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人の書いた文章には興味ありません

 noteをもう5年近くもやっていて、今日までに500近い記事を書いておきながら今更こんなことを言うのもなんだが、"人が書いた文章を読むことが別に好きではない"。いや本当にどうしてこんなになるまで放っておいたんだという感じで、このタイミングになってしまって申し訳ございません。以上。

-(中略)-

 初めてnoteに記事を投稿したのが2019年の夏ごろ。当時確かアメーバブログでいろいろ書いていたけれど、こっちのほうがより使いやすそうだと思ってnoteに活動の場を移したのが始まり。それからもう5年近く経つが、私はここnoteで、あくる日もしょうもない自分語りをしてきた。

 noteの本来の楽しみ方は、誰もが自由に文章や写真、創作物を発表することができるこのプラットフォームで、自分の好みの創作物を生み出すクリエイターを見つけたり、それらの人とnote上で交流したりと、クリエイティブの輪を広げていくことにあるのかもしれない。決して暗い部屋でひとりテレビを付けたまま何かを始めようと震えているための場所ではない。

 でも私は別にクリエイティブな職に携わる人間でもないしそのような実績もない。ましてや、同じような感性を持つ人たちと繋がりたいとも特に思っていなかった。あくまで、自分が普段から興味のある音楽のこととか旅行のこととかそういう些細なことを、日々の日記の代わりにチョチョイのチョイと書こうかな程度にしか考えていなかった。別に誰に宛てるでもなく、特定の界隈に向けてでもなく。ていうかその信念は今もそのまま。
 自己実現とか心理描写とか、決してそんな大袈裟なものではなくて、ふと思ったこととかを文章という形でどっかにまとめて捨てておきたいという気持ちが強い。これは思考の不法投棄である。noteはそのへん厳しく取り締まられることもないので助かる。

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 私は基本的に好んで書籍を読まない。それについては以前にもnoteで書いた。私が人の書いた文章に対して興味がわかないのは、幼いころから読書文化を醸成してこなかったために、シンプルに文章を読むのが苦手になってしまったというところにある。だからnoteに関してはインプットをほとんどせず、ひたすらにアウトプットをしているだけだ。
 そのアウトプットも、読書家の人から見れば実に無茶苦茶な我流の文章だと思う。読みやすい文章とは何ぞやとか、好きな小説家やエッセイストの文体に影響を受けるとか、そういったバックボーンも皆無。ただ書きたいことを書いて、そこにひねくれた私なりのユーモアを織り交ぜているだけ。カッコよく言い換えれば、バックボーンは私の人生そのもの。

 誤った解釈をされると癪なので一応釈明しておくと、けっして人間が嫌いなのではない。むしろ人間大好き、普通の人間にしか興味ありません。以上。

 私は単に文章を読むのが苦手なだけ。ついでに言うと人の話を聞くのも苦手。製品の取扱説明書は基本的には読まない。感じることだけが全て、感じたことが全て。ああ生きててよかった。

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 1年以上に書き始めた下書き、やっと1個消化できた…。積読もだけど、今年は積書(つんがき)も溜めないようにしなきゃな…。


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