見出し画像

それでもトルコで20万をぼったくられる訳

こんばんは、かどぅです。今まで公言していませんでしたが、僕は気がついたら一夜で何十万を取られた経験が2回あります。 

そんな僕がトルコ🇹🇷でとられた経験は、留学先の友達に会うためにヨーロッパ周遊の1人旅をしていた時のことです。トルコでは1人の友人と会う予定でしたが、初日はフリーだったため、喫煙所でタバコを吸いながら何をしようか考えてました。すると、隣の背の高いガタイの良い人から話をかけられ、その流れで半日一緒に街を歩くことにしたのです。これ、普通に考えれば何か変だなと思うでしょうが、当時の僕は危険な道に連れてかれそうなら逃げられると思って全然気を許していました。日も暮れ、知り合いの店で一杯やろうと誘われて、そこでお会計時にごっつい男性4人に囲まれお金を盗まれてしまったのです。

ここまで聞くと、タダの世間知らずのアホなわけですが、騙される背景としては、これまで見知らぬ人に何回も救われてきたし、その場のノリで仲良くなり、今もやりとりする海外の友達がいるからなのです。彼らと仲良くなる時もどこかで一歩踏み込んできた。そんなことから、飛び込んだ先には、何かワクワクすることがあると思ってしまうのです。

とあるトルコ空港では、素敵なおじいちゃんに出会った。(トルコでは新聞を5000円で売られるという小さいぼったくりも経験。)

帰りの空港ロビーで暇を持て余していると、横に紳士っぽい人が座ってきた。どうも話を聞いてみると、サンパウロにある大学の教授で、ポルトガル語のプログラムを各国と提携しに来ているらしい。

ここで一杯飲もうかと、誘われる。が、知らない人と話して20万盗まれたことを思い出し、さらには朝の10時だということを考えて、結構です。と言うが、日本時間では夜でしょならいいじゃないかと!トンチの効いた誘いに負けた僕は一杯飲むことを承諾する。またしても何かワクワクすることが待っているという気が勝った。

この方と話していて、言葉について様々な話が聞けた。特に、ラテン語から派生したコトバについては、スペイン語とポルトガル語は日本の東北弁と標準語より、差はないらしい。そこから国と言葉は関連しても、絶対条件じゃないことを実感する。日本=日本語というイメージが強いが、コトバにはその国によって分けられる意味はなく、「言葉を区別してるのは科学的根拠はなく、政治的に決定されているのみ。そこに国民というアイデンティティが加わるかどうか」ということらしい。

教授の話はとても興味深く、その時に連絡先を交換してから、彼が一度日本に来たときも、昼に一杯を交わしている仲となった。

もうお金はとられたくないが、一歩踏み出す喜びを感じてしまう。