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ドハマりした介護の本
芥川賞受賞作の【スクラップ・アンド・ビルド】という小説がある。
28歳無職実家暮らしの主人公と、同居する祖父の話。祖父は要介護度1にも満たないんじゃないかと思われるほど動けるし喋れるのに、何かにつけて【早よう死んだほうがよか】ばかり言う。
主人公はやることと言うことが矛盾する様子にイライラしながらも、祖父がそう言うならと楽に死なせてあげる方法を考え始める、という物語だ。
この【死にたいっていう割に
ゲームのように利用者を運ぶ私
気づくと、シミュレーションRPGのように利用者を動かしている自分がいる。
利用者自身の心情を置き去りにして、自分がこのフロアのゲームオーナーになったかのように。
この根源を探ると、日本の多数派の施設が持つ危うい構造にあると思う。たとえば九州にある【宅老所よりあい】という施設では、利用者を管理者側のスケジュールに当てはめて動かすようなことはせず、それぞれがやりたいことをやりたいときにやる、このサポー
レクリエーションと日常習慣
カントやベートーヴェン、ダーウィンなどの歴代の天才たちは、日々のルーティンを大事にしてきたらしい。
彼らはだいたい、早朝に起きてコーヒーを1杯飲み、午前中に執筆や創作活動に励む。
午後は友人と話したり散歩に出かけ、頭のなかの整理の時間に当てる。
同じ時間に起き、同じ時間に寝る。
毎日の地道な習慣のくり返しが人を活性化させてきたことを、歴史が物語っている。
そして私は思う。施設でのレクリエーション
人のふり見て我がふり直せ
スーパーでこんな親子がいた。
母親の方は80歳くらい、毛糸のカーディガンを羽織り、小柄で背中が曲がっている。
一方息子の方は50代、ジーパンにデニムジャケット、背は高く声が大きい。
大量に食材を購入したようすだ。
私の横で、会計後の袋詰めを母親にさせている息子。
「いや、だから!ねぎは最後でいいだろうが、縦に挿せば!先に固くて安定するやつ入れたんだよ、ばかが!
じゃがいもはそっちじゃねえよ!重
自分が変わるしかない
ある同僚に、どうしてもトランスをやらせてくれない利用者Aさん(仮名)がいた。同僚は身長が150cmくらいで、トランスの際にどうしてもAさんと頭がぶつかってしまう。それが嫌なようだ。
やがてAさんは、同僚にトランスをされるのを露骨に顔や言葉に出して拒絶するようになった。その後同僚は職場を辞めることになるのだが、そのときにある言葉を吐き捨てた。
私の背が伸びるか、Aさんが変わるしか、私が残る道はない