見出し画像

【時事】〈米国-イラン 高まる緊張〉

こんにちは。

前回は、12月29日に米国がイラク国内の親イラン派勢力へ空爆をしたという報道を受け、昨今のイラク国内の争乱の原因や、大国による他国への介入の是非に関する考察をまとめました。

今回は、前回の続報に近い内容になりますので、そちらも併せてご一読ください。

【イラン革命防衛隊司令官らの死亡】

●イラク首都空港に攻撃、イラン革命防衛隊の司令官ら8人死亡 (AFP通信)

●トランプ大統領がイラン司令官の殺害を命令、ハメネイ師は「報復」誓う (AFP通信)

●米国、トランプ大統領の命令によりガセム・スレイマニ司令官を殺害 (The Guardian)

1月3日早朝、各海外ニュースアプリの通知がしつこいほどに鳴った。
報道をまとめたものが、以下の内容である。

1月3日。イラクの首都バグダードの国際空港に向けて、米軍がロケット弾を撃ち込み、少なくとも8名が死亡した。
イラクのシーア派組織「人民動員隊(Hashed al-Shaabi)」は、この攻撃によりガセム・スレイマニ(Qasem Soleimani)司令官が死亡したと発表した。
この攻撃はトランプ大統領が命じたものであることが判明。
イランの最高指導者アリ・ハメネイ(Ali Khamenei)師は、3日間の服喪とともに「激しい報復」を宣言した。

この事件により、米国とイランの緊張状態は今までにないレベルへ達したように思える。
現在の状態から、いずれかが手を引く構図を予想することは極めて難しい。

中東地域において、米国とイランはそれぞれ親密にしている国や組織がある。
米国はサウジアラビア、イスラエルなどと長らく友好関係にある。
一方でイランはロシアと繋がっており、更にシリアのアサド政権、レバノンのシーア派組織ヒズボッラーとも密接な関係を保っている。

万が一、最悪なシナリオとして戦争へと移っていくとなれば、上述した国や組織が参入してくる可能性があり、そうなると戦争の大規模化は免れないだろう。

ここで、米国とイランの歴史を振り返ってみると、米国がイランに攻撃を加えるまでの経緯と、2003年に米国がイラクに侵攻するまでの経緯は、それぞれ共通点があるように映る。
これらを見比べてみると、米国が戦争まで持っていくための、一種の手法が見えてくるのではないか。

【サッダーム・フセイン、湾岸戦争、9.11、そしてイラク侵攻】

まずは、イラク侵攻に至るまでの米国とイラクの関係である。詳細な内容は前回の記事でまとめたため、概要を掻い摘んで綴っていく。

前回の記事でまとめたように、ブッシュ大統領(当時)は「悪の枢軸」と見なしていたうちの一国であるイラクを叩いておきたかった。そこで利用したのが反イスラーム・プロパガンダだった。

同時多発テロ以降、ブッシュはイラクがテロに関与しているとして目を付け始め、更には大量破壊兵器を保持しているとの嫌疑もかけた。これこそが、イラク侵攻を正当化するためのキャンペーンである。
イラクがテロ組織に加担しているという証拠もなく、大統領であるフセインは大量破壊兵器の保持も繰り返し否定してきたにも関わらず、ブッシュはその主張を無視し、イラク侵攻へと突入した。

2003年に始まった戦争は、圧倒的な軍事力を持っていたアメリカ主導の連合軍の圧勝に終わり、頑強なリーダーシップを維持していたフセインが追放、2006年に処刑された。

【傀儡政権、イラン革命、核合意、そして破棄】

続いて、米国とイランの関係である。

意外にも、過去には両者の関係が密接な時期もあった。
かつてのイランは、言わば米国の傀儡政権だった。

【傀儡政権イラン】
1951年に首相に就任したモサデクは、石油産業の国有化を図ろうとしたところ、この動きの広がりを何としても避けたい欧米の石油会社は、イラン原油のボイコットで応じた。こうして経済的に追い詰めたモサデク政権を、イギリスや米国の諜報機関はイラン軍を利用し、クーデターを引き起こして転覆させた。民主的に選出された首相を、イギリスと米国がクーデターによって倒したのである。

国王となったパフレヴィー2世は、米国の支援を受けて近代化を進め、西欧のようなイスラーム国家を作り上げていった。しかし、国王は近代化政策を推し進める一方で、秘密警察が暗躍する独裁政権を敷いていた。国王が目指す近代化とは言わば「脱イスラーム教」であり、イスラーム教の教えに反する富の一極集中と経済格差を招いていた。

【イラン革命】
圧迫されたイラン民衆の不満が噴出し、1979年に国は大きな転機を迎える。
イスラーム教の宗教指導者が革命を起こしたのだ。その指導者であるホメイニ師は、鬱積した感情を抱える民衆を指揮することで国王を追放、ホメイニ師とその弟子たちが革命政権を掌握し、革命によってイランは反米のイスラーム体制を作り出した。
更に、イラン革命期には、首都テヘランの米大使館が占拠され、館員が人質にされるという事件も起こった。しかも、この事件は444日間にわたって続いた。
イラン革命、とりわけこの事件を経て、米国とイランの関係は一気に悪化していくことになる。

【核の疑惑、核合意】
その最中、イランの核兵器開発の疑惑が上がった。2002年には核開発施設の衛星写真が公開され、その事実が明らかになった。
イラン側は、核開発は平和利用のためだと説明しているが、米国は軍事転用の意図を疑い、国連の安全保障理事会も次々とイランを非難する決議を可決した。

2008年に米国大統領に就任したオバマは、この問題の解決に取り組んだ。2013年にイランの大統領に就任したロウハニが穏健派だったこともあり、そこから徐々に両者が歩み寄り始める。
そして2015年7月、遂に包括的な核合意に達した。これは、オバマの2期8年にわたる任期中の最大の外交的成果とされている。
この合意により、米国など諸大国がイランに対する経済制裁を解除する一方で、イランは核開発に関する大幅な制限や厳しい査察を受け入れることになった。
その後もイランは査察を受け入れ続け、この合意を守り続けた。

【核合意の破棄】
しかし、2016年の大統領選挙で当選したトランプには、オバマ政権が主導したイランとの対話路線を引き継ぐ意思がなかった。大統領選挙においては、オバマが取り付けた核合意を「史上最悪のディール」として批判した。就任後の2018年5月には、一方的に核合意から離脱し、オバマ政権時には停止されていた経済制裁を再発動し、その制裁を一段と強化した。
繰り返しになるが、イランが核合意を順守していたにも関わらず、である。

その後も両者は歩み寄ることはなく、両者の因縁は深まる一方であった。
そして起こったのが、年末年始の事件である。

【戦争プロパガンダ】

両者を見比べてみて、重なる部分がないだろうか。

ブッシュは、悪の枢軸としてイラクを殊更に批判し、虚偽の事実をでっち上げることで自らを正当化し、戦争へと突き進んだ。
トランプは、イランを敵に仕立て上げ、対外的にも声高に自らの正当性をアピールしている。

侵攻後のイラクはどうなったか。
20年近く経った今でも国内は不安定状態にあり、治安の面で見ればフセイン政権時よりもむしろ悪化している。
いつの時代も、戦争によって被害を被るのは無辜の市民である。

ブッシュとトランプの例を見比べて、決定的に違うこと。
それはイランとの間では「まだ戦争には至っていない」ことだ。

米国は歴史から学んで踏みとどまれるのだろうか。
それとも中東に新たな混乱を引き起こすのだろうか。

[参考文献]
中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌 高橋和夫
イランvsトランプ 高橋和夫
イスラム世界 私市正年

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願い致します。今後記事を書くにあたっての活動費(書籍)とさせていただきます。