不登校の話をします

お会いするのが初めてか、多くて数回目以内の方から「そういえば、お仕事は何を?」といったことを聞かれた場合、「なんか、よくわからない仕事をしています」と答えています。本当によくわからないので、そう答えるしかないのですが。

よくわからない仕事で色々と情報収集をしていたある日、不登校新聞をつくっている石井志昂さんという方が書かれた『学校へ行けない人はなぜ増えた?不登校の歴史20年間をふり返る』というYahoo!ニュースの記事を読みました。

石井志昂さんのことは、よくわからない仕事の中で一方的に携わることがあってその時に知ったのですが、私と同年代で、私と同様に「中学で不登校になった」方でした。

現在では不登校新聞をはじめ、不登校の子どもたちの受け皿となる活動をしておられるとのこと。石井さんを知ったとき、私も同じ時期に不登校をしていた一人として、勝手ながら「当時置き去りにしてきた思いを託すような感情」を持ちました。とはいえ今回の記事を読むまで、またしばらく忘れていたんですけども。それくらい私は、だいぶ遠くに来てしまいました。

石井さんの記事の最後にもありますが、石井さんは常に「不登校をした人の生きてきた姿を伝えたい。その情報こそが『不登校をしていた当時の自分が最も必要な情報』だったから」と、おっしゃられていて、私もそれに共鳴する部分があります。

不登校となった子どもの視点から自身の状況をとらえたとき、「学校へ行かなければ全てが終わり」と見えてしまう力が圧倒的に強く、不安や孤独が一気に押し寄せてきます。一度レールから外れたら最後、二度と社会復帰できない感じが、少なくとも私の時代には強烈にありました。20年前もインターネットはありましたが、まだまだ黎明期でしたので、参考となる先人の言葉にたどり着くのは非常に難しかった。あるいは、他にそんな人たちがいることさえ、その時はまるで想像できない。

生まれたときからずっと一緒にみんなで乗ってきた電車から、急に一人だけ何もない無人駅に降ろされ、取り残された気分でした。異常で、手掛かりがなく、おしまいだと思いました。

今はSNSもあるし、本当にいい時代になったと思いますが、やはり、まだまだそうした途方もない感覚はあると思います。

私が不登校の当事者たち、また、これから当事者になるかもしれない人へ向けて、「かつて私が経験した不登校や『その後』を具体的に語ることで、何か少しでも参考になれば」と考えるのは、なかなかおこがましい感じがします。

そういった看板を大きく出すつもりはないですが、私はただ石井さんの記事を読んで、30代半ばを迎えた現在の視点から、当時のことをまた好き勝手振り返りたい気分になって、しばらくやってみようと思いました。20代の頃もそんなようなことを書いていた時期があるので「そろそろ最新バージョンにアップデートしとこう」みたいな気持ちもあります。

書くきっかけと、noteでの当面のテーマ設定を、石井さんからいただいたということです。

先に言っておきますが、私の場合「不登校になったけど『その後』なんとかなった」と言えるかは、やや微妙なポジションかもしれません。少なくとも社会的には、ダメです。

でも、それ以外の分野に関しては、かなり楽しくやっていますので、トータルでは「不登校でしたが、なんとかなった」と言える自信はあります。

過去にピントを合わせた望遠鏡をときどき覗き込みながら、気が向いたときに、私の話を書いてみます。

<次の話>

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