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誇り

亡くなった父のことを思い出す。

父は材木商を兄弟で経営しており営業面をまかされてたと記憶している。

大学生の頃、長期の休みにはいり数日
帰省し退屈そうにしている私を見つけると
時折、父の仕事廻りに付き合わされたものだ。

工場には大きな材木が敷地いっぱいに、
材木自体の大きさなのか何かの順番を待ってるのか大人たちだけが知ってるルールがあるのだろうがそれを確かめるまでの興味もなかった私には雑然と置かれてるとしか思えなかった。

子供の頃、勝手に遊び場にしてた
小屋くらいあるスペースに大量のチップ(木屑)が貯めてあり階段を登って開口部まで
はって移動し誰も来ないのを確認しあたかも
プール開きの初日のようにキャッキャと
チップの山に飛び込んでは大人たちの目を気にしながら後ろめたさも感じながらも夢中になってたのを覚えている。

そういった仕事故、必要でもあった大きな工場の外づけの階段を2階に上がると事務所があり
数名の事務員の方々、何名みえたか覚えてないが製材作業員の方々と父の二人の兄弟で
私にとっての叔父がおり事務員の方がお茶と
ちょっとしたお菓子をだしてくれ大学での生活とか近況をお茶を飲む間もなく矢継ぎ早に聞かれたのも懐かしく感じる。

時には客先廻りとでもいうのだろうか父は外交と言ってたと記憶しているが懇意にしてた客先を一緒に訪問し父の横に座り最初に学生で今、休みで戻ってるとか簡単な紹介があり相手の方も「そうか息子さんか〜大きくなって!」
などと適当な会話から退屈な世間話を長々と聞かされたものだが内心は初めて大人の世界に首を突っ込んでオドオドしまいと懸命に奮い立たせていた自分がいた。

私にとっては自動車免許を取ったばかりでもあり運転したい盛りとでもいうのだろうか
父の運転手として運転ができたことがドライブ気分で都合もよかったのだろう。
父もそれを見越して声を掛けてきたのだろうと思ったりもした。

帰りの車の中で今日は売れた、売れなかったなどと父が言うのを意味も分からずうわのそらでハンドルを握り聞いていたが
あの時、父が客先で交わす暗号のような会話と家では見たことがない顔つきになんとも言えない心持ちと少しの興味が湧いてたのも事実だ。

工場についていった時は材木の種類、価格、
納期、市場での交渉事、輸入材の台頭といった
業界動向と、今思えば原単位とでも言うのだろうか例えば「あそこに貯めてあるチップ置き場は150本の角材をチップにすると満杯だが角材は一本の木から今回は材質もあって10本しか取れないがここに置いてある木が何本あればいい?」
などと算数の問題だがそういった基礎的な事を反復することで在庫意識が芽生えたりしたのに驚きと説明している熱心な父の顔に引き込まれもした。

何度か誘われる内に自分からは言えなかったが内心楽しみにしている自分もいたりして当初、父が私を誘った理由は何だったのだろうか?
と思ったりもしてたがどうでもよくなっており
外交の帰りの車の中、
時には父の学生時代の楽しかった話しであるとか卒業後は好きな事をやればいいが
“後悔はするな”とか
”経験が一番”であるとか、
そのためにも
”自ら行動する“とか
社会は学校と違って
”臨機応変“に考え行動するようにとか

呪文のように何度も何度も私の脳に刷り込むかのように言われてたのを今でも覚えている。

話してる時の自信に満ちた父の横顔は明るく元気に輝いて頼もしさも感じ、
子供の頃に仕事帰りの父に声をかけられ夕暮れ時にキャッチボールをした時の感覚が戻った気がした。

お互い不器用な父と私は
父の奥深い想いから一緒に遊んでいたのかも知れない。

あの夕暮れのキャッチボールのように。

父が亡くなり19年を迎える年に入った。

父の日が来月やってくる。

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