グラマラス馬姫子

役者 音楽家 文筆家 インプロバイザー 演技講師

グラマラス馬姫子

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最近の記事

あの頃のボク達

先日、役者仲間と飲みに行った。 そのメンバーの一人に三年ぶりに会った子がいた。 飲み会の席で久しぶりに彼女に会った僕はどんなテンションで接していいか、分からなくなっていた。 でも、それは割と僕にとってあるあるで、その時はあまり気に留めなかった。 その次の日もそのメンバーで即興劇の稽古をする予定だった。 次の日、とある即興のワークをしている際、彼女にこんなことを言われた。 私のこと、怖いの? そんなことはまったく無いと思った。 でもなぜか、話しずらさを感じていた。

    • スタンドバイミー

      つい先日、福島県へ行って来た。 遊びでは無く、演劇の仕事でだ。 福島県の高校生の一人が、僕が所属している劇団の作品をネットで見て学校公演をしに来て欲しいと言ってくれたらしくて、福島県へ公演を打ちに行った。 行きはバスで、約14時間、帰りは電車に四時間、そのあとは夜行バス。 果てしなく遠かった。 だからこそ、自分たちの演劇が、あんなにも遠くの場所に届いて、そして、ちゃんとお仕事として行けたこと。 本当に、凄い事だと思った。 夜行バスに揺られているとき、感謝の気持ち

      • ステイ フォー ステップ

        退職届けにサインした。 大学を卒業してから、ずーっと働いていた職場の。 気づいたら8年もいた。 たくさんの人にお世話になった。 大好きな人もたくさんいた。 でも、精神がもう持たなかった。 毎日足が震えてどうしようもなかった。 声を出そうとしたら違うなにかが、出そうになった。 限界はとうに過ぎていた。 周りの友人達には口を揃えて、辞めることを進められていた。 病院に行った方がいいと上司に言われた。 許せない人がたくさんいた。 殺したい人もたくさんいた。

        • 僕らの身長差

          バキコさん、今回の芝居も〇〇さんに負けてたわよ。 大学4階生の春、僕は一人で教授の部屋に呼ばれていた。学生時代は毎公演後にこうして教授の部屋に呼ばれては、お決まりのこの台詞を言われていた。 二つ下の後輩にとても華があり、器用な後輩がいた。僕はいつも彼女と比べられては、今回も貴方の負けだ、と言われ続けていた。 そして、卒業してからは、大学の同期から同じようなことを言われていた。バキコより、後輩の〇〇の方が早く売れるだろうなぁ〜。なんてヘラヘラして言っていた。 そんなこと

          ネガティブもほどほどに。

          僕は、チャールズチャップリンの 「人生は近くから観たら悲劇だが、遠くからみたら喜劇だ」 と言う言葉が大好きだ。 この言葉を思い出すたびに、辛いことが有っても、そんな辛い想いをしている僕を観て、そんな僕の姿を滑稽だと笑っている人がいるんじゃないかと想う。 でも、それは決してマイナスな意味ではなくとっても素敵なことなんじゃ無いかと思う。 どんな形であれ、他人を笑顔に出来ているんだから。 そう思えるようになったきっかけは、大学時代の教授の一言だった。 演劇科のある芸大に通って

          ネガティブもほどほどに。

          背負って背負って吐き出して。

          椿くん、君は何にも背負ってなかったよ。 三年前に役者の先輩に言われた日から、ずっと、背負った演技とはなにか、と考えて生きてきた。 そして、つい最近終わった役が、たくさんの人の想いを受け止めて、感じて行く役で…いや、芝居をするってことはそもそもそう言うことか。 人の想いを受け止めるってとっも難しくて、いつも苦戦する。でも、苦戦するからこそ、苦しいからこそいい作品になるんだ。そんなことを思った稽古だった。 共演者の想い、相手の役の想いを受け取ろうと、思って目の前の景色に目

          背負って背負って吐き出して。

          2021.11月4日 日記

          今日の稽古で岩井さんは言いました 木刀でも人は殺せる、そんな危ない物を扱っていることを忘れるなと 殺陣は命のやりとりをしている、これは役者の特権、普通に生きてたらなかなか出来ない経験。 最近、役作りのために稽古場の空気をたくさん感じるようにしている。 一つの作品をたくさんの人で作ることとはなんなのか、そんなことを考えながら、息を深くすう。 すってすって、感じて感じて。 今日の稽古も、いつも通り色んな人の色んな考えが、交差する稽古場だった。 きっとみんなそれを背負って舞

          ドリームドリームマジック

          今日は29歳の誕生日だ。 28歳の歳は自分が何者かわからない一年だった。 沢山曲を発表した。絵もたくさん描いた。文章もたくさん書いて、CDをリリースして、舞台の脚本書いて、舞台の主題歌も書いた。 当たり前だけど全部楽しくて楽しくてしょうがなかった。 人に褒められたことはなんでもやろうと思った。 沢山人に感謝した。優しくなろうとした。 受け入れようとした。誰かの為に信念を曲げることを覚えた。怒りの感情を糧に努力しないようにした。精一杯の愛を捧いだ。どこまで行っても優しくなろうと

          ドリームドリームマジック

          ラブラブドッキュンフォーエバー

          人でもものでも、何かを愛し続けることはとても難しく、体力がいることだと思う。 23歳あたりから、僕は毎朝起きるたびに、あぁ、役者辞めたいなぁと思っていた。 あまりにも不安定な生活に、将来に絶望していた。 そして、毎日辞めたいと思うのとは別に、今度こそ本当に辞めたいと大きく思う時期があった。 でもその度に、やっぱり役者辞めらんねぇなって思う出来事があり、結局やめられずにいた。 去年の今頃、僕は舞台に立つことすら嫌で、稽古の前日は毎日家で泣き喚いていた。 いま思うと、何が原因

          ラブラブドッキュンフォーエバー

           切磋琢磨で鬼退治

          僕たち三人はそれぞれの現場が終わり、宿舎に帰っていた。 僕が大部屋の机に向かいノートに今日の反省を書いていると、親友の一人が近づいて来て言った。 今日はいくら貰った?俺はこんなけ。 そう言って彼が自分の給料明細を僕に見せる。 そして、僕も自分の給料明細を見せる。 そんな僕らを見て、もう一人の親友が近づいてくる。 そして、彼も自分の給料明細を見せる。 これが、現場から帰ってきた僕たちのルーティン…らしい…。 親友B 今日も俺が一番だな‼︎ 僕 主役だからねー 親友A お前

           切磋琢磨で鬼退治

          青春とマジョリティとマイノリティ

          風俗?行く行く、たまにだけどね。友達と飲んだ帰りにノリでみんなで行ったりするよ。と仕事帰りの電車で、僕の隣に座る彼が言う。 そんな彼の言葉に僕はトキメク。でも、冷静になるとトキメク台詞では無いことに気づく。何故この言葉にトキメクのか気になり分析してみると、ある言葉を思い出した。それは、人は青春時代に経験出来なかったことは大人になってからも心の何処かで追い求め続ける。と言う言葉だ。 学生時代を振り返ると僕はいつもマイノリティな立場だった。それはとてもいい意味で、人と違う(セ

          青春とマジョリティとマイノリティ

          アダルト

          20歳になった時、アダルト、と言う曲を書いた。 どんな曲か簡単に説明すると、仕事が忙しすぎて彼女を大切に出来なかった男が、彼女に振られても、仕事を第一に考え続けるって内容なんだけど。 それは、僕の思う、かっこいい大人の姿を描いた曲だった。学生時代の僕は友人と距離を置いて仕事に専念するのが、かっこいい大人の姿だと思っていた。 だから学生時代の僕は大学を卒業するのが死ぬほど嫌だった。たまに悪夢として卒業式の夢を見るくらいには卒業するのが嫌だった。それくらい僕は友人達が大好き

          くせのうた

          先日、星野源さんの「くせのうた」をカバーした動画をアップした。 世間では悲しみにくれる人が沢山いると思う。そんな、自分を含めた身近な人を癒したくてカバー動画を上げた。SNSを通じて知人から、「癒された」等のメッセージが来るたび、やって良かったなぁと思った。 そんななか、とても懐かしい一人の友人から一本のLINEが来た。それは「本当いい曲だよね。」と言う一言だった。たった一言だけど、あの夏を思い出すには充分だった。 あれは二年前の初夏だった。僕は舞台のオーディションの帰り

          慮る

          コミュニケーションって難しいなって思う。 僕は相手の言葉の裏を汲み取るのが苦手でついつい吐き出された字面のまま捉えてしまう。つい最近まではそのことに対して全く疑問を感じることはなく、寧ろそれが正義だとすら思っていた。 そんな僕は、先日、(コロナ騒動が起きる前ね。)とある友人と飲んでる時に、「慮る」と言う言葉の話題になった。慮るって言うのは、あれこれ思いを巡らし、深く考えること、って意味なんだけど。どうやら僕は、慮りの精神に欠けるらしい。 「もっと慮れる大人になれよ。」と