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裏長屋物語4

江戸の水路は、神君家康公以後、為政者となった武士たちが人々の生活を安定させるために、長い年月を経てつくられていった。基幹産業である農業を奨励するため、利根川の流れを変え、水害を避けるとともに耕地を増やしていった。そして、江戸の町は将軍を筆頭に旗本・御家人や参勤交代で全国から集まる大名たち、そして彼らの暮らしを支える商人や職人たちが集まる大消費都市となっていった。

人が生きていく上で欠かせないもの

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裏長屋物語 3

雪の降る師走だった。長屋の入り口をふらつきながらなだれ込んだ男に、長屋の主人さぶは温かい芋煮汁を食べさせた。伊藤蔵之介はその芋煮汁を少しずつ、体に染み込ませるように食べ、箸を置いた。何も語らない蔵之介に、さぶは寝床を提供した。

「この長屋には、氏素性の分からない奴らが暮らしてる。流れながれてここに行きついた。みな、それぞれに事情がある。宿賃はいつでもいい。ちょうど一つ空いてたところだ。好きなだけ

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裏長屋物語 2

江戸は町方が密集し、多種多様な人間が集うことから「火事と喧嘩は江戸の花」などと言われ、そんな雰囲気の中で江戸っ子気質が醸成されていったのだろう。

主人公は伊藤蔵之介、食い詰め浪人である。浪人とは、武士でありながら、どこにも仕官できず、武士としての給料もないため、日雇い仕事をしながら生活をしている。

下手に武士なだけに、矜持が高く、雇われであるにも関わらず、雇用主に文句を言ったり、まともに働かな

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裏長屋物語 1

今は昔、東京は江戸と呼ばれ、大層な賑わいだった。将軍のお膝元であるこの町には毎年、全国の大名が1年交替で集まり、華奢な生活をしており、その武士の生活を支えるため、商工業者など様々な人間が集まり、人口はみるみる増えていった。

江戸時代が始まり100年も経つ頃には、戦乱のない平和な時代の中で、人々は安寧を享受した。

その中で、明日への生活への不安を抱える素浪人も、この江戸に集まる。貨幣経済の浸透は

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【小説】秀頼と家康の会見 完

家康は一人の武士として、若き主君に対し憐れみでも、情けでもなく、同じ武士として言葉を発した。

もはや徳川と豊臣は水と油のようなもの。天下に主人は二人といりませぬ。

張り詰めた空気が、廊下にまで伝わった。まるで乾いた音でも聞こえるように草木が擦れる。

茶の湯の波紋が収まる頃、秀頼は応えた。

で、あろうな。

家康は戸惑った。

それでも、戦う、と申されますか?

秀頼は白い歯を見せ、微笑んだ

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【小説】秀頼と家康の会見⑤

【小説】秀頼と家康の会見⑤

秀頼は、相対する相手をじっとみつめた。頭を垂れるその姿勢は一見すると主君を敬う家臣のそれであったが、その内側にある野心を隠さんとするもでもあった。

面をあげよ

秀頼は柔らかに声を放った。居丈高な調子も衒いもなかった。秀頼は家康を一人の武将として、丁重に対応したいと考えていた。それが戦国乱世であった。

江戸での暮らしはいかがだろうか。

.....はい、ただただ広い平野でござる。今は多くの陣

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【小説】秀頼と家康の会見④

【小説】秀頼と家康の会見④

漆黒の僧衣を身にまとい、その僧は頭を抱えていた。その体は小刻みに震えていた。くしゃくしゃに搔き上げる髪はもうなく、手のひらの感触がまっすぐに頭に伝えられた。

僧の名を天海という。後の世、徳川家康のブレーンとしてその幕府創世記の礎を築いたと言われる。しかし、人目に出ることはなく、晩年は日光東照宮の住職となり、徳川家の菩提を守り続けた。

世に出ることが出来ない理由は一つであった。彼の正体を明智光秀

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【小説】秀頼と家康の会見③

【小説】秀頼と家康の会見③

豊臣と徳川。天下を分けるその両家の代表が会見をする。この会見が実現した大きな理由の一つに彼がいた。豊臣の時代に台頭し、時代の趨勢の中、徳川の世の中を認めつつ、豊臣への深い愛情を微塵も失ってはいなかった。

加藤清正である。刀鍛冶の子として生まれ、戦国乱世の時代を生きぬき、秀吉の生母と遠縁であった関係から、秀吉の小姓として仕えることになった。武の道を歩むことになる、その最初の一歩であった。秀吉はこの

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【小説】秀頼と家康の会見②

【小説】秀頼と家康の会見②

その男は、実に苦労人だった。鳴くまで待とうなどというのは、戯言である。三河生まれの持ち前の気性の荒さで、すぐに頭に血がのぼる性格だが、一方で、多くの経験を通して、冷静さと一種の潔さを身につけていった。そして何より、執念が凄かった。徳川家康である。

幼少期はずうっと人質として今川氏や織田家で過ごした。転機は桶狭間の戦いであった。今川義元が討たれ、人質身分から解放される。21歳で信長と同盟関係を結ん

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【小説】秀頼と家康の会見①

【小説】秀頼と家康の会見①

衣擦れの音でさえ、その男は颯爽としていた。齢18歳、豊臣秀吉を父に持ち、生まれた時から数多の大名の上に君臨することを運命付けられた青年は心中穏やかではなかった。彼にとって普通でないことが普通であった。己の命令一つで人の人生を簡単に変えることができる、人の命を奪うこともできる。そのことの大きさは、常人であれば権力に心を奪われ、権力の走狗になってもおかしくはない。しかし、彼は違った。年齢は関係ない。彼

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