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「不登校の話」シリーズ

23
全23回。不登校の話と銘打ってはいますが、大半は私の半生を追ったものとなっています。
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記事一覧

不登校の話をします

お会いするのが初めてか、多くて数回目以内の方から「そういえば、お仕事は何を?」といったことを聞かれた場合、「なんか、よくわからない仕事をしています」と答えています。本当によくわからないので、そう答えるしかないのですが。

よくわからない仕事で色々と情報収集をしていたある日、不登校新聞をつくっている石井志昂さんという方が書かれた『学校へ行けない人はなぜ増えた?不登校の歴史20年間をふり返る』というY

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かっこいい中学受験

<前回の話>

私が学校へ行かなくなったのは、中学生になって最初のゴールデンウィークが明けて、しばらく経った頃。ということは、私がまともに中学生だったのは、全部で一ヶ月ちょっとしか無いんですね。

行かなくなってから、その後は二度と通うことはありませんでした。

話は中学からさらに遡り、小学6年生のことです。

私が通っていた公立小学校では30人ほどのクラスのうち、大体2〜3割の子たちが中学受験を

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一ヶ月ちょっとの中学生活

<前回の話>

第一志望に落ち、引っ込みがつかなくなった私が結果的に入った私立中学校は、私の入学年度から共学になった「元女子校」でした。男子は私も含めた一年生のみで、二年生と三年生は全員女子です。上級生の彼女たちとは、制服のデザインも異なっていました。

入学して間もなく、小学校時代とは大きく変わった生活サイクルに、私はすぐさま音を上げるようになりました。

朝は早く、混雑した電車に揺られ、帰りも

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かたくなる

<前回の話>

学校へ行かなくなった最初の日のことなんですが、まったく覚えていません。「体調が悪い」といって休むことにしたのか、それともただなんとなく行かなかったのでしょうか。私自身を守るために、すっかり忘れてしまいました。

今まで書いてきたことは、当時の感情を、のちに言語化できたものを再構成しています。膨大な時間をかけて自分と向き合ってきたので「いま思うと、あの時はこうだったな」という輪郭が、

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VHS

<前回の話>

さまざまな人たちに盛大に迷惑をかけながら、私自身も含めた登場人物全員の「諦め」とともに不登校が安定期に入っていくと、有難いことに両親は私に対して、干渉や介入をしてくることがあまりなくなっていきました。

両親はもともと全然うるさくないタイプの人たちでしたが、突然このような事態に陥ってしまい、本当に大変だったと思います。20年前は今のように不登校がそこまで当たり前ではなく、インターネ

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犬の図鑑

<前回の話>

不登校中の生活でアニメを見る以外の時間ですが、犬の図鑑を読んでいました。これがいつから抱えていた思いだったのかはわかりませんが、私はずっと犬を飼いたかったのです。

幼少期から家では、金魚に始まり、熱帯魚、ハムスター、うさぎ、カメ、スッポンといった動物たちが、絶えることなく何かしらはいました。

友人宅から押し付けられるような形で一瞬だけ飼うことになったスッポンは、ある日愛着が芽生

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都落ち

<前回の話>

ある日、転校をすることになりました。

私はもう二度と学校へ行く気がないので「退学」をしたかったのですが、中学は義務教育なので退学することはできず、あくまで「転校」という手続きになります。

そのタイミングで、ちょうど我が家も引っ越しをすることになりました。当時の我が家は、いま考えると家賃の相当高い賃貸マンションに住んでいました。そして、高額な家賃を払えなくなったため、出ていくこと

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モップ

<前回の話>

転校の手続きや挨拶も兼ねて、母に連れられ、一度だけ引っ越し先の公立中学校へ行きました。ただし通う気はさらさら無いので、応接室で教頭先生あたりの人らと、ちょっとした面談みたいな感じだったと思います。

現在の私でしたら、こんな時でもそこそこ朗らかに対応できますが、当時の私は「かたくなる」一択です。この学校へ行ったのは、これが最初で最後になりました。

今でも履歴書などでは、この学校を

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ワープロ

<前回の話>

我が家にパソコンが導入されました。世間的にはWindows 95や98が出るような時期で、家庭にパソコンが普及し始める大きな流れがありました。家族兼用のパソコンを、当面はダイヤルアップ回線で使います。私のインターネットとの初遭遇でした。

念のため説明しますが、当時のダイヤルアップ回線は、接続時間ごとに電話料金がかかりました。我が家で一日に使ってよいのは、一時間程度までと定められま

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多頭飼い

<前回の話>

また、新しく猫が来ました。細かな経緯はあまりよく聞いていないのですが、急に母が連れて帰ってきました。どこかの野良猫が産んだ子どものうちの一匹のようで、他のきょうだいも別々の家に引き取られていったとのこと。家にやってきたのが日曜日の夕方だったことを何となく覚えています。またしても茶トラのオス。生後2ヶ月に満たないくらいでした。

先住の猫1は、いかにも普通の日本猫といった愛らしいずん

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家族の宗教の話をします

<前回の話>

我が家には昔から小さな祭壇があり、朝と晩に、母がお祈りしていました。幼い頃からそれは自然な光景だったのですが、成長していくうちに「どうやらこれは他の家ではやっていない行為らしい」ということに、段々と気付いていきます。

生まれた時から、母と月に一度くらい「参拝」に出かけるのが恒例行事となっていました。そこでは、母の顔馴染みらしき、通称・田中のおばちゃん(仮名)に私たち兄妹を見てもら

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コンビニの棚

<前回の話>

一度も通っていない、二つ目の中学校の卒業証書をフワッともらいました。筒に入った紙がやってきて、特別なことは何も感じませんでしたが、もしこれから私が罪などを犯した場合は、「無職」という肩書きで報道されるんだ、ということは理解しました。

不登校の人たちが使うフリースクールなどの仕組みは、当時もすでにあって、おそらく知ってはいましたが、近くにないとか、基本的に誰とも関わりたくないとか、

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<前回の話>

漕ぎ出しが硬く重い、牛のような自転車で郵便物を配達します。

初めてのアルバイトは、年賀状の配達です。年賀状本番に向けて、まずは一般の郵便物を12月初旬から配達して、住所や道などを覚えます。

家の近所の大きな郵便局から私の担当エリアまでは、牛の自転車で20分くらい。あとは住所の通りに、郵便物をポストへ投函します。たまに住人の方などとお会いしたら、軽く挨拶します。やることはこれだけ

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2つ目のトンネル

<前回の話>

自分で稼ぐお金の味を知った私は、しばらくして何かまたバイトをしようと思いました。ところが、まだ金髪でした。金髪のままスーパーのレジの面接へ行ったことがあるのですが、金髪ですから、もちろん落ちました。

どう考えても当たり前の結果なのですが、そんなことすら「自分で試してみるまでは何も社会のことがわからない」という感じだった気がします。金髪だった時期にいくつか試みたことは、すべて挫かれ

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