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読書感想 『ルンルンを買っておうちに帰ろう』  「バブル時代の古典」

 2023年頃、テレビでよく見るようになった一人に林真理子がいる。

 様々な問題が噴出した日本大学で初めての女性理事長になり、その後もさらに問題が広がったことに対応するために記者会見で質問をされる立場になり、いらだったような表情で話をしていた。

 1980年代からコピーライターとして活躍し、エッセイがベストセラーになり、小説を書いて直木賞をとり、その後は、直木賞の選考委員をはじめとして、様々な要職を務めている。

 何冊しか読んだことのない熱心ではない読者の感想として、大変なことは分かっていても、とても野心の強い人が、その仕上げとして日大の理事長になったのではないか、と思っていた。

 林真理子理事長は、記者会見のとき、状況への対応を富士登山に例え、2023年7月の段階では「6号目」と答えたので、その後、12月の時は、さらに問題が大きくなったので、そのことを再び問われ、林理事長は、こんな答えをしていた。

「何合目というよりも、富士吉田の駅に着いたというところ。バスに乗って5合目まで行かなきゃいけない。バスにも乗ってない。分かりますか、中央線で富士山に登るときに…」と例え、「山に登らないといけない気持ちでいっぱいです」と心境を述べた。

(「日刊スポーツ」より)

 富士吉田駅という例えや、バスに乗る、乗らないで、この記者会見の時間を使う突飛な印象が、それほど明確な根拠はないのだけど、昔の林真理子のエッセイのこととつながるような気がした。

 それは、バブルの時の印象を思い出せる作品のはずだった。


『ルンルンを買っておうちに帰ろう』 林真理子

 最近になって、林真理子という存在を日大の理事長として知った人も少なくないとは思うけれど、最初に、林真理子という名前が広く知られるようになったのが、1982年、20代後半で書いた、このエッセイ集がベストセラーになったからだった。当時はコピーライターとして、この作品は書かれている。

 このエッセイの目的は、かなりはっきりとしている、ように見える。それは、この頃の女性の書き手によって生み出されていた「おしゃれ」なエッセイへのアンチとしての文章を書く、ということのようだった。

 若い女がもっているものなんてタカがしれているじゃないか、と私はいいたい。
 ヒガミ、ネタミ、ソネミ、この三つを彼女たちは絶対に描こうとしないけれど、それがそんなにカッコ悪いもんかよ、エ!
 とにかく私は言葉の女子プロレスターになって、いままでのキレイキレイエッセイをぶっこわしちゃおうと決心を固めちゃったのである。
 ものすごい悪役になりそうだけど、ま、いいや。どうせはかない女の命、大輪の花、いやネズミ花火となって果てましょう。

(「ルンルンを買っておうちに帰ろう」より)

 そして、その矛先は、例えば、こうした人達に向けられている。

雑誌「モア」のグラビアによく登場してくるカップルたちって、吐き気がするぐらい嫌い。たいてい奥さんがスタイリストで、旦那がグラフィックデザイナーかイラストレーター。あーいうところに出てくるカップルって、たいていは編集者の友人関係から見つけてくるから、ほとんどがカタカナ職業なのよね。
「私たちって個性的に、現代的に暮らしてるでしょ、ほら、ほら」
 っていう感じが、ふたりの笑顔からプンプンにおうんだけれど、個性つうもんが集まると、ただのアホにしか見えないって知らないのかしらん。

(「ルンルンを買っておうちに帰ろう」より)

 こうした「悪口」のような書き方は、それ以降、珍しくなくなったのだけど、確かに、こうした書き方は、1980年代初頭では、まだほとんどなかった。特に女性が、こうした役割を引き受けていたことも記憶にない。

 ただ、今から振り返れば、主婦の友社から単行本を出し、その後、角川文庫になるからといって、集英社の「モア」を具体的に攻撃するのは、かなり思い切っていると、当時でも思っていた。

 それでも、当然ながら、ところどころ新鮮な視点を入れてくる。

「個性つうもんが集まると、ただのアホにしか見えない」というのは、説明が足りないかもしれないけれど、でも、本当のことに近づいているようにも思える。

 だから、面白いと思って読めたし、それから、こうした文章のスタイルは、確かに一つの大きな流れにもなったような印象がある。

 それが、バブル時代の空気感の一つでもあったと思う。

バブル時代の古典

 この『ルンルンを買って、おうちに帰ろう』は、当時は購入して読んだと思うのだけど、家には見当たらず、だから、改めて図書館で借りようと思ったら、何人かの予約が入っていて、それは、最近、林真理子理事長としてテレビなどで見かけるようになったせいかと思った。

 単行本としてもベストセラーになり、その後、文庫化されたものを、借りることになった。その奥付けには「昭和60年11月10日初版発行  平成30年5月15日 78刷発行」とあるから、昭和から平成の終わりまで、ずっと売れ続けていることになる。

 こうした「78刷」といった数字は、個人的な体感で言えば、夏目漱石といった文豪の文庫本で見た記憶があるから、すでに、この作品は、出版時期としてはバブル前夜であるけれど、「バブル時代の古典」といっていい存在に、いつの間にかなっていたようだ。

 そして、それは、ヒガミ、ネタミ、ソネミといった形を取りながらも、実は、そのあとに本格化する「バブル的なもの」への批判にすら感じてくる。

センセイの奥さん、最初見た時びっくりしちゃった。あれで私は少し彼のことを見直す気になったんだけれど、実物のセンセイを見たら納得。だって病的短足の五頭身なんだもん。あれならあの程度がお似合いみたい。すこしもひがむことはないのよ、ブスの皆さん。

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 この「センセイ」と言われる人物の具体名は、この本でははっきりと書かれているが、今、改めて書くと、その人物のことばかりが気になりそうなので、知りたい方は、実際に手に取って欲しいのだけど、この「センセイ」と言われる人物は、林のように最初の1作で有名になった書き手であり、さらには、プレイボーイとしても知られる人だからこそ、上品な表現ではないが、このように書いたように思える。

 とにかく私は彼女が大嫌いなのだ。
 そしてはっきりと口に出して、大嫌いといえない空気を私のまわりにつくったことが、私がますます彼女を大嫌いにしている大きな原因になってくる。
 つまり彼女を支持する人々から発射される「彼女を認めないものは、感性がにぶくて、世間一般の常識にとらわれすぎている」といった光線が私にはとてもつらいの。

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 さらには、今も活躍する音楽家に対しても、本文では実名を出して、このような批判をしている。この「彼女」は、その後の活躍で実力もあると証明しているのだけど、その「彼女」自身の問題ではなく、林真理子は、周囲の評価のあり方への違和感を強く表明しているようにも読める。

 さらに、その〝「〇〇(彼女の名前)」が最高〟という言葉は、当時の林真理子には、こうしたこと↓と同じように聞こえたようだ。

「トリュフにアルジェリア産のジャムつけて食うと最高」
 といった、ひねったグルメのいやらしさがある。

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 そういう周囲の空気へ忖度したような評価の言葉は、今も、別の誰かや、何かの現象に対して向けられていることかもしれない。

野心のかたち

 そして、林真理子は自らの野心も隠さない。それは、20世紀後半だけではなく、21世紀に入ってからのITバブルの主役たちとも共通している姿勢にも思える。

「他人から憎まれるのは気持ちイイもんだ」
 一時期にせよ、こう思ったのは事実である。

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 それは、林真理子が、コピーライターとして成功しつつある頃の話らしい。バブル前夜の時代なので、その収入も、おそらく21世紀の現在よりも(相対的に)高いはずだ。

 フリーのコピーライターになって、ポスターの仕事を一本した。ギャラがそれまで働いていた会社のほぼ一か月分だった。
 ほんとにチビリそうになるくらい興奮した。  
 絶対になにかの間違いだから、この金をもって姿をくらまそうと何回も思った。
 この気持ちはいまでも続いている。
 たいして才能をもっているわけでもない二十代の女の子が、普通のOLの数倍のお金をかせぐという事実。

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 ここには、ただ成功した高揚感だけではなく、そこに潜む不安感も忘れていない姿勢も示されているが、それでも、成功を目指すのは、20歳の頃の記憶と関係あるかもしれない、と林は振り返る。その当時、林は誰からも好かれていた、というが、そのことに対して異議を唱えたことがあるらしい。

「私が人に好かれるのは、私がなにももっていないからじゃありません?!」
 強い口調に驚いたのは、友人よりも私だったと思う。
 その時私は初めて願ったのかもしれない。
 人に嫉妬されたい。
 憎まれるほど強くねたまれたい。
 こういう経過があったればこそ、私は冒頭の言葉をぬけねけというのである。

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 その冒頭の言葉とは、「他人から憎まれるのは気持ちイイもんだ」である。

 おちこむのも、おごるのも、とにかく極端なのである。
 私の歴史は、ゴロゴロとこの坂をころげ落ちたり、はいずりあがったりしてきた繰り返しだった。
 そうしているうちに気づいたのだが、この坂の距離は長くなってきており、ころげまわる私自身も大きくなってきているのだ。
 目ざすものはさらに大きなものとなり、そしてひとつずつ、私はそれを手に入れるようになった。これが私、「林真理子のエネルギーの原則」つうものだろうか。

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 そして、様々な要職だけではなく、今は巨大な大学の理事長にまで上りつめた、と表現したくなるのが、林真理子、という人かもしれない。

成功の果て

 人は変わる。

 だから、2020年代の、日大理事長にまでなった林真理子が、1980年代と同じ感覚を持っているとは思いにくい。

 それでも、久しぶりに『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を読んで、その「成功の果て」のようなことまで書いてあるのに、改めて気がついた。そのことについて、全く忘れていた。

 広告の仕事はなんだかんだいっても派手な世界である。一流の人ほどお金をもっていて、外国にしょっちゅう行っていて、そして食いしん坊である。みんな食べることにものすごい情熱とお金を使っている人ばかりだ。 

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 だから、林も、いつの間にかいわゆる高級スーパーに通うようになる。

 近所の八百屋で買えば、一山二百円ですむトマトが、なんと二個で3百円もするんだから。私はなんと一回の買い物で一万円以上も使うという、超ブルジョア的な行為をしてしまった。私は自らこの行動に甘く酔って、ドキドキしながらエレベーターに乗った。

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 今と比べると物価の違いがあるのだけど、何しろ、そうしたブルジョア的な行動が、いつの間にか日常になっていく。

 ある朝、私は目ざめたらかなりの空腹を感じていた。
「パンを食べよう」
 と私は思った。けれども、
「サンジェルマンか、もしくはアンデルセンのパン」 
 というはっきりした限定が、私の頭の中につくられていたのだ。
 地元のヤマザキのパンではダメと、私のからだと美意識が叫んでいた。

 それで仕方なく私は服を着かえて、青山通りまでバスで行かなければならなくなったのだ。
 途中、私は腹立たしさがジワジワとおしよせてくるのを感じた。
「知らない頃の方がよかった」
 もっと生活が気楽だった。どこのパン屋でもよかったし、不平不満なくおいしく食べていた。
「どうしてこんなことになったんだろう」
 何度も自分に問い返した。

 サンジェルマンのパンは確かにおいしい。
 けれども、なんとたくさんの自由と時間を私から奪ったことであろうか。

「食べることは恥ずかしさと悲しさがつきまとうことだ」
 幼い私が直感として得たこのことが、なぜかこの頃私につきまとって離れない。

(「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」より)

 現在では、この「サンジェルマン」や「アンデルセン」のところに、もっと違う名前の高級なベーカリーの店名などが入るはずだが、大事なのは、こうした気持ちの変化について、記録してくれているところだと思う。

望んでいること

 とても失礼でごう慢な言い方になり申し訳ないのだけど、今の林真理子氏に、この「成功の果て」の感覚が残っていれば、それを大事にしつつ、巨大で複雑な大学を、少しでも公正な存在に戻してほしい。それができなければ、その経過も含めて、書くということで広く知らせてほしい。

 そんな、勝手なことを思ったのは、今回、この作品が、これだけ長く読まれ続ける理由を改めて考えて、それは何より、この本のタイトル『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が、とても優れているからだと気がついた。

 林真理子氏は、コピーライターでもあったのだから、このタイトルも林本人が考えたのだと思いたいが、もし、そうでないとしても最終決定の権利は著者にあるはずだから、そのタイトルを選ぶ感覚は、やはり才能があるとしか思えないからだ。

 才能に加えて、幸運にも恵まれたからこそ、様々なものを手にした人間には、それを社会に還元する義務があるはずだ。だから、理事長になったからには、それにふさわしい義務もきちんと果たして欲しいと思っている。


 
 バブル時代を知っている人は懐かしく読めると思いますし、まだバブル前夜とはいえ、その昭和末期の好景気の空気感のようなものを知りたい方にも、おすすめできる作品です。

 もちろん、日大の様々なことで、林真理子って誰?と興味を持った方にも、手に取ってもらいたい一冊です。


こちら↓は、電子書籍版です)



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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