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死者の導きについて

こんにちは。

今日は故人の導きについて、思っていることを書こうと思います。

私は、ここ5年くらいの間で見えない存在の導きをとても感じるようになりました。

最初のきっかけは、ふと思い立った神社参拝でした。
私はそれまで神社とお寺の区別がわからないくらい日本の信仰について知りませんでした。

ある人から「日本は世界で1番歴史が長い国」と言う話を聞き、私はとても驚き、日本について知りたいと思ったところ、神道が根幹にあるなと感じ、初めて神社に参拝してみようとふと思いました。

それから、色々、気になる神社を参拝していましたが、霊感などはないので、神さまや見えない存在を確実に感じることはありませんでした。

見えない存在を確実に感じるようになったのは、3年前に自死を選んだ弟がきっかけでした。

弟は当時、大学4回生で就職活動がうまくいかず、引きこもりになり、精神を患い、精神病院に入院して、退院しましたが、その1ヶ月後に自宅で首をつりました。

そして、私が導きを感じるきっかけになったことがここにあります。

弟が自死を選んだ日は、満月でした。

また、その一ヶ月前に遺書を書いていました。
遺書を書いた日付を調べてみると、その日は新月でした。

新月に自死を決め、満月に自死を選ぶ。

この月の満ち欠けに合わせるようにあの世へいったことに私は、見えない力を感じざるを得ませんでした。

また、弟の自死から1年後に私は8年お世話になった会社を退職しました。

お世話になっていた会社では、人手不足で私が辞めると後に残った人たちがかなり大変になるかもしれないということも予想ができ、「辞めないでほしい」と強く引き止められ、夜中に吐くくらい、とても迷っていました。

しかし、ここで、なんと、私の穴を埋めるかのように弟と同じ名前の若い人が会社に入ってきてくれたのです。

そして、私がその会社を退職した日は、祖父の命日でした。

これらは、本当に弟が導いてくれているとしか思えない出来事でした。

今では弟の自死については、悲しみに暮れることなく受けいれて、日々の導きに本当に感謝しています。

自分の力だけでは会えない人に会えたり、縁をいただいたりして、人生が大きく変わり、私の今の人生は、弟、祖父、祖母、ご先祖様のお陰だと感じています。

自分の努力以上の他力を感じる時、しかもそれが近しい故人の支えだと気がつくと、全てを救ってくれる仏様の慈悲を感じる。

人が亡くなる前の生きていた日々を「生前」と聞いたことはないでしょうか。
まるで、亡くなってからまた、新しい人生が始まるみたいに思われます。

そして、人は亡くなると仏門に入り、仏様のもとで修行をするために戒名を授かると言います。

阿弥陀仏様や他の偉い仏様は、忙しくて直接には助けてもらうことはないのだろうけど、その元で修行をしている縁のある故人が偉い仏様の代わりとなって、私達を助けてくれているんだと感じています。

今も身内を亡くして、悲しみの中にいる方はたくさんいらっしゃると思います。

私も弟を自死で亡くした時、たくさん泣き悲しみました。

悲しみも落ちつき、生前の生き様に感謝の念をたくさん送るようになった頃、私は見えない力に助けられて導かれていることをとても強く感じるようになりました。

私は、身内を亡くし、悲しみのうちにいる方に、故人はあなたを見えない力で助けたいと思っているかもしれませんと言うことをお伝えしたいです。

悲しみも落ちついたら、故人の生前の生き様を振り返り、受け取ったものに感謝を送り、供養を捧げてあげれば、きっと、故人はこの世でやり残した無念や心配も晴れて、あの世へより近づくことができ、喜んであなたを守ってくれると思います。😊

修行をさせていただいている修行場では、一年を通して毎月、生前故人が好きだった食べ物を用意し、自分でお経を読み上げて、自分の先祖供養を行っています。

「毎月の先祖供養の様子」


修行場の師匠からは、「人の実力はお陰様の力で決まる」と教えてもらっています。

最後に

浄土宗を開いた法然上人は、すべてを救ってくれる阿弥陀如来様の慈悲について、

月影の 至らぬ里は なけれども
眺る人の 心にぞすむ

という和歌を残しています。

私のこの体験が誰かのお役に、もし立てたならとても嬉しいです。

最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。

合掌
弥栄





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