富士田

1000字前後のなんのことでもない話

富士田

1000字前後のなんのことでもない話

最近の記事

ルポルタージュ

いくらでも嘘をつくことはできたのに、青臭い苦味の後悔が舌の付け根を締め付けるようだった。乾燥した砂埃を舞い上がらせる無数のランニングシューズの不規則な雑踏の中にいた。よーいドンと張り切った掛け声と乾いた火薬の破裂音を聞いて初めてこの人混みの正体を理解した。うねりとざわめき、文字通り波のように流れ行く人波に弄ばれ足がもつれておぼつかない。見るからに意地汚い中年の老眼鏡に歪んだこめかみの皺を見て、私は頷いて何かを了承していた。市営の広いグラウンドをスタート地点とし、そのまま河川敷

    • アキネーター、あるいは神秘的な夜の出来事

      「ブルーベリージャムが床にこぼれていた」 「それが君の怖い話?」 「はい、そうです」 「それは、いつ、どこで見た光景?」 「何日か前、もしくはずっと昔の子供の頃かもしれません。何度も繰り返し思い出すので、この記憶がいつからあるものなのか、今となっては不確かです。……場所は、居間。実家の居間です」 「君がそれを恐怖した理由は?」 「夜だったんです。なかなか寝付けない暑苦しい夜でした。二階の自室から階段を降りて居間に出て、台所でコップに水を汲んで飲んだ。電気は点けていなかった。た

      • 先生

        人妻は汗ばんだ額や首筋に布地を押し当てて肌色の汗を染み込ませた。普段よりいくらか荒い呼吸は熱く湿っている。布地は視界の果てまで限りなく続いていた。シルクか木綿か学の無い人妻には分からなかったが、それは化学繊維だった。廊下はどこまでも限りなく続いていた。人妻の夫である私はそれを見ていた。 「仕方ないじゃない。汗だくで先生のところへ行くなんてできないわよ」 「ああ、分かってるよ。それに、先生だってそのことを分かってくれるさ。先を急ごう」 私たちは再び歩き始め

        • 今すぐ自転車に乗りたい男

          ここに「今すぐ自転車に乗りたい男」というタイトルの小説が存在する。それは主に日本語を用いた文章によって構成された数十頁ほどの短編小説だった。著者が男性であるのは確からしいのだが、それがいい歳して窓際と言って差し支えないような繁忙期などとはおよそ縁遠い閑散としたオフィスの片隅で勤務時間中にも関わらず私的行為に耽る冴えない中年男性によるものなのか、そうでないのかは分からない。ただそれが「今すぐ自転車に乗りたい男」という文言をタイトルに掲げる概ね数十頁ほどの短編小説であるということ

        ルポルタージュ

          無題

          ここにとある一人の男があるとしよう。その男はごく普通の生活を送っているとしよう。男は道端で小銭を拾う。それは百円玉であったとしよう。その時男の頭上には春先のよく晴れた空に太陽が高く昇っているとしよう。男が百円玉を拾い上げようと腰を落とした時、太陽はゆっくりとその巨体を滑らせて地平の彼方へと沈んでいく。街は途端に夜のそれへと表情を変え、困惑するように家々に明かりが灯る。急激な温度変化のせいなのか、冷たい風が男の首元をかすめて通り過ぎる。男は百円玉の端を中指と親指で挟むと、親指の

          最後の女

          目出し帽を被った男たち。男たちに目出し帽以外の着衣は無い。露出した陰茎を見てしまった。男たちは横並びに整列し皆一様にそれを奮起させている。つまり勃起している。右端の陰毛が揺れて風が吹き左端の陰毛を揺らした。私はそれを、可視化された風の通行を目で追っていた。男たちの目線は私の身体に集約されている。まじまじと見つめている。少しずつ私の着る衣服が透き通っていくからである。今やスーパーのポリ袋ほど透明度となり次第に水に濡れたトイレットペーパーのように本来の形状を失い剥がれ落ちて行くよ

          ボーイ・ミーツ・ガール

          春の風が無神経に吹き付けて、傷心の俺を嘲笑った。都会のアスファルトは今日も硬い凹凸を見せびらかしてくる。わざとらしい街路樹もいやらしい高層ビル群も、何もかもが鬱陶しい。俺の心は見て分かるほどにささくれだっている。どうしてこんなことになったのか。俺は現在から過去を振り返ることにした。 俺が最初に思い出したのは、現在よりも数秒前の出来事だった。春の風が無神経に吹き付けて、傷心の俺を嘲笑った。突風に目線を下げると都会のアスファルトが硬い凹凸を見せびらかしてくる。整然と立

          ボーイ・ミーツ・ガール

          古い地鳴り

          見栄えの悪いショートケーキがテーブルの上に並んでいる。同僚の妻は照れくさそうな顔で見た目は不格好ですけど味は美味しいですよ、よければ是非と言った。私は酷く欲情し、紅茶の入った繊細そうなティーカップをソーサーに置く手がやたらと震え、カチャカチャと音がなった。私はそれをとても美味しそうに頬張り、同僚の妻にとても美味しいですよと微笑みかけた。どうしてそうなったのかは全く分からなかったが、同僚は今や完全に椅子となって私に上に座られている。そして同僚の妻が座っている椅子はどう見ても私の

          古い地鳴り

          彼女ができた話

          友人に彼女ができた。 僕が写真を見せて欲しいと頼むと、彼はにこやかにスマホを叩き、ほい、とこちらに画面を向けた。それは髪を乱し白目をむいて眠っている女性の寝顔をこれでもかと低い角度で下から撮ったものだった。うわ、こいつ、と思った。友人はウソウソと言い、何度かスワイプしてちゃんとしたツーショットの写真を見せた。最近のスマホは高い。夜のシンデレラ城をバックに、友人の彼女はしっかり可愛く写っている。平日、昼過ぎの中央線は人がまばらで、冬晴れの陽気と適度な振動が心地よかっ

          彼女ができた話

          無題

          秋晴れはすぐに暮れてしまった。本来ならまだ働いている時間にも関わらずほとんど夜の街を歩いてるのと変わらない気分だった。 午前中だけ働いたので代謝が上がっている。冷たい風はそれほど苦痛にはならない。チャリを転がしてモグラのように夜を掻いて行く。ちんたらとした歩みが好きだ。 職場の後輩がYouTubeを始めると言っていた。APEXの実況で配信者として成り上がるつもりらしい。本人は「あくまでも趣味なんで」などと言うが、その目には労働への疲弊と嫌悪、そして名声への

          かなり長い廊下

          かなり長い廊下がある。そこにいる観客の一人一人はみな受付で金を払って入場した者たちである。しかしそれぞれが支払った入場料はまちまちである。なぜならここは支払った入場料に応じて廊下を奥まで進むことができる決まりになっているからである。多額の入場料を支払えばより奥まで廊下を進むことができるのだがエリッツ・フィクセンドリはその時たまたま財布の小銭入れに入っていた数枚の硬貨のみを入場料として支払っていたので他の観客に比べてもかなり手前までしか進めず他の観客の背中ばかりを眺めて侘しい気

          かなり長い廊下

          ビクッとなって朝終了

          ぼんやりと起きてスマホを触っているとあと1分でアラームが鳴ることに気がついた。あと1分、といっても画面上部に表示された8:29はあまりにも不確かで、およそ1分以内であるということしか分からない。今この瞬間にもけたたましい爆音とともに振動を始め、私の穏やかな半覚醒状態は粉々に破壊されるとも知れない。脳味噌だけが音を立てるかのように高速で駆動し、瞬時にホーム画面に戻り設定とか時計とかマップとかを詰め込んでいるフォルダを開き画面を半スクロールして時計のアイコンをタップし画面

          ビクッとなって朝終了

          教会(境界)

          とにかく、私に知らされているのは私があの場所に一人で倒れていたこと。そして、あの場所に居た私以外の人間の誰一人として現在その居場所が分からなくなってしまっているということです。 私の、この朧気で不確かな記憶があなたの信用に値するものなのかは分かりませんが、あの日のことを思い出そうとした時の薄暗い森を歩いているような得体の知れない不安や憂いを少しでも取り除くことができるなら、いくらでも話してみようと思える。いや、正確には話しておかなければならないと心のどこかで感

          教会(境界)

          ガツンという衝撃

          ガツンという衝撃があり、見ると十二分に焼けたパンだった。反射的に頭に手を当てると頭皮に鈍い痛みがある。地面に転がったパンは小ぶりなクッペのようだった。文字通り小麦色の体表から細かい破片や粉を散らしている。アスファルトに直でパンが転がっている様は存外滑稽だった。 どこから降ってきたのか、気になって背後を見上げる。まず薄曇りの秋の空を見上げてみたものの自分が馬鹿らしく乾いた笑いが口を衝いた。背後の雑居ビルの2階にパン屋の気配があった。壁面に設置された看板には「2F フカブンベーカ

          ガツンという衝撃

          渦潮

          行列かと思ったら複数の他人が一列に連なっているだけだった、とひどく酔っ払った女が言った。本当にそうであるのなら本当の行列がどこかに存在するのだろうか、と控えめに言ってみたのだが初めての平手打ちは昨晩の不確かな夢の続きのように思えた。 乗客の大半がそれぞれの酒に酔った下りの快速の一番端の車両にはその心地良さが滞留しているように思える。浮き足立って床に座り込む二人の男は髪の色を明るくしてそういうことを喋っていた。 前の前の駅でぶらりと下車したその男は次の次の駅のホームににこやかに

          黒い布団でごめんなさい

          いつだったか、昔読んだ怪談を思い出した。実家の家族共用のパソコンで読んだと思う。ホラー系のテキストサイトかなんかだと思う。タイトルは黒い布団でごめんなさい。思い出せる範囲で書いていく。 黒い布団でごめんなさい 空から黒い布団が落ちてきた。その日から僕の友達が何も喋らなくなってしまった。僕の友達はシューヤとヤスキとコウヘイの3人で、3人だけが喋らなくなった。僕は喋れるし僕以外の人たちも喋れる。3人だけが一言も喋らない。ずっと目をつぶったまま、学校に来て席に座ってそのまま6時間

          黒い布団でごめんなさい