経済的にも何ひとつ不自由のない家庭の出身だ。

「母親が外科医で父親がエンジニアの家庭は中流だ」と、みんながまじめな顔で言うのである。

(『ヒルビリー・エレジー』より)

  そして、仕事を探すときも、エリートの世界は、違うルールで動いている。

 成功者たちは、ふつうの人とはまったくルールの違うゲームをしていることに気がついた。(仕事の面接などでも)ネットワークを使うのだ。

 イェールにおいて、ネットワークの力は、まるで空気のような、つまり、あたりまえすぎて存在を忘れてしまうようなものだった。

(『ヒルビリー・エレジー』より)

 エリートたちも、周囲が全員エリートだったら、自分たちがエリートとはあまり思わず、こうした恵まれたことも、恵まれていると感じていず(他の層からみたら、鼻持ちならないとしても)、ただ自然なことなのかもしれない。

 ただ、それ以外の世界を知らない、という意味では、ヒルビリーたちと変わらないのだろう。

 国民の生活水準を向上させるには、適切な公共政策だけでなく、上流階級に属する人が、以前はそこに所属していなかった新参者に対して、心を開くことが必要になるだろう。

(『ヒルビリー・エレジー』より)

おすすめしたい人

 ここまで引用した部分であっても、この作品の全体からみたら、一部にしか過ぎません。

 私たちヒルビリーは、この地球上で誰よりもたくましい。私はそう信じている。

(『ヒルビリー・エレジー』より)

 弁護士になり、エリートの一員になった今でも、そうした思いを持っている著者が、ヒルビリーと、エリートの両方の世界を描いてくれたからこそ、自分が見たこともないヒルビリーの世界の独特さも、鮮やかに描かれているように思います。

 そんなヒルビリーたちに、声とプライドを与えたのがトランプなのだ

(『ヒルビリー・エレジー』 解説:渡辺由桂里 より)

 最後の解説に、こうした言葉もありますが、読後には、このことが、とても説得力を持って伝わってきます。

 トランプを支持する人だけではなく、トランプを支持しない人にも、ぜひ、手に取ってもらうことを、おすすめします。


(こちらは↓、電子書籍版です)。



(他にも、いろいろな作品についても書いています↓。もし、よろしければ、読んでもらえたら、うれしいです)。 



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おちまこと
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