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一番にならなくてもいい。

数字の1!

…ではなく、これは「ちっちっちっ」の指です。(笑)

直近のちいかわアニメがモモンガちゃんの回で、
ファンの私はどれだけスクショしたことか。

スーパースクショ祭り。あまりの可愛さに悶絶。
こんな可愛いお子を生み出してくれたナガノさんに感謝。

…と、それはさておき🤣


おはようございます。
今日も今日とて、自分への励ましの言葉です。

毎日投稿を続けるようになって、
他の人への発信というよりは
自分の中での気付きだったり
自分への励ましの言葉が多くなりました。

それはきっと、普段私がそれだけ
自分と向き合っているということ。

どうやら私はついつい、
自分と向き合ってしまう人間のようです。(笑)

会社に行きたくないと言う自分を励ます。
他の人よりうまくできないと言う自分を励ます。
何のために生きているか分からないと言う自分を励ます。

その自分への励ましが、
このnoteを通じて色々な方へ届いているようで、
反応をいただけるたびにとても嬉しく思います。

みなさま、いつも読んでくださって
本当にありがとうございます。

そして今日は、「一番になれない」と
落ち込む自分への励ましの言葉です。(笑)

他人と比較しない、というお話と
かなり似ていると思います。

周りの芝は青く見えると言うけれど、
世の中には自分より頭がいい人もごまんといるし
自分より稼いでいる人もごまんといる。

比べだしたらキリがない。

でも、競争があることで
社会が発展してきたことも事実。

ある程度の競争は、
世の中の発展には不可欠なんですよね。

だからこそ、私たちは保育園で比べられ、
小学校で比べられ、中学受験や高校受験を経て、
大学卒業後も出身大学で比べられ。

就活をすれば他の人と比べられ、
合格通知をもらったりお祈りメールをもらったり。

やっとのこさ会社に入れたと思っても、
同期と比べられ、後輩と比べられ、
先輩がかつて新入社員だったころと比べられ。

これだけずっと比較されてきたら、
そりゃ自分でもついつい人と比べてしまう。

至極、当然のことだと思います。

そして、ここからが大切なのですが。

この競争のもとに身を置いた方が
燃え上がれる人もいるということ。

競争があったほうが頑張れる。
ライバルがいたほうが自分を高めることができる。

それはとても健全な関係だと思います。

そういう人はライバルと共にお互いを尊重し、
高めあうことでお互いにとってプラスになります。
そのまま突き進んでいってください。

ただ、残念ながら、
そういう人たちばかりではない。

一般的に言われていることですが、
子供のころにあまり褒められなかったり、
幼少期からしっかりすることを求められると、
人は愛情不足や孤独を感じるようで、
自己肯定感や自尊心が低くなる傾向があるとか。

よく言われるのが、アダルトチルドレンですね。

虐待や育児放棄をする親、
アルコール依存症の親、
家の中で常に喧嘩の絶えない親。

そんな家族のもとで幼少期を過ごすと、
子供は必死に「いい子」になろうとします。

なぜなら子供にとって、
親に見捨てられるということは
「死」を意味するからです。

そのため、必死になって「いい子」になる。
嫌われないように、親の機嫌を損ねないように。

そうっとそうっと自分を押し殺しながら、
生きていくようになるといいます。

そうしているうちに自分を押し殺し、
自分を責めることがいつしか当たり前になり、
たとえ親がいなくなった後であっても
「親から認められる自分」を追い求めて、
ずっと自分を責め続けます。

こんな自分じゃだめだ。
こんな自分では嫌われてしまう。
こんな自分では生きていけない。
もっと変わらなきゃ。

もちろんこの段階で
「変わらなきゃ」と決意して
変われる人もいるにはいるのですが。

それは、土台あってこその「変われる」。

地面がふにゃふにゃでは
高く飛び上がれないのと同じように、
自分のベースが固まっていないまま
「変わろう」とすると
「変わる」前に力尽きてしまう。

人はあんなに高く飛んでいるのに!と思っても、
相手の土台がしっかり固まっていて
それに対して自分の土台がふにゃふにゃだったら
飛べないのは当たり前ですよね。

こういう当たり前のことに気付いてから、
私は自分にやさしくすることを
特に意識するようになりました。

私の心はふにゃふにゃ。
だから人よりも刺激を受けやすい。

そんな私が生きづらさを解消するには、
心を守るベールを作ってあげる必要がある。

ガラスのような固いベールは
まだ作れないかもしれないけれど、
柔らかいおふとんのようなベールでもいいから
自分の心を包み込むことができたなら。

その時は、きっと私はもっと高く飛べる。
そんな気がするのです。

あれ、何のお話をしてたんでしたっけ。(笑)

あ、ついつい人と比べてしまうという話から
とても脱線してしまいました(/・ω・)/

とにもかくにも私が言いたかったのは、
「一番にならなくていいよ」ということ。

もちろん「一番」になれたら一番いいけど。
(ダジャレみたいになってしまったけど。)

「一番」になることが自分にとって苦しいことなら、
その肩の荷を降ろしてもいいと思う。

ただ、それはとても辛くて
苦しいことであるのも事実。

だって、「一番」になるために頑張ってきたのに
その目標をとりあげられちゃったら、
何のために頑張ればいいのか分からない。

それに、頑張れない自分になってしまうかもしれない。
それはいやだ。怖い。そんな人間にはなりたくない。

いやだいやだいやだ。

私も当初、そう思っていました。

だから、しがみついてしがみついて、
頑張り続けて頑張り続けて。

でも、私は頑張り続けられなかった。
それは私が「頑張れない人」だからじゃなくて、
頑張るべき土俵にすら立っていなかったから。

魚が水の中で泳ぐのは当たり前。
それなのに魚である私は
陸で一生懸命生きようとしていた。

だから周りよりうまくできない。
当然、「一番」にだってなれない。

頑張れなくなったのは、
どうやら心と体が「その場所は違うよ」と
教えてくれていたようでした。

それから私は自分に合う環境、
自分に合う仕事を探すようになりました。

他人と比べて上手いとか、劣っているとか、
それはいったん置いておいて。
とにかく自分に合っていることを探す。

結果、会社という場所は変えていないですが
今は前よりも少しのびのびと仕事ができています。

そしてこの生活をある程度続けて、
自分の心をガラスのベールで包むことができたなら。

その時はまた、飛び上がる時だと思っています。

またその時に「一番」を目指せばいい。
もちろん「一番」になれなくたっていい。

だって、そもそも自分に合っている環境で
働けるだけでも幸せなことだから。

「今」を十分幸せだと思えるから。

そう、幸せを基準にすると
そのうち「一番」とかどうでもよくなってくる。(笑)

一番か二番か三番か、じゃなくて
自分が今、幸せなのかそうじゃないのか。

みんなに当てはまるわけじゃないと思うけれど、
「一番」がつらくなってしまった人は
「幸せ」を自分の基準に置いてみよう。

案外、気持ちが楽になるかもしれません。


…今日は自分の経験をもとに記事を書いたので、
偉そうなことを言っているかもしれません。

みなさんの心に届かなくても、
今生きづらい誰かにこの声が届きますように。

なんて、夢を抱きながら今日はこのへんにしておきます。
それではみなさま、良い一日を!

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