「他のが良かった」とか「これは違憲だ」とかいうヤツは基本的に「うるせー」と思っているが
平成の次は『令和』、しっくりくるとか、こないとか。
「他の候補の方が良かった」とか文句いうヤツが出てきている。
「喧嘩になるから他の候補は内緒にします」って言ったよね。
誰だよバラしたの。ほらみろ。
天皇様が最強とか、いいやお飾りに過ぎないぜ、とか、そもそもの考え方が相容れない人達もいるだろうけど、「平和にしようね」ってとこくらいは協力してやれよ、ってこの手の話題が出るたびに思う。
そんな中、
「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190402-00010014-abema-soci
以下主張部分を引用
山根弁護士は「元号の制定は国民が有している『連続している時間』を切断し、憲法13条が基本的人権として保障する国民一人一人の『個人の尊厳』すなわち『人格権』を侵害するものであるから同条に違反し許されない」と主張する。
山根弁護士は「裁判は5月21日午前11時から東京地裁で開かれるが、これは何を提訴したかというと、これは“全て国民は個人として尊重される“と書かれている憲法13条に違反するということだ。私たち一人一人は世界の人々と共に、連続した世界の時間を生きているし、キリスト教国ではなくても西暦という時間軸を生きている。しかし、日本列島だけはそこからはみ出して違う時間軸になっていて、天皇が変わると振り出しに戻るというか、“ガラガラポン“とゼロになってしまう。時間が切断されている。つまり、元号というのは、寸断された時間の中で天皇と共に生きるということ。元号と西暦を行ったり来たりして、頭の中は分裂状態。早見表がなければ何年前かも分からない。これを強いられるのは非常に苦痛で、自由ではない。今回の裁判も、裁判所から“平成31年何号“と番号が付けられる。次に国の代理人出してくる答弁書は、覚えたくないが、おそらく“令和元年何号“という形で来る。強制されている。日本は国民主権に立つ近代憲法を持った近代国家のはず。どう考えても基本的人権を侵害しているし、国民主権の日本国憲法に反している」と主張する。
違憲かどうかを見張って牽制することは必要とは思うけど、いま言うなよ。(ずっと前から手続きを進めていたのだろうけど)
ずっと元号変えるって言ってたよね?「やっぱ変えません」ってワンチャンあると思っていたのか。新元号発表しちゃったし、もう無理でしょ。
仮に「令和やっぱなし」ってなったらカレンダー業者やもろもろのシステム屋さんはまた大変よ。そのみんなの負担どうすんの。
「元号なし」となったら昭和、平成、令和……と連続してきた時間が分断されるけど、それについてはどうすればいいんだ。
…でも便乗すると、
今でも旧暦や六曜で行事やお祝いの日取りが決められてて、非常に苦痛で自由ではないから、これも一緒に合わせてどうにかしてくれ。
無理ならとやかく言うな、つまり、そういうことだ。
法的にどうこうできても、それを習慣にしている人達がいる限り、すぐになくすことはできない。法的な自由は保障されようとも、真の自由は生まれない。そう思うと「めんどくせーこと言うんじゃない」というのが正直な感想だ。
新人が酒の席で「元号って違憲じゃないっすか」とご託を並べて言って来たら間違いなく「うるせー」とパワハラと共にぶん殴ってやる。そんな気分だ。
それはそれとして、法的な面もあるらしい
「1947年以降、国会の場では元号についての議論がなされてきて、やめたほうがいいという意見や、やめない方がいいが、それなら法的根拠を持たせないといけないという意見があった。そうしてできた元号法だが、かなり変わった法律だと言ってもいいと思う。一世一元については明記しようということで、皇位の継承があった場合に限り改めるという条文は入れたが、“元号とは何か“という定義が書かれていない」。
元号を用いる法的根拠があった方がいい……というならば、
西暦を用いる法的根拠、他のカレンダーでなく西暦を用いることが妥当な理由は一体なんだろうか?
「手続き上、西暦に統一した方がラク」
ならば
「利便性を考慮し公的な文書において西暦を用いる(併記する)」
とか、そんなところ?
でも、
ついでに日本語や10進法を用いることも定めた方がいい?
日本語の定義はどうする?利便性が考慮される場合カタカナ語は使っていい?ダメ?
うわーすげーめんどくさい。
法的なことや必要性がどう、とか言っているが、
自分は元号を変えること自体には意味・効果があると思っている。
山根氏はこの有本氏の反論にも「時代が改まってなんかいない。天皇が変わっただけだ」と訴えた
彼は「時代が改まる」というのをどう認識しているんだろうか。
時代って
え~~~~~~~~~~……ハイ!いま変わりました!!
ってもんじゃない。徐々に変わっていくものだ。
それをあとで振り返った時、
昭和は…
平成は…
…とそれぞれ(なんとなく)その時代があったな、という区切りを意識付ける働きがあり、これによってラべリングされていくものが『○○時代』となっていくのだと思う。
『20歳になった瞬間に大人として覚醒する』ことなんてないのと一緒だ。
でも『20歳から成人(大人)』と言われることで
「20歳になったし、そろそろ分別つけなきゃな」
と思うこともあるだろう。
つまり「天皇が変わるだけ」だとも言えるが、その影響は「天皇が変わるだけではない」とも言える。
元号が変わると「時代も変わるし、今までの悪いところは直して、良いところを増やそう」という気になる。それに「ここのところ災害続いているし元号変えるか」ということが過去にあったように、集団のネガティブなイメージを断ち切るためには、こういう心理的テクニックを利用したアプローチはありだ。活かせば良い。
この元号必要・不要の論争はどうなるのだろうか、
元号を用いることも文化のひとつととらえれば、法的に政府がこれを無くしてしまうのはどうかと思う。その中で生きてきた人達から、取り上げることはできるのだろうか。
そして山根氏は「違憲だ!」と大上段に構えているが、
本心としては「手続き上、元号だとめんどいから辞めようぜ」ってところを狙っているのではないだろうか。どうなんだろ。
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