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数十年の愛より、1分の真実の愛に人生をかける

自分は陰謀論は見抜くけど、でも人を責めることができない。その陰謀論の標的になってる人達を擁護したくなる、だから陰謀論を独自に推理して答えを探し続けてきた。執拗な攻撃、レッテルを貼られる人達をどうにかして擁護したかったから。

それは逆でも同じで、陰謀論者と罵られている人がいるなら擁護したくなる。だからどっち付かずにも見えるのかもしれないし、人によっては一方に肩入れしてるようにも見えると思う。それか、特定の思想主義に属す人達から見たら自分がそれを全否定しているように感じるかもしれない。

分断対立して憎しみ合い、偏見ある気持ちで許しもない、相手を理解しようとする心がない、相手を自分の思想主義に引き込もうとするとか、これが絶対だと頑固になる。それを何とかしたい、人の固定概念化した思考と心を何とかほぐしたい、臨機応変な思考でいてほしいと願っていた。

左右の思想主義、その主張に対し、自分がおかしいと思うことを素直に「それは違う」そう言ってきた。

憎しみ合ってほしくない、罵り合いは見たくない、個人攻撃も見たくないから止めたくなる、そんな争いをやめさせたくなる。


左右の思想主義のどちらでも関係なく、1人が大勢に責められていたなら、自分はその1人の味方となり擁護する。数千人相手にでも、数万人相手にでも臆せず立ち向かう。


これは昔からだから、今さら性格は変えられない。これが自分だから、変えようがない。だからこそ自分は孤立してきたわけで、家族や親戚まで自分から離れた。でも自分の心は離れてはいない、だからこちらから連絡をしようとする、でも向こうからは何もない。

黙っていれば数年、いや一生交流はないと思う。それでも自分は繋ぎ止めたいから、たまに連絡をする、でも相手は自分からの連絡を嫌がってるようで、面倒くさがってるような感じが電話越しから伝わってくる。

そう、自分は永遠に片想いなんだ、人々に片想いをし続けてる。猫は人間に片想いをするせつない生き物、同じなんだ、同じ。

猫は全身で愛情表現を見せてくれる、でも人間はそんな猫の姿が見えない時がある。とても淋しい、せつない顔をする時があるんだ、猫って。だから猫は、自分と同じ人間に片想いをする、せつない生き物だと思った。

自分は人を騙せない、誘導もできない、だから商売やビジネスが下手くそであまりうまくやれない。どうしてもできない、誰かを利用し自分の利益のために騙したり誘導したり、そんなのがどうしてもできない。

嘘もつけない、すぐに正直に言ってしまう。駆け引きができないんだ、どうしてもできない。それは恋愛においても同じで、何でも正直に言い、正直な態度で接してしまう。

だからたまに辛くなる、悲しくてせつなくなる。自分自身がこんな人間だと言うことが悲しいんじゃなくて、そんな自分が生きるには的さない社会だってことが解るからとても辛くなる。


馬鹿正直って言葉があるけど、そのまんま自分に当てはまる。自分自身が「こうでなくてはいけない」とするそんな固定概念に縛られていたのかもしれない。自分でも解ってる、これでは人間社会の中では生きにくいこと。


自分が騙せない、人を欺いたり利用したりできない、だから誰かにそれを頼むのも躊躇する。ちょっとしたことに悩んでしまう、これは人を騙すことになるんじゃないかって、思ってしまう。

商売、ビジネスは全部同じで、そんなあまちゃんのような、生ぬるい事なんか言ってはいられない世界。でもお金じゃない、お金を稼ごうと思うことに罪悪感を感じるわけじゃなくて、人を騙すこと、利用するために嘘をつくことができない、それがちょっとした嘘でも、やっぱり罪悪感を感じる。

自分の価値なんか、たいしたものじゃないと思ってるから自分の何かを有料にはできない、こんな自分の価値程度で誰かの心が満たされることなんかないから。


誰かが困ってるなら躊躇なく手を差しのべる、自分のできうる精一杯をそこで出す。

昔は羞恥心があって、余計なことしたら迷惑かとか考えたけど、羞恥心もなく躊躇しなくなったら思いの他困っているように見える人は、本当に実際困ってたりする事が多い。それが見えないと助けてはあげられない、自分は目が悪いから気がつかない時もある。


自分はこんな性格だから、きっと暴力的な現場に遭遇したら、被害を受けてる人の盾になる。だからいつか、もしかしたらそのせいで自分が大怪我したり、事件に巻き込まれたり、命を失う危険性もあるかもしれない。


愛する人と共にいつまでも生きられないのかもしれない。偽善者は憎まれる、だからジョンレノンは暗殺された。

命を失うのはいつも平和を願う人達。


人々の平和を願い、愛に戦い、愛に朽ちて散って行く、それがこの人間社会。

それでも純粋なる恋や愛ってのは美しい、その魅力に依存して生きれば蝋燭の炎の寿命は短くなる。

最高の幸せは尊い、とても儚くて短く一瞬。

数十年の愛より、1分の真実の愛に人生をかける。自分はそれでいいと思ってる。


叶わない思いでも、永遠なる片想いでも、生涯の孤独を背負っても、世界中でたった1人になっても、この世界の1分だけの真実の愛だけを信じて、見つめ続ける。そのためなら自分は永遠に、無限に片想いでかまわない、それが自分の最大級の幸せだから。











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