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テレビについて(55)ドラマ『最高の教師』-----「本当の言葉の力」

 ある教育関係者が、テレビで言っていたことを、学校の風景を見たときに、時々、思い出す。

------今、かなり年配の方々が、学校に来たときに、なつかしい、とおっしゃいますが、それではダメなんだと思います。

 その人が言いたかったことは、10年や20年経つと、さまざまなことは大きく変化していくのに、学校や教室の風景は、卒業してから20年も経った人が見て、なつかしい、ということは、それだけ変化していないということ。それは、やっぱり間違っているのではないか、という指摘だった。

 確かにそうだと思った。

 そして、そのことは、学校を舞台にしたドラマを見るたびに、思い出す。


演技

 演技がうまい。という言葉を、ただのテレビ視聴者でも、わりと簡単に口にするし、自分でも気がついたら、そんな「評価」をしてしまっていることがある。

 ただ、演技のうまさ、といったことは少しでも考えると、その評価基準などは明確に言えるわけもないし、なんだかわからなくなる。

俳優の条件
(中略)
日常の様々な動作を、
意識して、
自由に組み合わせて、
何度でも新鮮な気持ちで演じることができる。

(「演技と演出」より)

 どれだけ稽古をしても、毎回、初めてのように演じられる、ということなのだろうけど、それだけで、日常的なことではないのは、なんとなくわかる。

俳優がうまくなるのは、いい作品、いい演出家と出会って、その稽古の中で、本人が本当に研鑽を積んだときだけです。他に何か手品のような方法はありません。

(「演技と演出」より)

 その一方で、こうした身もフタもないような、どんなことにも通じるようなオーソドックスな方法でもあるようだ。

心身の内面を掘り下げ分析していくこと、自由な発想で外側の世界に向かっていくこと、この二つは、明らかに矛盾する作業です。そして、この矛盾する作業を、いともたやすく行ってしまう俳優のことを、私たちは天才と呼びます。

(「演技と演出」より)

 この天才のことは、こちらの理解が届かないせいで、正直、イメージしにくいし、著者の平田オリザは、主に舞台で上演される演劇について書いているので、それを、テレビドラマなどの演技などと一緒に考えていいのかは分からないけれど、それでも、演技が上手い人、を勝手に視聴者として「天才」などと思ってしまっていることがある。

芦田愛菜 

 例えば、芦田愛菜は、演技が上手いのではないか、と思うようになったのだけど、勝手ながら、子役のときには、興味が持てなかった。

 それから、ずっと芸能界にいて、さらには学力もあるようなので、その方面でもインターネット上でのニュースになっていたから、知ってはいた。

 それに、舞台あいさつなどでの言葉も聞くようになって、本当に頭が良くて、冷静で、何より考え続けているような気配があるように思ってきた。

 そして、あるCMで、そのことを確信した。

 CM内で「シェー」のポーズを、出演者たちが揃ってするのだけど、その中で芦田愛菜だけが、手を上にピンとまっすぐ伸ばして手首を曲げていた。それは、原作者の赤塚不二夫が、「正式なポーズ」としている「シェー」と同じだった。

 それは、演出だったのか、それとも芦田本人が確認した上での演技なのかは分からないけれど、どちらもしても原点に忠実な形を演じるだけでも、なんだかすごいと思った。

 そうした姿は、確実に、演技にきちんと取り組んでいる証拠だと思ったから、こういう人は、キャリアの長さが、そのまま実力を伸ばすことに使われている可能性が高いとも感じた。

最高の教師

 そして、「最高の教師」にも芦田愛菜は出ている。それも、重要な役のようだった。

 このドラマは、菅田将暉が主演だった「3年A組―今から皆さんは人質ですー」の続編とも言われていたが、その共通点は、最初は、突飛な設定かもしれないとも思った。

「3年A組」は、余命がわずかとなった教師が、今を、生徒を変えていこうとする設定だったけれど、今回の「最高の教師」は、卒業式の時に自分が担任したクラスの生徒らしき人間に(クラスが書かれたリボンをつけている腕しか見えない)、高いところから落とされて絶命するはずだった教師が、1年前に戻って、そこからやり直すという話だった。

 だから、命をかけて、同じ運命をたどらないように、必死に教室を変えないと、また同じように殺される日がきてしまう。

「3年A組」も、「最高の教師」も、教師が本当に命懸けになる「必然性」を、かなりトリッキーでも作っていて、それは、現代は、そうした前提がないと、人は本気にならない、というような諦念のようなものが前提にあって、だからこそ、本気なのかもしれないと思った。

 そして、その教師は、教室を変えようとする。
 そのために「なんでもします」と言い切る教師を松岡茉優が演じている。

松岡茉優

 繰り返しになるけれど、演技がうまい、ということがどういうことなのか。

 ただのテレビ視聴者に、そういうことは、やっぱり分からないけれど、松岡茉優は、演技が上手い、という印象になっている。

 それは、出演するドラマや映画によって、違う人に見えるからで、それも、自然にその役としてそこにいるような佇まいだった。

 しかも、演技が上手い人と言われる俳優では、その役になりきる憑依型、というような、感情の力を最大限に生かしているという人も多い印象があるが、松岡茉優は、気持ちの問題よりも、何より、その役の見た目になる、ということを徹底しているように思え、だから、安定感と、20代なのにベテラン風の落ち着きがあるようにも思えていた。

 気がついたら、カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞した「万引き家族」にも出演していて、そこに違和感なくいられる俳優になった印象だった。それは、やはり、すごいことだと思う。

 その上で、いつも熱演というような表現は似合わないものの、その演じる人として、そのドラマの中で生きているように見える印象も変わらなかった。

 そして、今回は、『最高の教師』で教師役を演じるけれど、考えたら、個人的に最初に松岡茉優を知ったのは「桐島、部活やめるってよ」の映画だった。次にドラマかどこかで見たときに、この映画の中での印象と全く違っていて、だから同じ俳優だと最初は思わないくらいだった。

 そして、「桐島、部活やめるってよ」の中で、今では「常識」のようになったスクールカーストのそれも「一軍」の女子高生を演じていたから、それから10年ほど経って、今度は教師を演じていて、しかも、その「女子高生」とは、全く違う人だった。

本当の言葉

『最高の教師』は、フィクションとはいえ、そして、自分が直接、これほどのことを経験していないのに、その教室の居心地の悪さや、ざらざらした緊張感がリアルで、だから見ていて、気持ちが重くなるようなドラマだった。

 そのせいか、インターネット上の情報によると、途中で離脱するドラマとして、今期(2023年7月から)では、上位に入っているらしかった。それも、暗くて重くて見てられない、という意見があって、それも納得ができた。

 それでも、見続けたのは、作っていく側の本気を感じたせいだった。

 そのうちに、教師役の松岡茉優が、このクラスを変えていくためには「なんでもします」ということを実行し始め、教室に監視カメラを設置したり、という具体的な方法とともに、さまざまなトラブルを抱えている生徒たちとも正面から向き合い、そして、話し合いを続ける、という気持ちの負担にもなるようなことを、続けていく。

 そして、何度も、本当に思ったことを、そのまま伝えることの大切さを、繰り返すのだけど、それが説得力を持つのは、その教師自身が実践していたせいだと思う。

 もちろん、ドラマだからフィクションで、都合よく進んでいく、という見方もできるけれど、教師が本気で、命をかけて「なんでもする」ことで、本当に生徒たちは変わっていく。

 昔見た学園ドラマの熱血教師が、涙を流しながら、時には殴って、それで生徒を変えていく姿を見て、そのときにも、全部に納得がいかなかったけれど、今回の『最高の教師』は、昔よりも、表現も含めてさまざまな制限もあり、さらには学園ドラマ自体が難しくなっている時代に制作するのだから、より覚悟がいるのかもしれず、回数が進むたびに、シリアスさは増してもいるが、「本当の言葉」について、より考えさせられるようになった。

 明らかに、何か良くないことをした人間に対しても、その人間がいないところで憶測で語らない。

 誰かが、人をひどく傷つけた場合に、それを許すことはできない。

 松岡茉優の演じる教師は、大げさに表情を変えることも、声を大きくすることもなく、淡々と、生徒に対しても丁寧語を崩さず、話すべきことを話し、やるべきことをしていって、そのことで、変わらないと思えた生徒まで変わっていく。

 だけど、ずっと、自分が本当に思ったこと以外は話さない、ということは変わらずに、だからこそ、自分の言葉に伝わる力が宿るのも自覚しているようだし、周囲の人も、それまで事なかれ主義に見えていた教頭まで影響されていく。

 そうした人たちの言葉は、普通に考えれば、きれいごとだったり、絵空事にも思えるかもしれないけれど、そして「向き合う」という言葉を多用しているところが少し気にはなるにしても、それでも、そういう「本当の言葉」がフィクションの中だけで聞かれるのではなく、もし、現実でも普通に話されるようになれば、少しずつでも、社会も変わるかもしれない、と思える。

なつかしさ

 今も、ドラマの中で見る学校の風景は、なつかしい。

 どれだけ優れたコーチでも、20人以上だと、質の高い指導は難しいと、優れたサッカーの監督に聞いたことがある。

 ドラマの中の教室は、あいかわらず、1クラスで30人ぐらいがいて、高校生だと体も大きいのに、あのスペースに、あれだけのエネルギーのある若い人間が押し込められるようにいるのは、改めて考えると、やはり不自然なことだし、それだけの人間に目を行き届かさせるのは、どんな有能な大人でも、実は不可能だと改めて思う。

 そして、教室のメンバーが固定されているから、そこでグループができやすくなったり、いじめが発生しやすくなるはずだから、もっと流動的な場所になってもいいのに、それも含めて現実も、相変わらずのままだ。

 教科書の内容は話題になって、それも重要なことだとは思うけれど、学校という環境を、もう少し生活しやすくなるような場所にすることも必要なのに、と考えさせられる。

 それでも、なつかしさのある教室という場所を中心に、そこにいる人間が少しでも生きやすくするために「なんでもします」と言い続ける教師が、どこまでできるのか。どれだけ周囲の人間が変わるのか、に期待しつつ、これからも『最高の教師』を見ると思う。

 個人的には、今期(2023年夏)最高のドラマになっている。

 最終的にどうなるのか分からないし、エンターテイメントとして成立させつつも、フィクションといっても、その中の「世界」で、より真っ当な出来事が起こった方が、世の中にとってはいいのではないか、と最近になって、より思うようになった。

 だから、特に「大人」にも、見てほしいドラマです。


(このドラマ↓も、映画↓も、やはり「大人」にも見てほしいと思っています)。



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