自分の"好き"が分からない方へ。"怒り"の感情を見て見ぬふり、してませんか?
今日は珍しくネガティブな発言を
前面に押し出した記事になりそうです。
タイトルは、昨日の夜、
色々とノートに書き出しながら思ったこと。
私、久々に昨日イラッときたんです。
それは家族と過ごしていた時間の中で、
どうして今私はここにいないといけないのだろう、
私は私で自分の有意義な時間を過ごしたいのに、と。
はい、かなり自己中心的な考えですね。(笑)
で、今まではこういった負の感情に
思いっきり蓋をしてきたわけです。
見て見ぬふり。なかったことにする。
でも、そうしていくうちに
今度は自分の"好き"が
分からなくなっていくんですよね。
不思議ですが好きと怒りには
比例関係があるようです。
というのも、怒りの感情は
自分が嫌だな、と思うこと。
それってつまり、いいなと思っていることを
邪魔されているから嫌だな、って思うわけです。
怒りの感情の裏返しは、
実は"好き"だったりする。
ふとそう思ってから、
最近嫌だと思っていることを
ノートに書き出してみました。
言葉を選ばずに言うのであれば
私は、私の時間を奪ってくる人が嫌いです。
例えば仕事の指示。
曖昧な指示だったり
材料が不足していると、
あとからやり直しが発生して
余計に時間を使うことになります。
そんなことにならないよう、
支持する側は明確に過不足なく
指示を出してほしい。
支持を受けて、この資料はありますか?
と聞いた時に、ないと言われると
じゃあその資料準備してから
指示出してくださいよ、ってなる。
(なかなか厳しいこと言ってますね)
あとは、デリカシーがない人も嫌いです。
自分の発言で相手がどう思うのか、
どんな感情を抱くのかを
慮れない人に対して腹が立ちます。
どうしてその言葉を言ったら
相手が傷つくことが分からないんだろう。
仕事の指導と称して人格を否定することが
なぜまかり通っているのだろう。
そんなことしたって相手の成長にはならないし
自分の承認欲求を満たしたいがために
優越的地位の濫用をしているだけじゃないか、と。
これらのことって裏返すと
時間(⇔時間を奪われること)
思いやり(⇔デリカシーのない発言をすること)
が、私にとって大切なことだということ。
逆に時間を大切にしてくれる人や
思いやりのある人が私は好きだということ。
ほら、嫌いの裏返しは好きでしょ?なんて。(笑)
世間では
好きの反対は無関心、
なんて言います。
そう、無関心だったら
たとえその気持ちを裏返しても
好きにはならない。
自分の興味のない車の話をされても、
無関心だったら何も感じない。
車の話をされなかったとて、
その状況が積極的な"好き!"を
生み出すわけではないんですよね。
言葉ってよくできてるものだなあ、と。
怒りの感情の裏には、
自分の"好き"が隠れていたりします。
だから、どうか、自分の怒りの感情から
目を逸らさないで。なかったことにしないで。
しっかり掬いとって見つめてあげましょう。
怒りの感情を出すことは、
決して悪いことじゃありません。
そこには自分の"好き"が溢れているのだから。
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