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くせのうた

先日、星野源さんの「くせのうた」をカバーした動画をアップした。

世間では悲しみにくれる人が沢山いると思う。そんな、自分を含めた身近な人を癒したくてカバー動画を上げた。SNSを通じて知人から、「癒された」等のメッセージが来るたび、やって良かったなぁと思った。

そんななか、とても懐かしい一人の友人から一本のLINEが来た。それは「本当いい曲だよね。」と言う一言だった。たった一言だけど、あの夏を思い出すには充分だった。

あれは二年前の初夏だった。僕は舞台のオーディションの帰り道、将来への不安に押し潰されそうになりマッチングアプリでワンナイトの相手を探していた。あの頃の僕は自分に自信がなくて、誰かに抱かれることで心の安定を保っていた。依存してた。

そして、彼からメッセージが来た。「やりたい」その一言で充分だった。彼の部屋に行くと、一回り以上離れたハンサムなおじさんがいた。

僕らは言葉を交わさぬまま、身体を交わした。行為中の彼からは狂気が感じ取れ、少し怖かった。でも、その暴力性の内に見え隠れする優しさに、僕ははまっていった。

彼との二回目のデートは二人で映画を観に行った。映画館での彼はびっくりするくらいマナーが悪く、やっぱり少し怖かった。映画を観終わり、深夜大阪の町を歩いていると、「君はたぶん病気だよ。君がしてることは自傷行為だ。」と彼は言った。そして、「僕もたぶん同じ病気だ。」と呟く様に言った。深夜の街で寂しく街灯に照らされた彼の後ろ姿が僕は未だに忘れられない。

僕たち二人には依存癖があった。

気づけば僕らは月一で会う関係になっていた。ミュージシャンでもある彼との会話はとても刺激的で、楽しかった。 彼自身も変わっていたが、彼は僕の中にある異常性を愛してくれた。僕らは身体を交わすことで、お互いの傷を舐め合っていた。幸せだった。

そんな真夏のある日、いつものように身体を交わし、寝ようとしてた時、「君と一緒にいるといつもこの曲が頭の中で流れるんだ。」と彼は言って、枕元でピアノを弾き始めた。その彼が弾いた曲が、「くせのうた」だった。

歌ってよ。と彼が言うので、彼の弾くピアノに合わせて歌った。彼と背中合わせに座り、彼の体温を感じながら歌ったあの3分37秒は狂おしく、生きる喜びに満たされた瞬間だった。

そして、笑顔で彼に会ったのは、その日が最後だった。

と言うより、お互い忙しくて会えない日々が続いた。そして、会えない日々が続けば続く程僕は彼に依存して行った。性に依存しなくなった僕は、そのかわりに彼に依存していった。

一日中携帯の画面を見ていた。彼からのLINEの返信をいまか、いまかと待っていた。誰かと一緒にいる時ですら、仕事をしている時ですら、だ。

生まれて初めて、全てを擲ってでもこの人と一緒にいたいと思った。でも、全てを擲つと周りの人に迷惑がかかります。そうなんです。迷惑がかかるのです。ギリギリその事実に気付ける精神状態だったから、結局自分から彼と合わないことにした。

大好きだったから、最後に一回だけ、ちゃんと彼に会って、気持ちを伝えた。

「ごめんね」と言った僕に、彼は「ありがとう」と言った。最後の会話はたった二言だった。

あれから一年以上経ち、僕はカウンセリングに通ったりして精神状態は徐々に回復していき、最近になってやっと、押し入れの奥に仕舞っていた星野源のCDを取り出して聴けるところまでいった。

久しぶりに聞いた「くせのうた」はやっぱりめちゃくちゃ名曲で、なんだか僕の背中を押してくれてるような気がした。

悪いことは重なるし、苦しい日々は続く、それでもやっぱり君に笑って欲しいから僕は歌うんだ。

僕のうたがあなたに届きますように。

※最後に、ここまで書いて思ったんやけど、なんか彼のためにカバー動画上げた、みたいな感じになってるけどちゃうで。それはほんまにちゃう。





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