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青春とマジョリティとマイノリティ

風俗?行く行く、たまにだけどね。友達と飲んだ帰りにノリでみんなで行ったりするよ。と仕事帰りの電車で、僕の隣に座る彼が言う。

そんな彼の言葉に僕はトキメク。でも、冷静になるとトキメク台詞では無いことに気づく。何故この言葉にトキメクのか気になり分析してみると、ある言葉を思い出した。それは、人は青春時代に経験出来なかったことは大人になってからも心の何処かで追い求め続ける。と言う言葉だ。

学生時代を振り返ると僕はいつもマイノリティな立場だった。それはとてもいい意味で、人と違う(セクシャルマイノリティである)僕を周りが受け入れてくれていたおかげで僕はマジョリティぶらなくて良かったのだ。

僕は学生時代、運動部に所属していた。でも体育会系独特の雰囲気があまり得意では無くて、キュンキュンするけど、入りたくはない感じだった。学生時代の僕は、同じ部活の友人たちが馬鹿なことを全力でやってるのを一歩引いて見ていたタイプの人間だった。僕はただただノリが悪かったし、恥ずかしいことをやりたくないという僕の我儘にみんな付き合ってくれたし、ノリを強要されることはなかった。

大学時代なんてひたすら体育会系独特のあのノリから逃げ続ける四年間だった気がする。ノリを強要されそうになったときいかに周りに守ってもらうかばかり考えてたと思う。そんな僕は、男性らしさというか、体育会系らしさ?いや、ノンケらしさかなぁ…そんならしさに憧れているのかもしれない。

体育会系独特のあのノリに、僕は男性性を感じているのだと思う。

僕は、男にもなれないし、女にもなれない。そんな風に思うことが多々ある。男として女を愛することは出来ないし、女として男に愛されることも出来ない。なんだか中途半端な気がして自分が恥ずかしくなる。

だから、スーツを来て、女遊びをして、お酒が好きで、友人と風俗に行く。そんな彼に惹かれるのだ。それはもはや恋心では無く、憧れなのかもしれない。自分にないマジョリティさを持つ彼の様な男になりたいという思いなのかもしれないし、そんな彼と付き合うことができれば少しはマジョリティの仲間入り出来るかもしれない、という思いがあるのかもしれない。

そこで、先日、香水を買いに行った際のことを思い出した。「男の人が好む(男にモテる)香りはどれですか?」と僕が店員さんに聞くと、店員さんにこんなことを言われた。

自分が好きな香りを選んでください。そしたら同じ香りが好きな人が寄って来ます。その方がよくないですか?自分の気持ちに嘘をついてモテたって意味ないですよ。それじゃ本当に自分にとって素敵な人に出会えません。

そう言われたとき、なんか色んなことが馬鹿馬鹿しくなり、結局は自分を好きにならないと何も始まらないのだと思ったんだった。

車窓からは大きな入道雲が見える。夏だなぁ、、、なんて思いながらぼんやりしてると彼が、「椿くん、なんかあった?最近元気ないよ....」と言って優しい笑顔で僕を見ていた。

あぁ、やっぱり彼のことが好きだなぁ。

体が火照ってきちゃったや、、、

今年も春が来ないまま夏が始まる。



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