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狭い門を潜れる者は世界でもほんの少数。殆んどの人々は広い門へと誘われる

キリストは言った…

『わたしが道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰1人として神の元にはたどり着けない』


神とは何か、それは人間の事ではない、天使や宇宙人のことでもない。この世の全て、宇宙も含めた全てがこの世の創造主である。

だからこそ人間に解るような存在でもないし、人間の認識する存在とするもの自体が当てはまらない。

なぜ宇宙があるのか、宇宙があることに加えてなぜ自分は存在するのか、それを理解できる、理解した人間は歴史上存在しない。たとえ量子力学による知識と数式の計算による理論をいくら当てはめても宇宙を覚ることも神を知ることもできない、科学的に証明することは未来永劫不可能なこと。

だからこそ神を信じなければいけない、我々には到底理解不能な次元にある何か、それが神とするなら我々人間など埃も同然。

しかし天使に関しては実際に我々は見ている。古来から語られてきた天使とは宇宙人グレイのこと、それは間違いない。キリストを導いた天使も彼等が見せたもの、ファティマの聖母を見せたのも彼等であり、古来から人類を導こうとして来たのが彼等宇宙人グレイ。自分が宇宙人グレイと特定して言うのは、過去に実際この目で見た存在が、そのグレイそのものだったから。

彼等は昼間でも全身が光って見える、そして夜は蛍光のような光で青白く光る。そして何か肌にはキラキラ光るラメ、のようなものが見えた。それがまるで自分には宇宙そのものに見えた。頬はこけている、鼻は小さく、そして口も小さい。

神の意思により、自分に数字のシグナルや不思議な感情や、不思議な何かを見せたのも彼等で間違いないと思っている。だからこそ、この年齢まで、あの幼少の頃の記憶を消さずにはっきりと残していてくれた。それを今語らせるために、彼等の存在を語らせるために。必要がないものなら記憶には残さないし、今ごろ忘れているはず。しかし今もはっきり鮮明に、まるで昨日あった出来事のように覚えている。

彼等は幻でもなければユーマでもない。都市伝説でもないし、幽霊や妖怪でもない。実際に多く目撃されているのは彼等だけであり、それ以外は誰も見たことがない架空の存在になる。金星人、プレアデス星人など誰も見たことがない想像の中にしかいない存在。


彼等は間違いなく存在する、実際に目の前で見たことがある自分は今までそれを確信して生きてきた。そのグレイと自分は目を合わせた、だから彼等と意識は共有され、お互いを認識し合っている。

それが消えていないと言う事は、彼等はまだ何かを自分に任せている。それが今こういった形で行動している理由なんだと思う。それは10年前ではない、20年前でもない、今やらなければならなかったこと、それを今自分が行っている。

物事には必ず理由がある、その理由が動き出した始まりにより終わりが必ずやってくる。その終わりがあるからこそ始まりもある。

自分が始まりを動かしたと言う事は、終わりに向かう何かが動き出したと言うこと。それは終末が近い、それを暗示している。


それに関係するものを自分は語っている。語らされている、と言った方が正しいだろうか、しかしそういった人間の認識など全て超越するのが彼等の世界。


自分の話す内容を見れば、多くの人が勘違いすると思う、カルト洗脳をしようとしている、もしくは自分がカルト思想に洗脳されている、メサイアコンプレックスか、それとも心を病んでいるのか、そういった印象を持つと思う。半信半疑な話ばかりだが、自分の頭の中ではハッキリとしている内容。

今まで書いてきた内容を全て読んでくれた人なら、自分が決して漠然とした内容など語ってはいないことを解ってくれるはず。逆に漠然としていないからこそ信じられないのかもしれない。いや、自分の話を信じてほしくて書いてきたわけではないが、自分が望んでいるのは今まで書いてきたもの、それによって何かに気がついてほしいといった思い。

何も信じる必要はない、重要なのは書いてきた内容ではなく、それを知った人が自ら何が大事なのかに気がつけること。自分に何かを任せている彼等も同じ考えだと思う。

本当に解る人は、世界でほんの少数、だからこそ狭い門と表現される。自分の役割は、その狭い門を潜り抜ける事ができる人に、偶然自分(沈黙の天秤)、を見つける事ができた人自らに気がつかせる、その役割がある。

だから自分は教祖になどなってはいけない、宗教や組織、団体、集団など作ってはいけない、これをお金儲けの知恵として使ってはいけない、それを破れば神との約束、十戒を破る事になる。自分を拝ませるための像を造ってはいけない。


誰も崇拝しないし、誰にも崇拝させない、教祖にはならず、何者にも従わず何者も従わせない、誰もリスペクトしないし、リスペクトはさせない。人間は信じないし拝まない、信じるのは愛のみ、この心が従うのは神にのみ。

人間は拝まない、その人の心の中にある神、愛だけを信じる。そうずっと言ってきたことの意味、解ってくれるだろうか。


この世界は1人で創る世界じゃない、みんなで創る物語。誰もがヒロイン、誰もがヒーロー、この世界に脇役など1人もいない、誰もが主人公であり、誰もがメシアとなる。

全てが神であり、全てが宇宙、そこにあるのは今の全て。誰もが三位一体、誰もが十戒の石板の片割れを求める、誰もが愛を語る預言者となり、誰もがメサイアとなる。

自分は、神の心である愛を信じて、それを代弁する預言者。必要なことを必要なだけ語るだけ。後はそれを知った人々の心にかかっている。多くのカルト宗教が原因で、愛の重要性を語る事が如何わしいイメージとされてしまったが、神の本質はそこにある。

愛とは神の心であり、愛そのものが自分の心、他者の心も救ってくれる神である。


キリストが指し示す愛の道、自らが全てを救う愛のメシアとなれ。神道を歩き、愛の門、神の狭き門にたどり着くために。


この曲は、33日間の断食瞑想中にずっと頭の中で響いていた、浮かんできた不思議な曲。それを形にするために作ったものなので、その時に頭の中で聞こえていたもの、そのまんまのメロディー。そしてこの動画の画像も無意識的に集めて差し込み作ったもの。これには、間違いなく本物の神秘が籠められている。だから、よく聴いてみてほしい、そして画像と共に感じてほしい、きっと何かを思い出すことができる。





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