見出し画像

【小説】秀頼と家康の会見①

衣擦れの音でさえ、その男は颯爽としていた。齢18歳、豊臣秀吉を父に持ち、生まれた時から数多の大名の上に君臨することを運命付けられた青年は心中穏やかではなかった。彼にとって普通でないことが普通であった。己の命令一つで人の人生を簡単に変えることができる、人の命を奪うこともできる。そのことの大きさは、常人であれば権力に心を奪われ、権力の走狗になってもおかしくはない。しかし、彼は違った。年齢は関係ない。彼の豊かな創造力と経験が、権力の魔力を飲み込み、その恐ろしさに必要以上に臆病にもなり、そして強くなった。戦国乱世だからといって、皆命を粗末になどしていない。誰もが皆、運命に翻弄されながら、潔く死を選ぶこともあるが、誰だって死にたくないし、懸命に生きているのだ。

豊臣秀頼は、その期待を一身に受け、天下の主となるべく諸侯は願った。しかし、父の死により運命は大きく変わった。五大老筆頭徳川家康が台頭し、豊臣に対して刃を向け始めた。五奉行筆頭石田三成は、これに対抗するが関ヶ原で雌雄が決した。その後、家康は征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く。そして、将軍職は秀忠へと移り、時代は徳川の時代にならんとしていた。大坂を中心に65万石の大名となった豊臣家は江戸時代のなかで、一大名として生きていくことも充分に可能であった。しかし、運命はそれを許さなかった。京都二条城における、秀頼と家康の会見がそれを決定づけた。この時秀頼は弱冠18歳であった。

歴史を学ぶ意義を考えると、未来への道しるべになるからだと言えると思います。日本人は豊かな自然と厳しい自然の狭間で日本人の日本人らしさたる心情を獲得してきました。その日本人がどのような歴史を歩んで今があるのかを知ることは、自分たちが何者なのかを知ることにも繋がると思います。