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首が痛むほど振り返っても

嘘をついた。小学校を卒業する頃、お父さんやお母さんに感謝を伝えましょうと担任から促され、手紙を書く機会があった。卒業式が終わった教室で、子供たちそれぞれが保護者のもとへ行き、書いた手紙をその場で読み、渡した。何を書いたのか、はっきりと覚えている。小学校には三ヶ所通った。それぞれ遠く、遊びに行けるような距離では到底なかった。引越や転校をたくさんしても変わらず元気にやってこられたのは、家族のおかげです。ここまで育ててくれてありがとうございます。そう書き、読んで、母に手渡した。しかし、あの手紙は嘘なのだ。本当はそんなことこれっぽっちも思っていなくて、あれは、苦し紛れになんとか絞り出した嘘の感謝状だった。手紙を書く時間、クラスのみんなが次々と書き始める中、一人だけ筆がまったく進まず焦ったのを覚えている。いつもは逆なのに。作文は得意で大好きで、誰よりも早く書き始めるのに。自分だけまだ真っ白なのが恥ずかしかった。なんとか書き出してもでっちあげの模範解答しか出て来なくて、手汗で用紙がよれた。照れではない。感謝したいことが思いつかないことや、嘘をついて書かなくてはいけないことが恥ずかしかった。今でこそ有難いと思っていることはある。大学まで当たり前のように行かせてくれたこととか、お金に困らず生活させてくれたこととか。だけど、子供の頃のこととか、「家」のことを思い出すと、なんとなく心が曇る瞬間がある。今も小学校にそういう活動はあるのだろうか。子供に手紙を書かせるのなら、「両親」「家族」に限定せず、その子が感謝したいと思う相手なら誰に宛ててもいいように、なっているといいな、と思う。無理やり完成させた嘘の手紙の存在を、十年以上経っても忘れられない子供もいる。思い出す度に、罪悪感と羞恥心と嫌悪感を一緒に煮込んで沸騰させたような気持ちになる。ちなみに、結婚式で、バージンロードを新婦と父親が一緒に歩き新郎に受け渡す演出も、見るのには素敵に思うのだが私は絶対にやりたくないと思っているし、両親に宛てたスピーチも、少なくとも今の私には難しいなと、年々強く思うようになっている。

好きな人ができたとか彼氏ができたとか、親との電話口で報告しても、喜ばれたことがない。祝福の言葉も当然ない。興味なさそうにへえと言われ、終わる。もしくは、仕事や大学や出身地や家族構成を聞かれて、終わる。母親と楽しく恋愛の話なんて、私にとっては夢のまた夢だ。娘がどんな人を好きになったのか、どんな人とお付き合いしているのか、特別知りたいとは思わないのだろう。実家で暮らしていた高校生の頃まで、母ははっきりと言っていた。「結婚する相手以外うちには連れて来ないでね」と。付き合っているだけであれば両親にとってはまったくの他人だから、関心を持つ必要がないのだろう。なぜ自分たちが審査する側にいると信じて疑わないのだろう。昔母はこうも言っていた。「お父さんとお母さん以上にあなたを大切にしてくれる人しか認めない」。私、そんなに大切にされてた?愛がなかったとは思わない。もちろん、父なりに、母なりに、愛情をかけて育ててくれたのだと思う。ただ、私が欲していたかたちの愛ではなかったというだけ。

転職する時、相当揉めた。まず退職すること自体を納得してもらうのにも時間を要した。はじめに内定した、インテリアを卸している小さな会社の話をした時は、もうすごかった。私は前の会社から逃げられるならどこでもよかったわけではない。受けたいと思える会社なんて本当に見つからない。だから、これだと思うものに出会った時には、求人が出ていない企業でも、直接自分で会社に連絡して直談判して会う約束を取りつけ、面接してもらったりもしていた。そうして突き動かすほど、奮い立たせるほどにぐっとくる職には、滅多に出会えるものではない。はじめに内定した1社も、やっと出会えた会社のひとつだった。しかし、最初から猛反対だった。インテリアなんていつ潰れるかわからない業種で、しかもそんな規模の小さな会社!信じられない。許さない。そんな会社に行くくらいなら、田舎に帰ってきてコンビニ店員でもやった方がマシだ、とも言われた(母は一度スイッチが入ると止まらないタイプだ)。まったく話にならなかった。ヒステリックに声を荒げるだけで、私の話を聞く気なんてはじめからないのだ。
これ以上自分の人生を譲りたくなくて、諦めたくなくて、小学校の卒業式ぶりに親に手紙を書いた。しかし結局わかってもらえなかった。返事は一言も来なかった。伝わらなかった。
私は私で、自分の意思でその後も転職活動を続けて、大手企業に内定し、自分の意思で入社を決めたはずだった。だけどダメだった。入社が決まってすぐ、母から「今朝の朝刊にあなたの会社の広告が入っていた」と喜ぶ様子の連絡を受けて、絶望した。やってしまったと思った。私はまた間違えた。あれだけ自分の意志を貫こうと手紙まで書いたのに、結局また無意識のうちに、親の望む方へ駒を進めてしまったのだ。

彼氏と同棲したいと言い出した時、転職以上に壮絶に揉めた。転職の時、最後の望みのつもりで魂込めて書いた手紙さえ一切意味をなさず、これ以上「わかってもらう」ために努力するのは無駄だと悟ってはいた。だけど、「わかってもらう」ために努力するのをやめたら、私は、全部を諦めて言いなりになることを最初から、自ら、選ばなくてはならなくなる。ここでやめたらきっとこの先も私は一生抜け出せなくなる。
これで本当に最後のつもりで、私はまた両親に手紙を書いて送った。返事はやはりなかった。

私が本心を書いた二通の手紙は、「好きな会社に転職させろ」とか、「今すぐ彼氏との同棲を許せ」とか、そういう馬鹿みたいなワガママを突き通すためのものではなかった。私の人生の話だ。あなたたちが私に「あってほしい姿」が私にとっての「ありたい生き方」とは限らない。いつまで許しを乞いて生きなければいけないのか。どちらかが死ぬまで、私はあなたたちに認めてもらえる範囲の中だけで、そこからはみ出さないように、間違えないように、生きていかないといけないのか。そうでなければ私には価値はないのか。

私の話を聞いて「それだけ心配されてるってことじゃん」と言う人もいる。だけど違う。そうじゃない。うちはそうじゃない。上司のパワハラで限界で泣きながら電話した時、親は何と言った?見ず知らずの人につきまとわれて名前も家も知られ、郵便受けに手紙やネックレスが差し入れられるのを相談した時、親は何て?怖くて自宅に帰れず当時の彼氏宅から通勤していた時、次の日のこともわからず疲弊しきっているところ、彼氏の両親に挨拶がしたいから電話を代われという親の申し出を断った私に(私のSOSを無碍にした人を、良くしてくれている彼氏の家族に電話越しでも会わせたくなかったし、子供じゃないんだからお礼は私自身がするのに、なぜ親が出てくるのか疑問だった)、彼らは何て?
みんなそんなもんでしょ。お給料なんて我慢料なんだから。どこにでもそういう人はいるの。
お母さんもそんなこと昔あったあった。手紙なんてドアに貼りつけて返しちゃいなさい。警察なんて大袈裟な。
お母さんたちの立場ってものがあるのよ!

「親が子を心配するのは当たり前」という大義名分のもとで、その実「親の思う通りでないことはすべて受け入れない」というかたちをとっている。転職も同棲もそう。心配する気持ちを抑えたりコントロールすることができないから、ぐっとこらえて見守るようなことができないから、私の行動を制限することによってその不安を解消している。私が不幸になりうる可能性から全て遠ざける。私は失敗を学べない。全部言うこと聞かせるのが愛なのか。本当に助けがほしい時に何度も無関心を決め込まれたのに、その「心配な親心」を私は信頼し、聞き入れなければならないのか。

年のせいだろうか。前は楽しく聞いてくれた話題も、褒めてくれたことも、今同じことをしても何の反応もない。昔の母はいない。私はわかってもらうため頑張ることに疲れてしまった。人生長いし、そういう関係の時期があってもいいかなと思う。この一年、私はよく頑張った。自分を捨てずにたくさん戦った。同棲したいと言っていた彼とは別れたと知れたら「だから言ったじゃない」「ほらお母さんの言った通りだったじゃない」と掌を返されるのだろう。私の意思で決めたことなのに自分の手柄みたいに横取りされる。わざわざ教えてなんてやらない。同棲の件であれだけ家をかき回しておいて結局別れたのかと姉に言われたが(姉は、中立の立場で私と親を取り持っていてくれた)、私は意味なく今の気持ちだけで「かき回した」わけじゃない。付き合っているのがその人だろうと、別の人だろうと、遅かれ早かれ同じことにはなった。私が絶対にそうした。はじめから私にとっては同棲する・しないの話じゃない。私の人生だから、もう少し対等に話をさせてほしいと訴えているだけなのだ。私がお伺いを立てて、親に審査され、許可される。それ以外のものは認められない。それが大人どうしがすることか。手紙にもそう書いた。同棲を認めてもらえないことをどうこう言っているのではない。これ以上過干渉でいられると、これ以上生きづらくなると、もう取り返しがつかないから、これで伝わらなければもう諦めるから、本当に、最後の希望のつもりで書いて、でも、だめだった。

なんの解決もしていないのに、時間が経ってなんとなく収束ムードになって、「なかったこと」にされるのが、私は一番嫌だ。昔からそうだった。母と口喧嘩になっても、話し合いで解決したことなんて一度もない。さっきはごめんと言い合ったこともない。なんとなく時間が経ったら元通りの空気を作られる。主張のぶつかりあいはなかったことにされる。ずっとそうされてきた。そんなものにはのらない。これからどうするかなんて分からないし、仲悪くしたいわけじゃないけど、ちゃんと私は距離感と態度で意思表示し続けるよ。この一年で学んだのは、次に転職する時は絶対に親に言わずに全部決まってから報告するべきということ。そして、伝わらない相手に伝える努力を続けていたら時間と心をいくら費しても足りないから、分かり合えない人ではなく、自分を分かってくれる人、大切にしてくれる人と一緒にいるために努力し、人生を費やしたいということ。私の今後の戦いは「親に私をわかってもらうこと」ではなく、「呪いを次の誰かに連鎖させないこと」。これから頑張ろう。また。

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