見出し画像

始まりは言葉から、13は始まりの数字、だから自分は言葉を尽くす

普遍的なる自然法の中にある愛、それによって物事を見分けるなら、プーチンなど良い人間であるわけがない、トランプなど良い人間であるわけがない。保守右翼とされる思想主義者が真っ当な心など持っているように見えるか、許しなき偏見を持ち続け同じ人間に対して怒りをぶつけ続ける。


偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮をかぶってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。いばらからぶどうが採れるだろうか。あざみからいちじくが採れるだろうか。良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、悪い木が良い実を結ぶこともない。良い実を結ばない木はみな切り倒されて火に投げ込まれる。あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。



なぜ自分が怒ってるか、憤るか、嘆くか、哀しむか、答えは明確。そういった偏見的な思想主義のせいで世界中で今も心を苦しめている人達が大勢いる。その人達をこれ以上傷つけるな、心を刃物で抉るな、幸せになれる権利を剥奪するな、自分はそう思い常に憤る。


わかり合えなくても許しの心は持てる。奪われるなら奪わせろ、左の頬を叩かれたら右の頬も差し出せ。そんなに欲しいなら全部くれてやれ、欲しいだけ持っていけと、そう言えばいい、後は欲しがる者の心の判断に任せる、悔い改められなければそれまで。

自分の心だけは腐らせずに守らなきゃいけない、闇に呑まれて汚されぬように。どんなに非道な目にあっても、過酷な目にあっても、怒り、憎しみ、苦しみ悲しみ、辛い思いをしても、心だけは汚してはいけない。そこには神がいる、愛がある、その愛を汚さないように守らなきゃいけない。


愛は普遍であり、不滅であり永遠。無限なる想いは時の彼方を超え神の自由なる光の中に溶け込んで行く。この命燃え尽きるまで、腕を失い、足を失っても、這いつくばっても、諦めずに光を求め突き進む。怒りは許しとなり、悲しみは哀しみとなり、憎しみは優しさとなる。暗闇にいても耳がある、感覚はある、それを研ぎ澄まし進むべき道を探り当て光へ向かう、盲目になっても必死で探し命の先を見つめ続ける。


孤独な力は闇を振り払う光の衣となり、漆黒の陰影を打ち砕き吹き飛ばす。何者も信じずに自分を信じて、この心の中にある神の心、愛を信じて進み続ける。


そこへたどり着くために、この体が朽ちても、肉体を失ってもこの魂はその闇の心を貫き真の自由がある楽園へと、戻り行く。


愛を生み出し、覚りが渡し、欲望は愛を消費する、消費すれば更なる愛が生まれる。その循環作用が永遠なる聖杯となり、この世界を愛のシナプスで埋め尽くす。


言葉は、イメージを表現するもの。この心の中にある想いと願いを形にするために。言葉そのものが祈りであり、願いであり、神、そして天使との意志疎通となる。言葉を尽くすから天使と心は繋がり、神と心が繋がる。

自分のためではない、欲望のためではない、愛を送るために言葉を尽くす。人は言葉があるから進化した、他の生命よりも発達した化学力を得る事ができた。言葉とは生み出す力となり、渡す力となり、消費する力にもなる。言葉を発して生み出し、その言葉を渡し、更にそれを消費する。消費した言葉は新たなるものを生み出す言葉となる、それが人類が培ってきた叡知であり、希望となった。


心が籠らない、たんなる言葉の羅列などアポフェニアにしかならず、それは中身のないブランド物の商品が入っていた箱と同じ。中身が無いならどんなに立派な箱でも、たんなる箱でしかない。愛のない言葉には渡すものがない、消費はできない、発した時に消えて行く。それをあると思いたい、そう願うことは祈りでもあり、自身の人を信じる優しさ、愛でもある。表面的な中身のない愛に答えるのは、その祈りを持っている人の愛。


自分の言葉には溢れるほどの愛が籠められている。それは、自分が伝えたい人を思い描きながら綴るから、この中にはたくさんの愛が詰まっている。

愛を送るために、愛は自分の全てとしてあり、光へと進み、その光と融合する魂でもある。神はその道を照らし導いてくれる。


黒き蛇道ではない、光の神道を、歩き続ける。神を信じて、この愛を信じて、諦めずに、いつまでも諦めずに、永遠に。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?