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腰骨

腰骨の辺りを押して変に柔らかすぎたり硬すぎたりしないかを確かめる。金属製のレーンの上をゆっくりと、向こうからきてあっちへ流れていく、その途中のこのエリアではそうして腰骨の辺りを確かめることだけが数少ないやらなければならないこととしてあり、それ以外にはやらなければならないことも無く、やってはいけないことも無かった。私の前には私と同じくらいの年齢と思われる小太りの女が立っていて、私が腰骨を確かめる前にその女が同じ腰骨を確かめている。もっと言えばその女の前にも何人か居るように見えるし、私の後ろにも何人かの人間が配置され流れてくるその腰骨の辺りを押して変に柔らかすぎたり硬すぎたりしないかを確かめている。

「すいません、ここに座っても?」
と、白い椅子を指差して私が声をかけると、先程まで私の前に立って作業をしていた女は怪訝そうな無表情でこちらを見つめたまま何も言わなかった。昼休憩の時間になるとレーン全体がストップするので食堂はいつも際限なく混雑している。そのため、全ての空席は埋め尽くされ空間に余裕を持って昼食にありつくことなど基本的に不可能である。遅れをとれば休憩時間にも拘らず立ったままの惨めな昼食となることだってある。私がその空席に座ろうとするのはごく当たり前のことと考えながらも、女の、迷惑であると感じていることを全面に押し出すような反応には不快な疑義が残った。私は黙ってその席に座り女に話しかけようとした。と言うのも、この日この女の隣の席に座ったのは偶然ではなく、女の行動パターンの把握と綿密な計画、複数の顔見知りの作業員の徹底的なマークとポジショニングによって意図的に生み出された空席だったからである。私は計画通り女の隣に着席し女に話しかけた。

「休みの日は何をしてるんですか?」
「ハーブです」
と、女は答えた。初めてその女の声を聞いたのだが、思ったよりも低い声の落ち着いたトーンだった。それが、初対面の他人への警戒心からそうなっているのか、元からそういった喋り方なのか区別はできなかったが、ハーブというのは法律で使用を禁止された薬物のことを指していた。

「一人で?」
と、年齢を聞く前に少しタメ口を挟むことで絶対的な上下関係を作らせないテクニックを駆使する。

「彼氏と」
と、女は答えた。休日はもっぱら同棲する彼氏と違法薬物でトリップしてます、と女は初めて笑顔を見せた。もしかすると、そういった類いの冗談を言うことで自分を狙って話しかけてくる異性を遠ざけようとしているのかも知れないと考えたが、目は物語っていた。

午後、レーンの上を流れるその腰骨の辺りを押していると、前に立つ女が一つ前の腰骨の辺りを押しながら少しずつ後ろに下がってきた。女は前を向いたままじりじりと下がってパサついた髪質がよく見えるくらいの位置まで近づいてきた。私は心の奥底から興奮が湧き上がってくるのを感じ、下半身が熱を帯びるのを感じていた。次第に女の尻が私の股間に押し当てられぴったりとくっついた。二人分の作業服越しに女の尻の感触を感じようと私も腰を突き出した。そしてしばらくの間お互いに尻と股間を押し付け合う時間が流れた。私はとうとう我慢の限界に達し、レーンの方に向けていた上半身と両手に職務を放棄させ女の腰を両手で掴んだ。女の腰骨はそれまで押していたどの腰骨とも違う妖艶な形状と甘美な柔らかさだった。その瞬間、レーンの上に設置された回転灯が回り、けたたましいブザー音が鳴り出した。たじろいで手を離した私の方を女が振り返った。女の顔は回転灯の光で赤く明滅していた。

駆けつけた警備員のような風体の男達によると、このエリアでスキャンセンサーが異物を検知したらしい。具体的な位置の割り出しは済んでおり、それが私の位置だと言うことだった。異物の詳細は小型の発信機であり、それは製品への信頼を揺るがす一大事だった。しかし、その事実が公表されることは無く、私は厳重注意の末、減給処分を言い渡された。ブザーが鳴ったあの瞬間、私はレーンから手を離していた。そして私の位置で腰骨を押していたのは前に立つ女だった。しかし、次の日から女は姿を消し、私の前には毛むくじゃらの大柄な男が立っていた。大柄の男はよく腰骨の押し込みすぎでブザーを鳴らした。その度にレーンは止まり作業効率を表示する電光掲示板の数値はみるみる下がっていった。何度も警備員に怒られる大柄の男は子供のような半泣きで謝った。私はいつでも黙って立ったままそれを見ながらも、赤く光る回転灯の明滅に包まれながら振り返った女の顔を思い返していた。

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