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13年間退職を決断出来なかった社畜が退職を決めた時、何を考えていたか?

私は13年勤めた勤め先を、この夏、退職する事にした。

*上意下達と同調圧力が強くなる組織とは*

私が勤めていたのは地方の一般社団の業界団体で、私はそこの事務方だった。財源は会員の会費で、執行役員は特に財力のあるVIPの会員。役員達はそれぞれが現在の役職を足掛かりにしてより高い社会的地位に就くべく様々な政策を事務方に投げ、事務方は会員の管理業務と併せてそれら政策の実現に向けての業務を進める。それが私の日常だった。

私が1番自分と合わないと感じたのは社風だった。営利目的ではないので、事務方は安定を重視する保守的で受身な人が集まる。一方執行役員は自身の会社規模では出来ない大きな事業をブチ上げて成り上がろうとギラギラしている。結果、社内は上意下達で同調圧力の強い社風に仕上がっていた。

*機能しない組織で起こること*

上意下達で同調圧力の強い会社では、立場の低い者が常に全面的に間違っていて、立場が高い者が常に正しいとされる。

何を言うかではなく、誰が言うか。権力こそ正義。上の人の顔色と気分だけが全ての指針となり、常に誰かに振り回される。結果YESマンが増産される。

*組織の形骸化が、パワハラと時代との乖離を生む*

YESマンで構成された組織で起こっていたこと。それは組織の形骸化だった。上席は執行役員が「やれ」と言うから部下に「やれ」と言うのであって、実際は「やる意図」など、何も知らない。

誰しも知らない事を聞かれると不安になる。だから部下が上司に質問や相談する事は、上司を困らせる事であり、マウントを取ろうとする行為だとみなされる。

そして上司はYESマン以外の部下、特に理由や意図を知りたがったり疑問を持つなど余計な事を考える面倒な部下を恐れ、排除するようになる。立場を利用し、先手を打って潰しにかかる。結果社内では、面談の名の下にしたパワハラが当たり前の様に繰り返されていた。

意図や青写真を共有する事も、誰かに相談する事もままならない中、業務を遂行することはなかなか難しい。しかも疑心暗鬼の上司に新しい事や改善を提案すると、先人を否定したと見なされ指導が入る。部下は次第に気力や自主性を失い、前年踏襲しかやらなくなる。そうして組織は時代から取り残されていき、事務方は皆、自分の頭で考える事を放棄する事に慣れていく。

*YESマンでいることが処世術として最良なのか?*

社内では、YESマンでいる事で自ら考えたり発言したり判断したり責任を負う事ことを回避できる。YESマンでいる事こそ、処世術であり本物の賢さなのだと皆、口を揃えて言っていた。

しかし私はどうしてもその感覚に馴染めなかった。本当そうだろうか?それは学習的無力感では?

組織は人が作るもの。なのでたとえ組織に問題があっても改善に向けて建設的に動けるならそれでいい。でも組織に問題があると認める事が出来ないとしたら?私がいた会社では、解決策でなく「誰の責任か」が議論の中心となっていた。立場が上の人を責めると自分の立場が危うくなるので、結局は個人の人格の問題として立場の低い個人が全責任を負う形で結論づいてしまう。こういう展開はやっぱりマズいと私はいつも感じていた。

こういう幕引きは、責められる個人以外はうまく逃げおおせることが出来るので、大方の人は「別にこれで問題ない」という。でも組織の問題が改善されないという意味では、組織に関わる全ての人が不利益を被り続けているとも言える気がする。

実際社内は連携がままならず、人間不信と足の引っ張り合い、マウントの取り合いに明け暮れて、皆、ご機嫌取りと愛想笑いの裏で消耗している。だからこそ、社内の人間関係に注ぐそのエネルギーを、少しでももっと生産的な方向に向けたらどうか?そう思う私はアホなのか・・・?

*社畜が退職を決断する時*


答えが出ないまま時世は刻々と変わり、コロナや働き方改革の影響による人員削減や時短勤務。前例のない仕事が増え、より連携が必要となる中、パワハラは酷くなり、労働環境はますます悪化した。

そろそろもう、このチキンレースから降りて良いんじゃないか?社風への違和感とストレスが極限に達したある日、私は13年勤めた会社を退職することに決めた。

もちろん辞めるまでは、正直後ろ髪を引かれる思いもあった。今までお世話になった人への思いは強く胸を締め付けた。しかし一方では、妙に冷めた気持ちになって「ここの人達は幼稚で臆病で病んでいる」「本当なら寧ろもっと早く決断すべきだったのだ」と改めて感じる自分もいた。

*退職して思うこと*

組織の問題や自分の人生における決断から目を背けながら、ズルズルと自分を削り続けた13年、私は茹でガエルだった。私がいた会社は私とは合わなかったけれど、合う人には良い会社だった。けれど誰かにとって居心地の良い職場でも、自分にとっては苦痛なこともある。だからこそ「他の人がどう・・」というのは、あてにならない。

「前年より今年、今年より来年、と日々改善していきたい」との思いも、社風によっては「余計なこと」や反抗として受け止められる事もある。一方で「YESマンでいること」を自分で考えずに済んで楽な上、誰かに責任をなすりつけられるので申し分ないと考える人もいる。

成長したいという思いは、誰もが共通する本能だと思い込んでいた結果、私は目をつけられて、以降事あるごとにパワハラに遭った。価値観の違いを気合いや我慢で乗り越えること。それは正直とてつもない痛みを伴う。心身の健康を損ないかけたとき、私は初めてその会社にしがみつく意義を真剣に考えた。

会社を辞めることはとても勇気がいる。けれど会社を辞めたことで、私は夜な夜な涙を流す毎日から抜け出すことが出来た。社風が合わないと思いながら働き続けることは、魚を砂漠で飼育することに似ている。魚を何代も飼い続けて陸でも呼吸出来るような進化を待つより、その魚を水辺に放つ方がどれだけ早いか。

投資の際の「損切り」では無いけれど、合わない会社を退職することは人生における「損切り」。今回の決断を通して私は思った。

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