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不耻下问ーー竹子さんは、いつかきっとビッグになりますよ

(2071字・この記事を読む所要時間:約5分 ※1分あたり400字で計算)

【不耻下问】

[日:不恥下問(ふちかもん)]

ピンイン:bù chǐ xià wèn
意味:自分より身分が低い人に対しても謙虚に、恥とせず教えを請うこと。

『竹子さんは、いつかきっとビッグになりますよ』

 「このエクセルのフォーマットは、竹子さんが作ったものなのだと、そう聞きました」

 ひらっとした痩躯が、突如私の視界の中に現れた。

 「教えて下さい、どうやったら、このような機能を付けられるんですか」


 小さく曲がった背中。
 一心不乱にモニターを見つめる両目。
 飾り気のない素朴な笑顔が、今にも消えそうにフワフワと口元に浮かんでいた。


 一瞬、戸惑った。

 何せ当時の私は、まだ入社したての新入社員。
 下っ端の下っ端の立場にいる私に対し、課長クラスのこの男は柔らかく身を下げ、「教えて下さい」と懇願しているのだ。


 「これもやはりあれですか、関数やら数式やらを組み込んでいるのですか」

 「いえ、これはマクロで……」

 「ほぅ、マクロ、ですか」


 細い黒縁メガネがきらりと光った。


 「それは、どういったもので」

 「え…えっと……」


 なるべく分かりやすいように必死に説明を試みるも、結局緊張して上手く言葉が出ず、途切れ途切れの解説になってしまった。


 「ごめんなさい、伝わってないですよね……」

 「いえ、そんな、これはすごいですよ」


 まるで子供が宝物を見つけたかのように、K課長は嬉々としていた。

 「すごい、すごいですね。僕も自分で、こんなの作りたいと思っていたので」

 そしてググっと腰を伸ばし、私の目を真っすぐ見てこう言った。


 「竹子さんは、いつかきっとビッグになりますよ」


 これが、ひょっとしたら私とK課長の初めての接点かもしれない。

 そしてあの日を境に、私達は頻繁に様々な情報共有をするようになったーーとは言え、最初の頃は専らK課長が絡んでくるだけだったのだが。


 「竹子さんが営業部内で回覧されている記事、僕も読みたいです。別部署ですが、いただけますか」

 「今週竹子さんが作って下さった社内報、とても為になりました」

 「いつも仕事の対応が早いですね。助かっています、ありがとうございます」


 そうこうしていくうちに、私も徐々に心が開いていった。
 いつしか、仕事に関係無く、為になりそうな情報があれば自分からK課長にシェアするようになった。


 面白かった本のこと。
 ネットで読んだ元気の出るエッセイのこと。
 もっと成長しようと、自分なりに取り組んでいること。


 K課長はいつも楽しそうに聞いてくれた。
 そして、必ずこう言ってくれた。


 「すごい、すごいですね。
  竹子さんは、いつかきっとビッグになりますよ」


 数年の時間が経ち、K課長はK次長へと昇格していった。

 私は、相変わらず一般社員のままだった。


 その間、私達の話題はどんどん膨らんだ。

 読書や英会話、筋トレといった趣味の話をするようになった。
 将来実現したい目標、叶えたい夢について語った。
 尊敬出来る人物像について話す際は、二人とも「いつかは絶対に立派になろう」と熱くなっては励まし合った。

 「出世するんだ!」と私が意気込むと、K次長は必ずこう言ってくれた。


 「すごい、すごいですね。
  竹子さんは、いつかきっとビッグになりますよ」


 また数年の時間が経ち、K次長はK部長へと昇格していった。

 私は、相変わらず一般社員のままだった。


 ある日、いつも穏やかなK部長が憤慨していた。
 「竹子さん、知っていましたか」と。

 「竹子さんは、本来今回の査定で主任に昇格するはずだったんです。
  でも、身体が弱いから、という理由で……そんな理由で、取り消されたんです
  そんなのおかしいです。僕は、もっと竹子さんの仕事を見て判断するべきだと……」


 一瞬、泣きそうな気持ちが心をよぎった。

 確かに、私の身体は弱い。
 マイノリティ属性持ちで、感覚過敏で、しょっちゅう休みがちだ。

 でも、工夫してきた。可能な限り効率を上げてきた。
 体調不良があったとしても、仕事が遅れることなんてなかった。
 質だって保証してきた。

 でも、見てもらえなかったのだ。
 こんな目立たない頑張りにつけられる評価ポイントは、1点もなかったのだ。


 K部長は相変わらず憤慨していた。

 「僕は、もっと仕事頑張って、偉くなります。
  竹子さんが公正に評価されるような、そんな人事制度を作ります」

 「いいんです、部長。ありがとうございます。それに、私、もうすぐ……」


 転職活動を進めてきたこと。
 既に中国の会社から内定をもらっていること。
 年内には日本を出ること。

 そして、もうすぐこの会社ともお別れなのだということを伝えた。


 K部長の静かな呼吸が聞こえてくる。
 突然の知らせに衝撃を受けたのだろう。

 空気がどんどん気まずくなっていくのを感じる。


 「あ、でっでも!」

 なんとか雰囲気を和ませようと、私はヘラっと笑ってみせた。

 「新しい会社の給料、今の倍なんですよ!ある意味めっちゃ昇格ですよ!ね!ねっ?」


 束の間の沈黙。
 K部長からクスっと笑い声が漏れた。

 「ほんと、その通り、その通りです」

 そして一息つくと、こう言ってくれたーー


 「すごい、すごいですね。
  竹子さんは、いつかきっとビッグになりますよ」


 またしてもあの飾り気のない素朴な笑顔が、今にも消えそうにフワフワと口元に浮かんでいた。

📚「尊敬に値する人」というのは、つまり「謙虚な人」のことなのだろう

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