しげ氏

横浜生まれ→福岡育ち→東京在住。通信キャリア→ベンチャー経営→ジャスダック上場企業役員…

しげ氏

横浜生まれ→福岡育ち→東京在住。通信キャリア→ベンチャー経営→ジャスダック上場企業役員→米企業日本法人バイスプレジデントを経て、2022年なりゆきでFIRE。音楽を聴き酒を嗜みます。意味のない都市散歩が好きです。

最近の記事

社会貢献不適合者の悩み

いま僕は実質的に無職である。これまで働いてできた資産や、その資産を元に行う投資により、ささやかな暮らしを成り立たせている。 この先、勤めるとか、事業をはじめることがあるかもしれないが、なにかに追われてそうするのでなく、なるべく自分のなかで湧き上がる直感や、信頼のおける人間関係をベースにして、選択を行っていこうと考えている。 先日、幼馴染の女性と食事をした。彼女はフリーランスで、アパレルの仕事を大きなクライアントと一緒に長いこと続けてきたのだが、最近働き方をガラッと変えた。

    • 桜、卒業、新生活

      春っぽいキーワードが頭に浮かんだ時、同時に思い出したことがある。 40年くらい前、通っていた福岡県の郊外にある新興住宅地(現在は高齢化が進んでいると聞く)にある公立中学校の校庭で、全校生徒を前に当時の校長先生がされた話の内容だ。 「先日、私は自分が通っていた中学の同窓会に参加しました。一人ひとり、今何しているか自己紹介しました。偉くなられた方、立派になられた方、たくさんいらっしゃいました。」 「中に1人、中学のころはとてもおとなしかった男子生徒がいて、彼も自己紹介をしま

      • 坂本龍一さん逝く

        高橋幸宏、鮎川誠、に続いて子供時代のアイドルが続けざまに逝ってしまい寂しい。 御多分に洩れず出会いはイエローマジックオーケストラで、忌野清志郎との共作や、ボウイやビートたけしとの共演、映画音楽での活躍にずいぶん刺激を受けた世代だが、コロナ社会になってからは、彼のピアノ作品、最近の内省的な作品を部屋でよく聴いた。 音楽以外にも、子供の頃は彼のフットワークが軽い活動にずいぶん触発された。三島由紀夫の編集者だった父坂本一亀のDNAか、学者や文学者との共著も多く、そうした著作も手

        • WBCと違う金メダルを目指す男

          Iの実家は駄菓子屋だった。中学の頃、仲良かった。いつもニコニコしている明るいやつで、よく一緒に釣りに行ったりして遊んだ。 その後つきあいが薄くなったが、誰かからIは大学卒業後に青果の卸会社で働いていたものの、上司と喧嘩してクビになり、ひとりで八百屋をやっている…と聞いた。Iが他人と激しく揉めるというのは僕の記憶とは馴染まない。ある日、ほらあの西鉄S駅の近くの…と教えて貰った場所を通ると、Iの八百屋はなくなっていた。 先日Iの実家があった場所を通ると、駄菓子屋が焼き芋屋にな

        社会貢献不適合者の悩み

          ラジオ体操第二ぎらい

          足の指が折れました。 運動をあまりたくさん出来ないので戯れにラジオ体操をやっていますが、ラジオ体操第二の曲がどうも好きになれず困っています。どこがキライかというと全身をぐるぐる回す運動をやる、あのちょっと陰鬱なフレーズ(1:55あたり)です。 ラジオ体操といえば朝、季語は夏、という明るいイメージのはずが、突然あのフレーズが来ると、真冬の急な坂道を重い米袋か何か背負って上る、そんないたたまれない気分になります。 そうしてその後におおらかで明るいフレーズがくる(2:15あた

          ラジオ体操第二ぎらい

          あやしい親戚

          Rおじさんに初めて会ったのは僕が9才の頃だった。鹿児島県の海沿いにある、桜島が綺麗に見えることが数少ない取り柄の、父の実家に訪ねてきたのだった。おじさんはまだ40そこそこだったが、髪には既に白いものが混じり、杖をついていた。そして傍らには、かなり歳下の美しい奥さんを連れていた。このとき、父はおじさんを幼馴染の同級生だと紹介した。Rおじさんの実家はもうなかったが、この町で一緒に育ったのだと言った。まだ存命だった祖母とも気安く話していた。 Rおじさんは父と違い、能弁で明るい性格

          あやしい親戚

          鮎川誠さんのこと

          鮎川誠さんの音源にはじめて触れたのはYMOのソリッドステートサバイバーで、僕は福岡に住む田舎の子供だったから、ギタリストのクレジットを確認などしなかった。やがてスネークマン・ショーでシーナ&ロケッツのレモンティーに触れ、その流れで真空パックを聴き、鮎川誠という名前を認識した…という流れだった。 要はYMO周辺のテクノ関連、ニューウェーブ関連のミュージシャンだと思っていた。中学校に入り、友達の影響でモッズ、ARB、ルースターズ、ロッカーズといったバンドを聴き始めるのだが、そう

          鮎川誠さんのこと

          蘇る苦い感覚

          2023年2月のホーチミン旅行はとても楽しかった。コロナウィルスの流行以降、久しぶりの外国だったし、その期間中、地元っ子(といっても充分に中年だが)のデイビッドが何から何まで世話を焼いてくれたから、こちらはただあちこちに出かけて行って喜んでいれば良かった。 帰国の日もぎりぎりまで同じ調子だった。朽ちたアパートメントの屋上に突如現れる、風が気持ち良いレストランで夕食を摂り、南ベトナムの共産党が武器庫として使っていたという古民家を再生したカフェに寄り、残り時間を過ごした。ベトナ

          蘇る苦い感覚

          あのスイティエン公園へ

          ホーチミンに行ったら、あのスイティエン公園に行ってみたいと思っていた。 ベトナム人の友人デイビッドに言ったら、うわ懐かしいー、子どもの頃、父親のバイクに2人乗りして行ったな〜とのことだった。どうやらホーチミン・シティボーイたちが、ごく普通に親と出かける場所のようだ。広い公園にプールと動物園が併設された施設…、と聞くとたしかに一般的なアミューズメントパークらしきもの…を想像するかもしれない。 しかしgrab(配車アプリ)で、ホーチミンから1時間弱のスイティエン公園入り口にた

          あのスイティエン公園へ

          彼とベトナムと私

          先日、久しぶりに海外へ出かけた。 行き先はホーチミン。タンソンニャット国際空港に着くとデイビッドが迎えに来てくれていた。ベトナムを何度も訪れるようになったのにはいくつか理由があるが、デイビッドとの縁も大きい。 彼とは以前の会社で同僚だった。とはいえ、部門は違い仕事で絡むことはなかったのだが、なんとなく仲良くなり、いろいろと話をするようになった。彼は30代後半で日本製品やゲームが好きな小柄で優しい男だが、彼のベトナム話はゲーム以上にエキサイティングだ。 彼の祖父は南ベトナ

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          熊本で昔の人にビビった話

          なんとなく熊本に行ってみた。 熊本城周辺には、2016年に起きた地震の爪痕がいまだに残っている。 公園に並べられた大量の石にテープが貼られたり、塗料でNo.が描かれていたりしていたから、たぶん石垣の再生に使われるのだろう。 地震の大きさが頭をよぎったのはもちろんだが、幾千の岩石を前にして、熊本城造った昔の人、やっぱスゲーと思った。この壮大なパズルを考えた人も、実際に組みあげた人も大変なものだ。 重機などない時代、たとえギャラが良くても、この現場のバイトには入りたくない

          熊本で昔の人にビビった話

          土地をもらって苦労した話

          相続の手続き中、実家の持つ一部の土地に抵当権が設定されていることが分かった。 おいおいと思い詳しく聞くと、ご先祖様が金を借りて土地を買っていたようで、時期は明治20年(1887年)、金額は8円50銭だという。 130年以上前の話を令和になってされても…と逆ギレ気味になり、じゃあここに10円玉ありますからこれで払います、領収書と1円50銭のおつり下さいよと言ってみたが、そういう話じゃないと一蹴された。まあそうだろうな。 なんでも時効で抵当権抹消の手続きをするのだそうだ。こ

          土地をもらって苦労した話

          東京で体験した阪神・淡路大震災の話

          毎年1月17日がくると、1995年1月16日(阪神淡路大震災の前日)の自分の行動については、強い後悔の念が湧いてきます。 その日も例によって酔っていました。 勤めていた会社の独身寮(東京都調布市にあった)に乱入、後輩達の部屋を次々と荒らして遊んでいました。 そのうちのひとりK君の部屋で、コードレス電話機に薬缶のお湯をかけて壊す、という今考えると何が楽しいのかよく分らないことをやらかしてました。 翌日あの地震が起きたわけですが、神戸出身のK君の電話機は僕がお湯をかけ

          東京で体験した阪神・淡路大震災の話

          福岡名物について

          福岡に着いたら、何を食べるのが正解か。 うどんラーメン、イカ刺身、もつ鍋行くか水炊きか…。 観光で行くならいろいろと思い浮かぶのだろうが、最近、メニューから選ぶということをしない。 思えば遠くに来たもので、福岡で育って東京で仕事に就き、もうずいぶん長くなった僕は、福岡のコトバが聞けそうな店に行く。それは観光とは程遠い、古く鄙びた居酒屋や焼き鳥屋、燻んだバーだったりする。そういった店には店とセットで年季の入った常連客がいらっしゃる確率が高く、運が良ければ若い人が使わず今は聞

          福岡名物について

          高橋幸宏さんのこと

          小学生のころYMOがデビューして、近くに住んでいたキンちゃんにレコードをダビングしてもらいカセットテープが伸びるくらい聴いた。 今思えば、ソニーのウォークマンだとかホンダのシティとかコムデギャルソンとか、先進的なテクノロジーやデザインのプロダクトと一丸となって出てきた印象で、イケイケ日本の先駆けだった気がする。 高橋幸宏は、子どもの自分にも、それまでのドラマーとはずいぶん違ってみえた。安直な言い方をすれば、自由が丘生まれ立教育ちお洒落な人はだいたい友だち、というキャラは稀

          高橋幸宏さんのこと

          クルマ不足社会としての地方

          某地方にある、今は亡き父が建てた空き家をたまに見に行く。 空港から海沿いの家までタクシーに乗ったら、ドライバーがものすごく減ってしまって…と運転手の方が仰っていた。 日が落ちる頃、再従兄弟の店に入りカウンター越しに尋ねると、そうだよ兄ちゃん週末に電話するとクルマは何時になるかわからんて云われるよ、とのことだった…。 人口12万、京セラやソニーの工場、自衛隊かあり、空港、温泉、海からも近い街だがそういうことになるか…。 既存のタクシー会社がなくならないうちに、他国のよう

          クルマ不足社会としての地方