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彼とベトナムと私

先日、久しぶりに海外へ出かけた。

行き先はホーチミン。タンソンニャット国際空港に着くとデイビッドが迎えに来てくれていた。ベトナムを何度も訪れるようになったのにはいくつか理由があるが、デイビッドとの縁も大きい。

彼とは以前の会社で同僚だった。とはいえ、部門は違い仕事で絡むことはなかったのだが、なんとなく仲良くなり、いろいろと話をするようになった。彼は30代後半で日本製品やゲームが好きな小柄で優しい男だが、彼のベトナム話はゲーム以上にエキサイティングだ。

彼の祖父は南ベトナムでCIAの仕事に従事していたという。おじいちゃんがCIAに勤めるベトナム人、というキャラクターは、日本でぼんやり働いていた僕の交友関係の中ではなかなかレアだ。いつだったか彼の実家に遊びに行ったとき、家族のアルバムを見せてもらったら、ホワイトハウスの前でソフト帽を被りトレンチコートを着た男性が写っており、デイビッドはこれが祖父だ、と指差した。

そのデイビッドのおじいちゃんはベトナム戦争の最中、ちょっと呼び出されたんで出かけるけど3日経ってオレが帰って来なかったらヤバいから、一族でサイゴン(現ホーチミン)に逃げろと言い残したそうだ。案の定、おじいちゃんは戻らず、一族はベトナム中部から南のサイゴンに移ったらしい。おじいちゃんは今に至るまで消息不明だという。

考えればベトナム戦争は太平洋戦争の敗戦のちょうど30年後にあたる1975年までやっていたわけで、その分戦争の記憶が日本より鮮明だということがまずあり、デイビッドがどちらも母国語ではない英語と日本語を混ぜ、情報を伝えるため情緒を排した独特の表現でかつてのベトナムについて話すと、何故だかよりリアルに心に響く。

そうしたわけで、たとえばフォーやバインミー以外のベトナムをデイビッドに教えてもらうことは、ホーチミン訪問のひとつの楽しみになっている。人もバイクも多く、色々な時代の建築が混じり、活気があり、フルーツの腐った匂いがするこの街を、違う視点で見ることができるからだ。


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