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桜、卒業、新生活

春っぽいキーワードが頭に浮かんだ時、同時に思い出したことがある。

40年くらい前、通っていた福岡県の郊外にある新興住宅地(現在は高齢化が進んでいると聞く)にある公立中学校の校庭で、全校生徒を前に当時の校長先生がされた話の内容だ。

「先日、私は自分が通っていた中学の同窓会に参加しました。一人ひとり、今何しているか自己紹介しました。偉くなられた方、立派になられた方、たくさんいらっしゃいました。」

「中に1人、中学のころはとてもおとなしかった男子生徒がいて、彼も自己紹介をしました。彼は中学を出て入った職場で、今もずっと同じ仕事をしているということでした。先生はとても素晴らしいと思いました。」

とまあ、だいたいそんな内容だったと思う。

校長先生からすれば、生徒たちに、勤勉、継続、地道な努力といったことを伝えたかったのだろうか。何故そんな古い話をいつまでも覚えていたかというと、当時子供だった僕は言語化出来なかったにせよ違和感を感じたからだ。校長先生の話は昭和であっても既に単純に礼賛できる価値観ではなかったのではと思う。

40年前にすでに老人に近づいていた教育者が発した言葉について揚げ足を取るようなことをするのは、意地が悪い行為だろう。ただ今となっては終身雇用という労働環境は望みにくくなっている。また言われたことを単純に繰り返すという仕事のやり方は淘汰されようとしている。

自分の産み出す価値に自覚的でないと、認められにくくなりつつある。もちろん、そうした他者の評価とは無縁の場所に身を置くという選択肢もあって、それはかつてよりむしろ多様化しているとも言えるが、みずからが能動的であることが必要で、同じ場所にとどまったおとなしい男子生徒のスタイルは、美徳ではなく惰性に見える可能性が高い。

桜、卒業、新生活。

上司、先輩、大人たちは善かれと思いさまざまなことを言って下さるに違いない。僕も乗っかってこれ以上ない蛇足をひとこと加えさせていただくとするなら、未来も価値観もわりとカンタンに変わる…ということである。

分かってると思いますがどうか話半分で大人と付き合ってください、どうかあと半分は自分の感覚を大切に、感じた違和感が正しいこともあるから…と思う。

たとえば自分らしさとか、多様性とか、社会目的、みたいなことは社会に出るにあたりちょっと大義ある価値観みたいに響くかもしれないが、そんなもの意外と早く変わって、別のことが言われるかもしれない。だから、まあ肩に力が入らないように。

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