一ヶ月ちょっとの中学生活

<前回の話>

第一志望に落ち、引っ込みがつかなくなった私が結果的に入った私立中学校は、私の入学年度から共学になった「元女子校」でした。男子は私も含めた一年生のみで、二年生と三年生は全員女子です。上級生の彼女たちとは、制服のデザインも異なっていました。

入学して間もなく、小学校時代とは大きく変わった生活サイクルに、私はすぐさま音を上げるようになりました。

朝は早く、混雑した電車に揺られ、帰りも遅い。帰ってもすぐに取り掛からないといけないくらい、日々の宿題には分量があります。ゆっくりテレビを見たり、ゲームをする時間が全然ない。

しかも、ちょうどこの年から公立小中学校では土曜が半休から完全休日になったのですが、私立ですから適用されるとは限らず、私の学校では土曜もしっかり授業がありました。自ら選んだ道ですが「何で自分がこんな目に…」という思いがあったことを覚えています。雰囲気だけでここまで来ていることが如実に現れていますね。

クラスメイトは、いま振り返るとけっこうみなさん「いい感じ」であったように思います。目ぼしい問題児は(真っ先に私がそうなるのですが)おらず、全体的に育ちの良さを感じさせる朗らかな子が多かった。偏差値はともかく、これが私立中学なんだと思いました。噂で聞いたところによると、入学試験の成績順にクラスが割り振られ、上から男女15人ずつ集めたのが私のクラスだという話でした。本当かどうかは知りませんが、私立の学校ではそういうこともあり得るのかと、公立学校との違いを感じたエピソードです。

離れた土地で全員はじめましての中学生活ですが、この頃の私はまだ現在ほどではないにしても朗らかであり、みなさんと打ち解けてきていました。中学へ上がった途端、話題が異性に関するものばかりとなった突然の飛躍に面食らいながらも、同じように面食らったタイプの子たちと仲良くなりかけたりして、順調であったように思えます。

この頃の私は少し太りはじめていて、またひどくピュアであったため、特に上位カーストになりかけていた一部ムードメーカー的な子からは「いじられ気味な場面」が時々ありました。とはいえ、基本的にはみなさん「いい感じ」でしたので、それらも手探りのコミュケーションの一環でしたし、私も特に問題とは感じませんでした。

廊下と並行して伸びる階段は横が格子状になっているため、上り下りする女子生徒がいると脇からけっこう「見える」ということに男子が気付きだし、やがて休み時間は自然と階段付近に溜まるようになりました。あまり大人数になるとまずいため、基本は通りすがりに視線を上にチラチラ向けるといった様子です。

上級生は全員女子で、上級生のクラスは上階にあり、さらに上級生は一年生に比べてスカートをかなり短めにしていた傾向から言って、色気づいてきた中一男子がこの階段をメッカにするのは必然的な流れでした。明らかに不自然な動きの男子生徒が多発したためバレていたとは思いますが、「この学校に初めて入学した男子生徒」ということで、存在そのものが大目に見られていたり、あるいは学校側・上級生側の対応がまだ定まらないでいた部分があったかもしれません。

おかげさまで、良いひと時を過ごすことができました。私が学校で一番覚えているのは階段です。その節はありがとうございました。

と、ここまで書いてきて、まさかこの後いきなり学校へ行かなくなるなんて、思いもよらない雰囲気が私自身もちょっとしています。

記憶というものは風化するし、またある程度作り変えられて、特に都合の悪い記憶はどんどん押し流せます。私は押し流せました。この20年間を振り返ったとき、学校に関するマイナスの記憶をできる限り忘れようとエネルギーを費やしていた時期が、確かに存在していました。

その結果「中学生活はなんとなくいい感じのことしか覚えていない」という現在があり、これは私が望んで手に入れたものです。

しかし、記した内容のほかに、未だに触れることができない傷ついた出来事や、この後の不登校につながる決定的な事件があったかといえば、「そんなものは無い」ことは断言できます。

さまざまな要因から成る、ダメージとも呼べないごく小さなダメージの積み重ねや、ちょっとしたボタンのかけ違いと向き合わずに放置してきた結果、それらがやがて「立ち上がれない朝」となって現れることになります。

<次の話>

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