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東京で体験した阪神・淡路大震災の話

毎年1月17日がくると、1995年1月16日(阪神淡路大震災の前日)の自分の行動については、強い後悔の念が湧いてきます。

その日も例によって酔っていました。

勤めていた会社の独身寮(東京都調布市にあった)に乱入、後輩達の部屋を次々と荒らして遊んでいました。

そのうちのひとりK君の部屋で、コードレス電話機に薬缶のお湯をかけて壊す、という今考えると何が楽しいのかよく分らないことをやらかしてました。

翌日あの地震が起きたわけですが、神戸出身のK君の電話機は僕がお湯をかけたために呼び出し音が鳴らず、震災地のご家族がK君に無事を知らせようと何度電話しても、繋がらなかったそうです。(当時、携帯は一般に普及していなかった。)

その後、ご家族の無事は幸いにも確認できましたが、K君が当時つきあっていた彼女には連絡が取れませんでした。彼は危険を顧みず、会社に無断で震災地に向かう判断をし、その彼に寮の仲間はパジェロ(車)、水や食べ物、毛布を提供し、調布から神戸へと向かうK君を見送りました。

その後、ようやくの思いでたどりついた神戸はひどい状況で、住宅密集地にあった彼女の家は跡形もなかったそうです。彼女の姿はなく、K君は想像していたいろいろな未来をあきらめたということです。


あれから…。

毎年K君からは年賀状が届きます。あのとき奇跡的に無事だった彼女は彼の妻として写り、歳月を経て子供が3人に増え、その子たちも今やすっかり大きくなりました。

ちょっといい気分になるのですが、同時に、酔っ払ってハメを外し、薬缶のお湯を電話機にかけるようなことをしてはいけない、と強く思います。でも、きっと今夜もまた飲んでしまうわけでして…。

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