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ダメンズから学んだ、「甘えたい」と「助けたい」という感情の扱い方

恥ずかしい話、実はこの3年間、私は2人連続「思い返してみればダメンズだったなぁ」という人と親しくしていた。

*私がダメンズに惹かれた理由*

ではなぜ私はダメンズに惹かれてしまったのか。

それは多分「自分なら彼を理解できる」「だからこそお互いにとって最良のパートナーになれる」というおごりや思いが当時の自分の中にあったからだと思う。

* 「誰かに甘えたい人」×「誰かを助けたい人」*

ダメンズとダメンズに惹かれる人。言い換えると「誰かに甘えたい人」×「誰かを助けたい人」とも言えると思う。

この組み合わせはなかなか危うい。まさに「割れ鍋にとじ蓋」的な相性。でも、恋愛関係以外でも親子関係や職場、友人関係、その他諸々でも割と色んな場面で出くわしたりもする。

そこで「誰かに甘えたい人」と「誰かを助けたい人」、それぞれについて少し考えてみたいと思う。

*誰かに甘えたい人とは*

「誰かに甘えたい人」
それは端的に言えば、心が傷ついている人だと思う。またその中でも自覚的な場合と、無自覚な場合とがある。

例えば、自覚的な場合だと、現在進行形で何かひどい目に遭ったり、何かに悩んでいたり、不満を抱えていたり、自信を無くしている人。今まさに心が怪我をしていて、だからこそ「誰でも良いから今、この場で誰かに優しくして欲しい、理解してほしい、認めて欲しい」と、溺れながらジタバタしているような状態。

一方無自覚な場合は、子どもの頃に親が厳しかったり、両親の仲が悪かったり、過干渉や毒親だったり、子どもが親の機嫌を取らないといけないなど、子ども時代に充分に子どもらしくいられなかった場合。

そういう場合は、一見表面的には大人らしい振る舞いをしようとしながらも、一方では無意識のうちに自分を褒めたり認めてくれる人や、伸び伸びさせてくれそうな相手を強く求めている場合もある。これは責任感の強さや完璧主義、厳しさやまじめさなどの堅さと同時に繊細さとして現れている場合もある。ただこれはダメンズ好きだと感覚的になんとなく分かるとは思うのだけど、それを他の人に伝えるために言語化しようとすると、正直なかなか難しいものがある・・

*誰かを助けたい人の正体*

一方、「誰かを助けたい人」も、実はこの「無意識に誰かに甘えたい人」と重なる場合がしばしばある。その場合、誰かを助ける事、何かに役立つ事で、自分の存在意義を確認したいと無意識的に思っている場合で、裏を返せば「ありのままの自分では存在することに対してOKを出せない状態」だとも言える。

そうして改めて考えてみると、恐らく私はまさにこの「助けたい人」のパターンだったから、自分の存在意義を求め、ダメンズに近づいていたり、容易に受け入れたりしていたのではないかと思う。

*精神的に「大人になる」とは?*

当たり前の事だけど、人間誰しも「都合」がある。

自分で調整出来る「都合」から、体調や距離や時間など調整のしようがない「都合」まで様々ある。だから、どんな人であっても、24時間、365日誰かの期待に応え続ける事は不可能といえる。そして何より、この「自分の都合」をある程度大事にする事が、「自分の機嫌を自分で取る」ということにも密接に関連していたりもする。

そんなことを踏まえた上で、他人に期待しすぎず、自分の機嫌を自分で取る方法を学び、「親しみ」と「助け合い」と「自立」のバランスを取れるよう、トライアンドエラーを繰り返しながら人は少しづつ精神的に大人になっていく。

けれど「甘えたい人」と「助けたい人」の関係の場合、その「相手にも都合がある」という事を理解できず、そこから関係に亀裂が入ることがしばしばある。例えば「本当はもう好きじゃないんじゃないか?」という不安や怒りをぶつけあったり、「好きなら合わせてくれて当然」とばかりに振り回されたり、「甘えられるのはあなただけ」と上手いこと言われて感情をぶつけられる事が当たり前になったり。そうして最初は甘かった関係がいつしか泥沼化して、なんだかんだで最後は消滅に向かう。

もちろん、時折、人は自分一人では抱えきれない規模の大きな傷に遭遇したり、日々新たに作られる傷の積み重ねで自身の許容量を超えたり、過去の満たされない傷が何かのきっかけでうずくなどして、心のバランスを崩す。

そういう時、本来なら一時的に周りの人に思いっきり甘えて休息を取り、愛情や心身のエネルギーを充電するのと併せて医者や薬やカウンセリングなど専門家の力も借り、元々のバランスを取り戻すのが望ましいのだろうけど、そういう思い切って生き方を見直し、改善するような機会を逃したまま、また専門家にかかるほど傷が大きく表面化しないまま、心の調子がズルズルと低空飛行しながら今に至っているのが、いわゆる「ダメンズ」であり、「ダメンズに惹かれる人」なのだと思う。

*ダメンズやダメンズに惹かれる事から脱出する為に*

ではどうすれば、ダメンズやダメンズに惹かれる事から脱出出来るのか。それは多分、自分自身と向き合う事ではないかと私は思う。

あくまでも私の個人的な体験を踏まえた主観ではあるけれど、ダメンズやダメンズに惹かれる人にとっての恋愛やそれに近い人間関係は、それぞれが自身と向き合う事から逃避する為の口実だったように思う。そしてもっと具体的で残酷な言い方をすると、ダメンズとダメンズに惹かれる人との恋愛は、お互い恋愛の仮面をかぶった自己愛だったような気もしている。

自分が満たされていないと、本当の意味で誰かを思いやる事は難しい。なぜなら自己犠牲を長期的に継続する事は、実際、物理的にも時間的にも金銭的にも、そして何より心理的にも無理だから。

だから誰かを支えたいと思う時、まずやるべき事は自分を満たすこと。そして、自分と相手は別の人間であること、だからこそ、それぞれお互いに優先すべき都合がある事を理解すること。

それがダメンズを渡り歩いた私の結論だった。

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